触れられない距離

神崎

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ピクルス

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 スタジオへ行ったのは昼過ぎくらいだろう。沙夜は栗ご飯のおにぎりと、ピクルス、それから数種類のおかずを用意した。ゴボウとにんじんのきんぴら、だし巻き卵、白身魚の西京焼きなど、結局弁当を用意する羽目になってしまったと思いながら、保冷バッグを持ってスタジオへやってきた。
 レコーディングスタジオは、地下にある。一階には練習スタジオの他にカフェスペースがあり、そこでしか食べ物を食べれないのだ。蓋付きの飲み物であれば、スタジオに持ち込んで良いのだが。
 そのスタジオの中に入り、入り口にある予約表を見る。ここは会社が経営するスタジオではあるが、外部の出版社などがたまに撮影スタジオとして使ったり、軽いドラマのワンシーンを取ることもある。結局多目的な用途なのだ。
 今日は昼から上のスタジオで雑誌の撮影があるらしい。ファッション雑誌には興味が無いが、沙夜でも聞いたことがあるような女性誌だと思う。なるほど。行き交う人たちがファッショナブルなのはそのためかと納得していた。この中に沙夜のような人がいると相当目立つ。ファッション誌にしても音楽にしても、地味すぎるのだ。入ったばかりのアシスタントのようだと思う。
 しかも手に持っている保冷バッグが更に地味さに拍車をかけていた。周りの視線も気になるし、さっさとスタジオへ行こうとしたとき後ろから声が聞こえる。
「あー。ここのスタジオ「二藍」が入ってるんだ。」
 沙夜は振り返るとそこには雑誌から抜け出したような女性が二人居た。そしてそのうちの一人に見覚えがある。この人はモデルでは無く歌手のはずだ。この間翔と雑誌の仕事をしたと思う。そして思い出した。
「あ、「JACK」の紗理那さんですか。」
 沙夜の方から紗理那に声をかけた。すると紗理那は一瞬いぶかしげな顔をしたが、すぐに笑顔で応える。
「そうですけど。」
「「二藍」の担当をしています、泉と申します。」
 沙夜はそう言って名刺を取り出して紗理那に手渡した。
「この間は、うちの千草と撮影をされたようでお世話になりました。」
「マネージャーさんさ。」
 名刺を見て、紗理那はいきなり沙夜にキツい口調で言う。だが沙夜は普段通りだった。
「担当です。マネージャーではないのですが。」
「どっちでも良いけどさ、翔君って凄い堅すぎだよね。」
 その言葉に隣にいた女性が笑う。だが沙夜は不思議そうに紗理那を見ただけだ。
「堅いとは?」
「連絡先の一つも交換しないし、あたし一応歌手なんだからさ。仲が良かったりすればコラボなんて話しも出来るだろうと思うの。バンドのメンバーもそう出来れば良いって言っていたし。ほら……今度そっちの遥人とさ、他のバンドの達也とのデュエットが実現するんでしょう?」
「今度のアルバムの限定にボーナストラックとしてですが。」
 あの夏のデュエットは評判が良かった。だから本格的に今度のアルバムで、そういう形のお披露目をする予定なのだ。声の質が違いすぎて、最初はどうなることかと思ったが、プロデュースする奈々子は、そういう違う声の人二人の歌声に腕が鳴るといっていたのを覚えている。
「遥人とのデュエットとかって話があるかもしれないのに。」
「無理でしょうね。」
 その言葉に、紗理那の眉がピクッと動いた。
「何で?達也とは出来て……。」
「レコード会社も違いますし、そもそも音楽性が違いすぎますから。」
 軽い音楽で、カラオケでも歌われるような「JACK」の音と、超絶技巧を駆使している「二藍」の歌は違いすぎる。それに遥人との声も違いすぎるのだ。
「モデルなんかでまた共演するかもしれないのに。」
「あぁ、それも無いです。」
「どうして?」
「「女性と写るのはこれっきりにして欲しい」と上からのお達しがありましたから。こちらもイメージがあるので困るんですよ。」
 ゲイのイメージがあるのだ。それなのに女性と写るような写真を載せないで欲しいと、出版社に告げたばかりだ。出版社は頭が痛いだろう。恋人のように接したような写真が多いのに、それすら禁止されているのだから。
「なので、絡むのはこれっきりでしょう。音楽番組なんかで一緒になるかもしれませんが、それだけです。お世話になりました。」
 沙夜はそれだけを言うと、その場を離れて地下の階段へ向かう。その様子を見て、女性が口を尖らせていった。
「何あれ。そんなに「二藍」って特別なわけ?」
「気に入らないわね。」
 紗理那はぽつりとそう言う。人のプライドを簡単に傷つけるような女だ。紗理那がここまで歌手としてどれだけ努力してきたのかもきっとわかっていない女。それに「二藍」がここまで売れるようになったのは、自分の手柄だとでも言いたいように見える。それがさらに腹が立つ。
 その時階段から降りてきたスタッフが、二人に息を切らせて言う。
「もう少し撮影の準備に時間がかかりそうなんですよ。一時間くらいだと思うんですけど、どうしますか。」
「一時間か。紗理那。ご飯でもいく?そこのカフェご飯美味しいって評判だし……。」
 その時だった。地下からぞろぞろと「二藍」の五人と沙夜、それから三倉奈々子が上がってきた。翔はすぐに紗理那に気がついたようだがふっと視線をそらして、カフェスペースへみんなで向かう。
 そしてみんなでテーブルを囲み、沙夜が持っている保冷バッグを空けて声を上げた。その声は外にまで聞こえてくる。
「マジで美味そうじゃん。」
「栗ご飯って大変だろう?栗は剥いたのか?」
「剥いてくれる人がいたんですよ。」
「それでも凄いわ。あら。このピクルスも自家製?」
「えぇ。本当は鷹の爪とか入れると美味しいのかもしれませんけど、うちはどうしても辛いものが苦手という人もいて。」
 その会話に紗理那と女性は顔を見合わせる。まさか担当が手作りの弁当を持ってきて、それを七人で食べるような事をしているのだろうか。そこまで仲が良いと、少し異常だと思う。
「手作り?」
 手作りのものは、どうしても抵抗がある。そう思っていた女性は口を押さえた。
「やだ。手作りなんて食べれないよ。そういうのは全然気にしないんだ。」
 沙夜が手作りしたモノだろうか。そこまで時間を割いてバンドに尽くしているとなると、親密を通り越して少し怖い。自分のバンドは持ってきてくれても、弁当一つというような感じなのに。それもカロリーが高く紗理那が口にしないのを見て、もうそう言うことは無くなったのだが。
 すると沙夜が席を立った。そしてそのカフェスペースを出て外へ行く。その時、まだその紗理那と女性がいるのを見て、少し頭を下げた。すると紗理那が声をかける。
「手作りの弁当なんて作って、料理出来ますアピールしてるの?」
「……。」
 いきなり喧嘩をふっかけてくるとは思ってなかった。だが沙夜にとってはそんな言葉は心に響かない。
「料理出来ますアピール?」
「あなたの手作りを持ってきて、男達を手玉に取っているって訳だ。やっぱりあの噂って本当なんだろうな。」
 わざとかもしれないが、紗理那の声が大きい。そしてその隣の女性も興味津々に紗理那に聞く。
「噂って?」
「ほら。この人の妹って「日和」って言うAV女優なのよ。だから男を手玉に取るのはお手の物なんでしょ?みんな穴兄弟だっていってたし。」
 すると沙夜は困ったように紗理那を見ていた。
 ここで売られた喧嘩を買うのは簡単だろう。だが会社が違うし、ゴタゴタを起こしたくない。かといってそれを黙っていれば、「二藍」のイメージも悪くなり、結局沙夜は担当を外されるかもしれないのだ。
 どうしたら良いかと思っていたときだった。後ろのカフェスペースのドアが開いた。声が大きいのが徒になったのだろう。そして出てきたのは三倉奈々子だった。
「泉さん。お茶を買いに行くんなら、一人では無理よ。七人分も持てないし……ん?あぁ。「JACK」の?」
 三倉奈々子のことは紗理那のような歌手でも知っている。今やヒットメーカーである三倉奈々子は、「二藍」だけでは無く他のアーティストのプロデュースをしていて、その活躍は目覚ましい。
「どうも。初めまして……。」
「じゃないわよ。三回目。この世界で生き残りたいなら、会った人なんかはメモしておくのは常識でしょう?あなた、この世界長いのにその辺もわかっていないの?」
 毒舌にそういう奈々子に、沙夜は驚いて奈々子を見る。だが奈々子はフリーで活躍しているのだ。何を言っても許されるところがあるのだろう。というか、業界自体が奈々子を恐れているのだ。嫌われたら生き残れないとまで思っている。
「そうでした。すいません。」
「あなた、ボイストレーニングには行っている?」
「え?」
「モデルも良いけど、あなたの本職は歌でしょ?デビューの頃から全く歌の上手さが上達してないわ。それでは下火になるわよ。」
「……それはあいつらが……。」
「バンドの他のメンバーは少しずつでも良くなっているのよ。なのにあなただけが足踏みしている。さっさとボイストレーニングに通いなさい。遥人だってまだ通っているのだから。そうね。あたしなら、あなたがソロになっても、プロデュースはしたくないわ。恥はかきたくないの。」
 一気にまくし立てあげられ、紗理那も女性もぽかんとしていた。だが奈々子は少し笑うと、沙夜の方を見て言う。
「お茶を買いに行きましょう。スーパーがそこにあったのよ。」
「あ。はい。」
「栗ご飯なんて凄い久しぶりね。家でしか食べないもの。実家に帰ったときに食べたのが最後かしら。」
「それはずいぶん久しぶりですね。」
 沙夜はそう言って奈々子とともにスタジオをあとにする。その後ろ姿を見て、紗理那はまたやられたと拳を握った。
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