触れられない距離

神崎

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ポテトコロッケ

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 沙菜が駅の方へ向かったのを見て、慎吾は携帯電話を取り出す。そしてある女に連絡を入れた。おそらく自分がしたことは、沙菜にとって良い影響になったのだ。仕事の幅を広げてくれたと喜んでいると、メッセージを送ると女から着信がすぐに入った。その口調は大分怒っているように聞こえる。
「自信満々だったじゃない。日和を牝奴隷にするって。」
 ヒステリックな女の声に慎吾は思わず携帯電話から耳を離した。そして女に言う。
「そのつもりだったけど、だったら牝奴隷になるって女なんだから、あれは将来スカトロでもしそうだ。」
 それでもギャンギャンと文句が出てくる。体の相性は悪くない女だったが、うっとうしい。慎吾はそう思って携帯電話の通話を終わらせると、女の連絡先をブロックした。もう連絡をすることは無いと思っていたのだ。
 沙菜に連絡することはないかもしれないが、沙夜には連絡をしてみたい。地味にしているが相当良い体をしているのがわかるから。
 だが邪魔なのは兄である翔だろう。翔をなんとか出来ないだろうか。そう思いながら、町の方へ歩いて行く。するとビルから見覚えのある人が出てきた。それは翔だったのだ。まずいな。あまり関わりを持ちたくないのに、タイミングが悪すぎる。そう思っていたときだった。翔の方が慎吾に気がついて慎吾の方へ近づいていく。
「慎吾。」
「兄さん。元気だったのか。」
「あぁ。おかげさまで。」
「この間のテレビは見た。ドラマの撮影の合間にちょうど兄さんのステージだったよ。」
 主演する女優が「二藍」のファンだと言っていた。なので慎吾も渋々そのステージを見ていたのだ。
「ミスしてさ。動画も上がって居るみたいだけど消したいよ。」
 誰がわかるんだ。そんな細かいミス。慎吾はそう思いながら翔を見る。
 翔はいつもそうだった。音楽をするのが楽しいと思っているようなのに、その音楽には満足出来ていないのだ。ミス無く演奏しきっていても「あそこはこうすれば良かった」とかばかり言っている。聴いている人はほとんどが音楽を専門にしているわけでは無いのに。
「こんな建物になんか用事があるの?」
 そう言って慎吾はそのビルを見上げた。一階はカフェのようだったが、もう閉まっているように見える。どちらにしてもお洒落な建物でそのほかの洋服屋なんかがあるようだ。いずれももう時間的に閉店しているようだが。
「ここの三階はデジタル音楽を扱う楽器屋さんでね。」
「あぁ。」
 仕事のような用事だ。翔はお洒落なんかに全く興味が無い。田舎に引きこもっていた時期は茶畑を手伝っていた時の格好を、世の中に晒してやりたいと思うくらいダサかったのだ。
 それがファッション誌なんかに載っているのを見ると、笑いがこみ上げてくる。
「慎吾は何をしていたんだ。」
「別に。仕事だったんだけど、知り合いがナンパに絡まれててちょっと手助けをね。」
「慎吾はそう言うところがあるよな。うちの担当にも声をかけてくれたんだろう。」
「え?」
「前にスタジオを間違えて行ったら、声をかけてくれたと言っていたよ。そういうのを見捨てられないのは昔からだな。」
 嫌みか。沙菜の連絡先が知りたくて沙夜をつけ回していたのは知っているだろうに、どうしてそうとしか取らないのだろう。慎吾が翔を苦手にしているのはこういうところなのだ。
「兄さんは今は父さん達の家に居るんだろう。広すぎないか。元々あそこに四人済んでいたわけだし。一人だと……。」
「同居人がいるんだ。」
「え?」
 その話を始めて聞いた。実家に近寄っていなかったが、まさか他人を住まわせているというのだろうか。
「何を考えているんだよ。他人を住まわせるなんて……。」
「お前に連絡が取れなかったから、母さん達が俺に声をかけたんだ。どうせ俺もこっちに出てこないといけなかったし、それに税金とかを考えると人を住まわせた方が良いし。」
「まさか女じゃないよな。」
「女もいるよ。けど男も他に居るし。」
「だったら女なんか連れ込めないじゃん。良いのか。」
 噂ではゲイだという話もある。同居人が男にしても女にしても、どちらも翔の恋人である可能性はあるのだ。
「良いよ。今は恋人は作りたくないし。仕事しか見たくないから。お前だってそうだろう?」
「……。」
「この間、ドラマに出ていたな。見たよ。」
「ちょい役しかまだもらえないし、あと再現ドラマとかしか……。」
「それでもテレビに出れるだけ凄いだろう。母さんから連絡が来たよ。あっちでもインターネットを使えば見れるんだと。」
「へぇ……。」
「嬉しそうだった。だから、あまり危ない橋を渡るような真似はしない方が良い。」
「……。」
「迷惑だけはかけるなよ。」
 翔はそう言って行ってしまった。その後ろ姿を見て舌打ちをする。
 翔は、昔から慎吾を出来の良い弟してしか扱わない。それは慎吾が昔、演劇の学校へ行っていたときに端役としてしか出演しなかったのに、それがきっかけで有名な劇団から声がかかったことがきっかけだろう。
 翔は三十までうだつが上がらなかったのに、慎吾はいきなりそんなところから声がかかったのだ。それでなくても全てのことで慎吾の方が勝っていた。だから翔はいつも慎吾に対して、出来が良いと言っていたのだろう。
 だが慎吾はそんな翔が疎ましかった。出来が良いわけではないと、わざと出張ホストに籍を置いていたこともあるのに、「食べていくためには仕方ないよな」としか言わなかったし、あまつさえ「俺には初めて会う女性の体に触れるなんて出来そうにないよ。凄いな。慎吾は。」という嫌みにすら取れるようなことを言う始末だ。
 だから翔に会いたくなかった。だが翔のそばには沙夜が居る。どうやったら沙夜に近づけるだろう。
 そう思いながら慎吾はまた夜の町を歩いて行っていた。

 どうやら一番最後に帰ってきたらしい。翔はそう思いながら、玄関にあるピンクのサンダルを見ていた。それは沙菜のモノだったからだ。
 リビングに入ると、美味しそうな匂いがした。揚げ物の匂いのような気がする。
「お帰り。」
 ダイニングテーブルには沙菜がいて、食事をしていた。どうやら今日はコロッケらしい。
「ただいま。」
「おう。お帰り。」
 芹もソファーに座ってテレビを見ている。どうやらバラエティ番組を見ているようだ。芹が好きなお笑いの人たちがコントをしている。
「くそ面白いよな。こういう発想ってどっから出てくるんだか。」
「芹はコミックソングは作らないの?」
「作ることもあるけどさ。あまり受けは良くねぇんだよ。男に捨てられるような女の未練がましい曲ばっか。」
「それが良いって言う人は多いね。ん?沙夜は?」
「風呂。」
 時計を見るとそんな時間なのかと納得した。翔はそれを確認すると、自分の部屋へ戻ってくる。荷物を置いてパーカーを脱ぐと、その荷物の中からパンフレットを取りだした。新製品の機材は良いようだ。だが買うとなると、若干尻込みする。なんせモノによっては、車が買えるくらいの値段を出すモノもあるのだから。
「んー。どうするかなぁ。」
 そう思いながら、そのパンフレットを置く。そしてそのままリビングに戻ってくると、沙夜がもう風呂から上がって来たらしく、いつもの部屋着に髪を上でまとめていた。普段は見ないうなじが見えて、少しドキッとするようだ。
「お帰り。ご飯は用意しようか。」
「良いよ。自分で出来るから。」
「そう。だったら良いけど。で、どうだったの?」
「何が?」
「新しい機材。あれだったら新しいアルバムのアレンジに入れても良いと思うけど。」
 すると翔は少し笑って言う。
「ほら、沙夜ならわかるだろ?あぁいう機材って、右から左にすぐ買えるモノじゃないからさ。」
 するとテレビを見ていた芹が翔に言う。
「だったらさ……企業と提携するとか出来ないのか。」
「提携?」
「大きいレコード会社なんだからさ、楽器のメーカーなんかと提携出来たら新しい機材なんてボンボン……。」
「無理。」
 自分が前に勤めていたところもデジタルサウンドに力を入れていた。そこはいい辞め方ではなかったので今更顔向けは出来ないだろうし、他のメーカーと提携すればその自分が勤めていたメーカーに喧嘩を売っていることになる。
 どちらにしても無理なような気がした。
「そっか。その問題があったか。」
「でもまぁ……芹が言うことも間違いじゃないよ。そう出来たら良いなぁとは思うけどね。」
「あとは使い方ね。」
「使い方?」
 そう言うと沙夜は翔を見て言う。
「どんなに良い機材を使っても扱う人間の腕次第って事でしょ。期待してるわ。新しいアルバム。」
 その言葉に翔は少し笑った。今まで沙夜は「これは良い出来だ」と言われたことは無い。だから今度こそ、沙夜に良い出来だったねと言われたいと思った。
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