触れられない距離

神崎

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ピクルス

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 お茶を七人分買ってきて、カフェスペースで皿と箸を並べるとみんなでおかずやおにぎりに口をつけた。
「美味い。食べ過ぎそうだ。」
 遥人はそう言うと、奈々子は少し笑いながら言う。
「気持ちはわかるけど、遥人君はあまり食べないでね。お腹いっぱいになると声の出が良くないから。少しあなた用に、避けておいても良いわね。あとで食べても良いし。」
「そうしようっと。」
 遥人は早速おにぎりを二つほど避けておいた。治もピクルスに箸をつけて頷く。
「箸休めに良いな。さっぱりしてる。」
「あぁ。そうだ。橋倉さん。これを奥様に。」
 沙夜はそう言って保冷バッグの中から、ジッパー付きのビニール袋を取り出した。そこには夕べ作ったピクルスが入っている。
「うちのに?」
「妊娠されていると聞きました。酸っぱいものが食べたいだろうと思いまして。」
「ありがたいよ。最近は食べても吐くばかりでさ。こういうのだったら食えるかな。あ、でもキュウリが入っていないのか。」
「キュウリやトマトは体を冷やすと聞きましたので。」
「夏野菜だもんな。そうだ。うちのに今日は泉さんが弁当を持ってきてくれるって話をしたら、いつもごちそうになってばかりだからこれをあげろって言われてた。」
 そう言って治はポケットの財布からチケットを二枚取り出して、沙夜にそれを渡した。
「これは?」
「うちのヤツが勤めている映画館のチケットだよ。今時は3Dとか4Dとかあってそういうのはやってない単館映画館で、あまり有名な映画とかはしてないんだけど、これを持って行ったらただで観れるの。映画が。」
「本当ですか。え?そんなモノを頂いて良いんですか。」
「良いんだよ。これ、たまに社員とかパートに配られるヤツだし。うちはほら子供が二人居てさ。子供向けの映画とかはしないところだから、泉さんにでも行ってくれた方がありがたいよ。」
 そしてその映画に翔と二人で行って欲しい。そうすれば少しは進展があるかもしれないのだから。
「ありがとうございます。今ってどんな映画をしてますかね。」
「ホームページがあるから、そこでチェックすれば良い。ネットで予約も出来るらしいよ。そうすればチケットを見せるだけですんなり入れるし。」
 あとでチェックしてみよう。そう思いながら、沙夜はそのチケットを財布の中にしまった。
「そう言えば、遥人は映画はどうだったんだ。」
「撮影はまだしてるけど、俺が出るところは終わったな。アル中で、ヤク中の役だけど、俺薬はしたことないし、酒で酔っ払うのってめったにないしなぁ。」
「へー。頼もしい。」
 そう言っている間に、一馬は三つめのおにぎりに手を伸ばそうとした。その様子に純が声をかける。
「もう三つめかよ。」
「美味いから。栗は手間だろう。何かすぐ剥けるこつでもあるのか。」
 沙夜にそう聞くと、沙夜は少し頷いて言う。
「水に浸しておいたりお湯に浸しておくと、少し皮が柔らかくなるので厚い皮は手で剥けるんですよ。あとの渋皮は包丁で剥きますけど。」
「芹さんが剥いてくれたのか。」
 その言葉に翔がちらっと沙夜を見る。相変わらず芹は沙夜の助手みたいな事をしているのだろうか。
「仕事でずっと部屋に閉じこもってますからね。息抜きをしたいのだと。」
「外に出て散歩でもすれば良い。あいつはいつも顔色が悪い。」
 一馬はそう言うと、沙夜は少し笑って言う。
「そうですね。そう伝えておきます。」
 その時は沙夜も一緒に出るのだろうか。またデートのようなことをするのか。そう思うといてもたってもいられない。
「俺も少し自炊をするようになってさ。」
 純はそう言うと、沙夜は頷いた。
「何か作りましたか。」
「この間、パスタを作ったよ。和風パスタってほら、焼きそばみたいになるよな。」
「そうですね。何を入れましたか。」
 和気藹々と食事を終え、しっかり遥人はおにぎりを二つ手にしたあと、みんなで片付けをする。テーブルを拭き、椅子を戻した沙夜は割り箸や紙の皿をビニール袋に入れるとゴミをまとめて、スタジオの外にある駐車場に向かう。そこには白いバンがあった。
 社用車として利用しても良いと言われているモノで、今日はこのあと五人でラジオ番組の仕事があるのだ。車に五人を乗せて行けば、時間短縮になるだろう。
 ビニールと保冷バッグをトランクに乗せると、沙夜は再び車のドアの鍵を閉める。そしてスタジオに戻ろうとしたとき、翔がこちらに向かってくるのを見た。
「どうしました。千草さん。」
「あぁ。泉さんに話があってね。」
「私に?」
 治からもらった映画のチケットを自分と使って欲しい。映画を見に行くなんて、恋人同士がするようなことだと思うから。だがその一言が言えない。
「五曲目の……「Promise」って曲なんだけど。」
「えぇ。送られていたデーターの曲を聴いてもそれだけが少し気になってました。でも具体的にどこがといわれるとわからないのですが。」
「実際聴いてみないとわからない?」
「えぇ。今度のアルバムの中では少し異質な曲ですし。こだわるのであれば……。」
 こんな公の場では、沙夜でも音楽の繋がりしか無い。つまり仕事上の付き合いしか無いと思わせないといけないのだ。そんな状況なのに、二人で映画など夢のまた夢かもしれないのだ。

 ラジオ番組のゲストで呼ばれ、五人は人気のパーソナリティーからの質問にも臆すること無く答えている。穏やかな雰囲気のまま番組は終わり、スタジオを六人はあとにする。
 沙夜は五人をまた車に乗せると、携帯電話の時計を見た。十九時になっていて、食事の用意をしてきて良かったと思う。用意さえしていれば、芹も沙菜も勝手に温めて食べるから。
 車の載っている翔も同じような行動をしているが、おそらく翔の方が早く帰るだろう。そう思いながら、沙夜は会社まで車を走らせる。その間も五人は先ほどのラジオの発言に対してあぁでも無いこうでも無いと議論をしていた。
 というのも、どうしても純はマニアックな発言になりがちだし、治は反対に軽い話しかしない。一馬は口が重いし、翔に至っては笑っているだけのように思えた。一番バランスが良いのは遥人だろうか。だから遥人は各方面から声がかかるのだ。
「はい。議論はそこまでです。会社に着きましたから。」
 駐車場に車を停めると、六人は車を降りる。そして沙夜は携帯電話をチェックした。まだ仕事が残っているのだろうかと翔は思いながら、沙夜の様子を見ていた。だが沙夜はふと顔を上げると、翔の方を見る。
「千草さん。これから仕事はありませんよね。」
「あぁ。今日はみんなもこれで終わりだよな。」
 すると四人も頷いた。
「千草さんは少し会社に寄ってもらって良いですか。上司が話があるそうです。」
「上司?」
 沙夜の上司とはつまり、ハードロック部門の部長だろう。部長という肩書きの割に若い男で、翔を見つけ出したのはこの男と三倉奈々子で翔にとっては頭が上がらない人の一人だった。
「何の話かな。」
「居残り?」
「学生じゃ無いんだから。」
 冗談を言い合いながら、四人はそのまま駐車場をあとにする。駅へ行ったりバスに乗ったりしながら帰るのだ。
「行きましょうか。」
「うん。あぁ、そのゴミはどうするの?」
「そこに収集所があるので、そこに置いておこうかと。」
「持つよ。」
 駐車場の片隅にあるゴミの集積所は倉庫のようになっていて、定期的に業者が持って行ってくれる。中を空けるとひどい匂いがした。だが翔はその中にゴミ袋を入れると、沙夜の方へ戻っていく。
「……千草さんは本当に、勘違いされるんでしょうね。」
「勘違い?」
 沙夜はそう言うと、裏口の方へ歩いて行く。定時はとっくに過ぎているのだ。この時間は裏口からでは無いと入れない。
「昼間にお会いした紗理那さんは、勘違いされていましたね。だからあんなキツいことを言ったのでしょう。」
「……ちょっとね。昨日キツいことを言ったし。」
「キツいこと?」
「前に撮影スタジオでも連絡先を聞こうとしてね……。夕べも駅まで付いてきた。ストーカーみたいな感じに思えたから、バッサリ言ったんだ。」
「バッサリ?」
「君を好きになることは無いってね。」
 好きになるのは一人だけだ。沙夜しかいない。手の繋げる距離にいるのに、その手を握れない。臆病な自分が顔をまた覗かせる。
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