触れられない距離

神崎

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ピクルス

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 電車に乗り込むと、酔っ払ったOLや疲れた顔のサラリーマンなどがいた。沙夜は忙しいときはこの電車に乗ることも出来ないこともある。それでも朝起きて、朝食を作ってくれるのは、ありがたいと思うと同時に愛しいと思う。
 自分たちを売り込んでくれるのだから、頭が上がらない。
 良い曲を作って、その宣伝と雑誌に載ったり他のアーティストのライブのヘルプへ行ったりする事をして自分自身の手で売り込むこともあるが、「二藍」の売り込みのほとんどは沙夜の手で行われているのだ。
 CDにサインを書いたり、ポスターにサインを書いたり、CDショップ主催のライブなんかに出たり、ライブの手配をするのは、沙夜の仕事なのだから。
 だからこそ、先ほど紗理那が言ったような沙夜が五人と関係があるのでは無いかというような噂は立って欲しくない。そのためには遥人とゲイの関係では無いのかという噂は都合が良い。
 一馬と治には妻も子もいる。純は真性のゲイなのだ。そして遥人と翔にゲイの噂が立てば、沙夜が五人を銜え込んでいるなんて噂は消えるだろう。
 電車の壁にもたれかかりながら、翔はそう思っていたが内心複雑だった。
 ゲイの噂が立つのはかまわない。だがそれだと沙夜とはずっと一緒になれないのだ。沙夜が好きなのに、それを言えずにずっと黙っていないといけないのは辛い。このままだと沙夜は芹に惹かれてしまう。いつ芹と付き合うのと言われるかわからない恐怖がある。
「……。」
 そう思っていたときだった。携帯電話がメッセージがあると告げる。翔はそれを取り出すと、相手の名前にその周りを見渡した。そして向こうの椅子に座っている人を見た。それは沙菜だった。
「さっきの紗理那に言った言葉、スカッとしたよ。」
 そう言ってスタンプも送られていた。どうやら沙菜はあのゴタゴタを見ていたらしい。
「正直に言っただけだよ。」
 二人が公の場で会うことは出来ない。だから外の時はこうやって会話をしているのだ。
「あたしのことで、姉さんは迷惑かけてるみたいだね。」
「でも消えるよ。根も葉もないことは消えるんだ。」
「それでしょうがゲイだって噂が立っても良いの?」
「かまわない。事実じゃ無いことだから、俺のその噂もきっと消えるよ。いずれ遥人も結婚って話があるかもしれないし。」
「そうなったら、ゲイの噂消えるじゃん。翔も誰かと結婚するの?」
 その言葉を沙菜は打ち込んで、ため息を付いた。翔が誰かと結婚をする。その誰かとはきっと翔の中では沙夜しか考えられないのだろう。
「誰とはまだわからない。だけど、いずれはそうなるのかもしれない。」
 結婚願望はあるのだ。そしてその相手は沙夜としか考えられないはずなのに、翔はずっとそれを誤魔化している。紗理那にはあんなに正直に言ったのに、自分のことにはひどく臆病なのだ。
 しかし翔がそうしている理由は、沙菜にも何となくわかる。沙夜はがっつりと翔の仕事に関わっているのだ。もし付き合っただの、振られただの、付き合って駄目になっただのという話になれば面倒くさいことになる。それを恐れているのだろう。
 だがそれが何だというのだろう。ずっと指を咥えて、芹にでも取られるのを見守るのだろうか。
「だったらあたしと付き合わない?」
 そう打ち込んで沙菜はその文字を消す。沙菜もまたまだ言い出せずにいたのだ。AV女優だから仕事でセックスをするのがほとんどで、仕事で飽きるほど裸になってセックスをしても足りないこともあって、撮影後に逆ナンパをしてセックスをすることもあるのに本当に好きな人には告白の一つも出来ないのだ。
 沙菜の内面はまだ少女のようだと思う。
「その時みんなでお祝いが出来ると良いね。」
 無難な文字を打って、送信する。その時アナウンスが駅にもう少しで着くことを告げた。しばらくして電車が止まると、ドアが開く。翔はそのまますぐに降りていき、そして沙菜も立ち上がるとその電車を降りていく。

 ヒールを鳴らして、家へ歩いて行く。駅からは歩いて十分ほど。あまり遠くは無い。だから一緒の方向だと思われたくないと、沙菜はわざと途中でコンビニに寄ってお茶を買う。時間はずらした方が良い。翔と同じ家に住んでいるのを知っているのは、近所の、しかもごく一部に限られる。まぁ、知られたところで姉である沙夜も一緒だし、他に男も住んでいるのは知っている。他人同士が集まり、シェアハウスをしている人も多いのだ。ばれたところで何も無いだろう。
 家に戻ると、沙夜の部屋からは明かりが漏れていない。もう眠っているのだろう。そしてリビングへ向かうと、翔の姿があり、翔はキッチンでコップにお茶を注いで口にしているようだった。
「お帰り。」
「ただいま。ねぇ。翔。」
「うん?」
「前から紗理那にそんなに言い寄られていたの?」
 あんなにはっきりと翔が女性に言うところを見たことが無かった。いつものらりくらりと交わしていて、はっきりしたところを見たことが無かったから。
「この前の撮影で一緒になったんだ。だけど、あんなに露骨に言われると思ってなかったしね。」
「付き合ってみれば良いのに。良いところもあるかもしれないわ。割と良いところもあるのよ。」
 すると翔は首を横に振る。
「最初から合わないと思ってた。俺はファッションのことは興味が無い。あっちは音楽についてこだわりがあるわけじゃ無い。それに……沙菜のことも言っていた。」
「あたしのこと?」
 驚いて沙菜は翔に聞く。これを言うと沙菜の紗理那に対する印象はますます悪くなるだろう。それでも誤魔化すことは出来ない。沙夜のためにも。
「どんな相手でもセックスをしないといけない。それが仕事だから。だから自分にはそんなことは出来ないとね。」
「……そんなこと?」
 沙菜にとっては常に言われていることだった。日常の言葉で、もっとひどいことを言われていることもあったり、それだけでは無くSNSなんかにはいつもDMでセックスをさせて欲しいと自分の性器を写真で送る人もいる。だから宣伝のためにSNSをしているがDMは開かない。
 ひどいのは、自分の彼氏が沙菜に気持ちを持っていかれたと逆恨みのようなメッセージが送られてくる。それを見ているだけで気持ちが悪くなるのだ。
「日常なのよ。でも否定もしないし、実際、あたしはセックスを喜んでする人だもの。だからそんなこと?って返すこともするわ。事実を言われて否定はしない。」
「沙菜は強いな。」
 すると沙菜は首を横に振る。そしてぽつりと言った。
「そうじゃないと、保てないのよ。将来のことを考えると、暗くなるわ。」
 同居する四人の中で沙夜が一番安定しているのかもしれない。なんせ会社勤めで、席がある限り安定しているのだ。
 翔と芹は作品を生み出せば、収入を得ることは出来るだろう。
 だが沙菜は若いうちにしか出来ないことをしている。引退したらどうするのか。そればかりを考えていた。
「資格は?」
「あたしね。一応医療事務は出来るの。」
「医療事務?」
「そういう資格を取ったこともあるわ。でも多分無理かな。病院で働くのは。」
 いつもメイクをしているあの女性を思い出す。AVに出ていたと言うだけで、レ○プされかけたこともあるのだ。世の中にとってはその程度のイメージなのだろう。
「辛いね。」
「ごめんね。なんか愚痴っちゃって。お風呂先に入ったら?明日、早いんでしょう?」
「沙菜も早いんじゃ無いのか。地方へまた行くんだろう。」
「まぁね。でも気にしなくても良いわ。」
「良いから先に入ってきなよ。男のあとも嫌だろう?追い炊きしておこうか。」
 コップを置いて、翔は奥にあるバスルームへ向かう。その背中を見て、抱きしめたいと思う。
 AVの撮影なんかで、したことがある。幼なじみの男の家に行き、お風呂を沸かしてくれているその脱衣所でセックスをするのだ。
 だが翔相手にそんなことが出来るはずが無い。本当に好きだから。本当に好きなら、手を出すのを簡単にできないその翔の気持ちは痛いほど沙菜にわかるのだ。
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