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シュークリーム
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また報告することが増えてしまった。沙夜はそう思いながら、パソコンに向き合う。SNSでの「二藍」の評判は良いようだ。音楽的にも洗練されてきた感じもあるし、海外からの声もあるようだ。だがその分、今日の夜のようなことはこれから増えるだろう。つまり出待ちをして、写真を撮ったりすることだ。そんなことをされればどこでどう流出するかわからない。それに「二藍」はあまり露出をしないことで人気があることもある。遥人は割と出ていてCMに出たり、映画にも出ることがあるが他のメンバーは音楽以外のことはしたくないスタンスだ。唯一翔だけは渋々と言った感じでモデルをすることもあるが、それも声がかかったらという感じで、自分からガツガツ取りに行ったりしない。
「……やっかみもあるのかしらね。」
デビューしていきなり売れたのだ。一発屋だという声もあったが、その勢いは止まるところを知らない。だからこそ、足を引っ張ろうという輩も多いのだ。
「泉さん。」
隣で同じように雑務をしている朔太郎が声をかける。
「はい?」
「車の運転は出来るかな。」
「しばらくしていないですね。」
「社用車の話は来てない?」
「……個々の活動もあるし、メンバーが集まって活動するのは結構限られているからと思っていたんですけどね。」
「俺もそう思ってたよ。」
朔太郎はそう言ってため息を付いた。どうやら朔太郎も同じような目に遭ったらしい。テレビ局で会ったときには無かった頬に引っかかれたような傷があったからだ。
「大丈夫だって表から出たのは良くなかったですね。」
「そこまで人気があると思ってなかったから。だって売り上げランキングがそこまで高くないのに。」
「ファンは多くないのかもしれませんが、熱狂的なファンがいるということでしょうね。うちもそうです。」
「「二藍」はもう少しこう……万人受けしているように俺は思えるけどね。」
「そうでしょうか。まぁ、どっちにしても社用車が貸してもらえるかどうかは問い合わせてみましょう。せめてバンドで活動するときくらいは。」
「俺もそうしてみるよ。」
小火のことは明日にならないとわからない。テレビ局がまだ調べているところだからだ。警察沙汰にしたくないらしく、警察もどきのスタッフがあのコードを断線させた女性を調べているのかもしれない。
時間の問題だ。
裕太は二度とあのテレビ局に呼ばれないだろう。そう思いながら、沙夜はパソコンに文字を打ち込んだ。
やっと業務が終わり、駅前まで行くとタクシーに乗り込んだ。家まで告げると運転手は何も言わずに車を運転している。
運転は慣れないといけないな。おそらく移動をするのに楽器を可能な限り積み込むとしたら、大きめの車を用意されるだろう。そんな大型のバンなんかの車を運転したことは無い。というか車の免許は持っているがペーパードライバーなのだ。こんなところでつけが回ってくると思ってなかった。
その時タクシーがつけていたラジオから、聞き覚えのある声が聞こえた。それは遥人の声だろう。
「夜遅くに悪いねぇ。しかも歌番組に出たばっかでしょ?疲れてない?」
「オジン扱いするなよ。まだ三十だし。」
「ははっ。」
パーソナリティは遥人と個人的に付き合いもある歌手だった。男前なのに遠慮無く下ネタをいってくることも好感度が上がるらしいのだ。それに遥人も遠慮はしない。普段は女なんてというスタンスなのに、案外興味はあるようだ。
まぁ普通の三十であれば普通か。
沙夜はそう思いながら、タクシーの背もたれにもたれかかった。
「ファンが多くなったろ?遥人の場合、危ない女とかいない?」
「危ないってどういう意味だよ。」
「俺もあったけど、ツアーの時にどこで知ったのかホテルの前で待ってたり。」
「あー。今日、出待ちされてさ。」
「人気者。」
「からかうなよ。」
ドキッとした。さっきのことを話すつもりなんだろうか。いらないことは話さないで欲しいのに。
「写真撮ったりとかは無理なのよ。俺ら。」
「へぇ。何で?」
「ネットとかに流されるから。個人で楽しみますって口約束だけなら、信用出来ないじゃん。」
「そうだなぁ。」
「それでも無理矢理写真撮ろうとしたファンがいたりしてさ。」
「そこまでするとファンじゃ無いよな。ルールは守ってこそのファンだろ。」
「確かに。溜まってるなら、俺に似たようなホストとかいるだろ。ゴロゴロ。」
「いねーよ。」
軽い口調だが、遥人の声は厳しい。それだけ遥人もいらついていたのかもしれない。沙夜は本当に恵まれている。あの五人の担当で良かったと、心から思っていた。
「へぇ……。」
それまで黙っていた運転手が信号で止まり、初めて口を開いた。
「どうしました。」
「ラジオ番組でね。娘がこの……遥人って言う歌手が好きでね。」
「はぁ……。」
「写真なんかも見せてもらって、首にほら入れ墨なんかもあったしちょっとチャラい男だと思ってたんだよ。でも案外しっかりしているんだね。」
「……そうですね。」
「見た目じゃ無いんだねぇ。」
「えぇ。」
信号が青になり、タクシーは進んでいく。そして家の前に付くと、支払いを済ませてタクシーを降りた。家の電気は消えていそうだ。もうとっくにみんな寝ているだろう。
明日の朝食は、ご飯にしたい。今日はパンだったから、ご飯が食べたいと思う。それなら、帰ってまず米をとがないといけない。そう思いながら玄関のドアの鍵を開ける。そして家に入ると、まず自分の部屋へ向かいバッグを下ろした。
「った……。」
スーツのジャケットを脱いだとき、ふと手の傷が袖に引っかかったのだ。それだけでは無い。どうやらこけたときにあらゆるところを擦ったらしい。電気をつけると、手のひらが赤い。多分ここだけでは無いだろう。
今日は風呂がバッチリ染みそうだな。そう思いながら沙夜はジャケットをハンガーに掛ける。すると部屋のドアがノックされた。
「はい。」
ドアを開けると、そこには翔の姿があった。
「どう?どこか痛いところは無い?」
そうだ。翔の目の前でこけたのだから、翔が知らないわけが無い。
「平気。痛いところは自分でなんとか出来るわ。」
「薬。買ってきたから。」
「ありがとう。」
あのあとドラッグストアにでも行ってきたのだろうか。そう思いながら難航タイプの薬を手渡した。
「火傷にも効くの。万能ね。」
「俺、怪我をしたときはこればかりでね。」
「そう。」
沙夜は元々活発に動くタイプでは無かった。子供の時は絆創膏が手放せなかったという子供が多かった中で、怪我をしたらモデルが出来ないと母親がそれを強制していたとも言える。
今となってはどうでも良いが。
「塗ってあげようか。」
「良いわ。自分でなんとかするから。お風呂から上がったら……。」
すると翔はしゃがみ込んで、沙夜のスラックスに触れる。それに沙夜は驚いて、翔を見た。
「何?」
「破れてる。」
「え?」
スラックスが破れて肌が見える。おそらく地面に擦れて、布も破いてしまったのだろう。
「賠償金をもらいたいくらいだ。」
「融通が利かなかったのも悪いって言われたわ。」
それは上司からだった。軽く考えている上司に、沙夜はあまり賛同は出来ない。どんなところからほころびが現れるのか、この上司には理解が出来ないのだろうか。
「そんなことは無いよ。沙夜は守ってくれたから。」
「……翔。そんなに私は立派なことはしていないわ。担当がアーティストを守るのは当然なんだから。」
「でも、俺は沙夜が傷つくのを見たくない。こんな火傷を作ったり、傷をつけられたりするのは度が過ぎていると思う。」
翔がこんな事を言うのは初めてかもしれない。沙夜は少し驚いたが、翔の言葉に少し笑った。
「ありがとう。心配してくれて。」
「ごめん。ちょっと言い過ぎたかな。」
すると沙夜は首を横に振った。
「薬は一人で塗るわ。ありがとう。」
「明日の朝食は俺が作るよ。沙夜は少し寝た方が良い。明日も仕事なんだろう。」
「そうだけど……。」
「作れないことは無いから。沙夜ほど美味しいとは思えないけど。」
「私だって大したものを作っているつもりは無いわ。」
翔は立ち上がると、沙夜を見下ろす。このまま抱き寄せたかった。愛しているといいたかった。しかしそれは沙夜が望んでいない。嫌がるのを無理矢理したくなかった。また臆病な自分が顔を覗かせる。
「……やっかみもあるのかしらね。」
デビューしていきなり売れたのだ。一発屋だという声もあったが、その勢いは止まるところを知らない。だからこそ、足を引っ張ろうという輩も多いのだ。
「泉さん。」
隣で同じように雑務をしている朔太郎が声をかける。
「はい?」
「車の運転は出来るかな。」
「しばらくしていないですね。」
「社用車の話は来てない?」
「……個々の活動もあるし、メンバーが集まって活動するのは結構限られているからと思っていたんですけどね。」
「俺もそう思ってたよ。」
朔太郎はそう言ってため息を付いた。どうやら朔太郎も同じような目に遭ったらしい。テレビ局で会ったときには無かった頬に引っかかれたような傷があったからだ。
「大丈夫だって表から出たのは良くなかったですね。」
「そこまで人気があると思ってなかったから。だって売り上げランキングがそこまで高くないのに。」
「ファンは多くないのかもしれませんが、熱狂的なファンがいるということでしょうね。うちもそうです。」
「「二藍」はもう少しこう……万人受けしているように俺は思えるけどね。」
「そうでしょうか。まぁ、どっちにしても社用車が貸してもらえるかどうかは問い合わせてみましょう。せめてバンドで活動するときくらいは。」
「俺もそうしてみるよ。」
小火のことは明日にならないとわからない。テレビ局がまだ調べているところだからだ。警察沙汰にしたくないらしく、警察もどきのスタッフがあのコードを断線させた女性を調べているのかもしれない。
時間の問題だ。
裕太は二度とあのテレビ局に呼ばれないだろう。そう思いながら、沙夜はパソコンに文字を打ち込んだ。
やっと業務が終わり、駅前まで行くとタクシーに乗り込んだ。家まで告げると運転手は何も言わずに車を運転している。
運転は慣れないといけないな。おそらく移動をするのに楽器を可能な限り積み込むとしたら、大きめの車を用意されるだろう。そんな大型のバンなんかの車を運転したことは無い。というか車の免許は持っているがペーパードライバーなのだ。こんなところでつけが回ってくると思ってなかった。
その時タクシーがつけていたラジオから、聞き覚えのある声が聞こえた。それは遥人の声だろう。
「夜遅くに悪いねぇ。しかも歌番組に出たばっかでしょ?疲れてない?」
「オジン扱いするなよ。まだ三十だし。」
「ははっ。」
パーソナリティは遥人と個人的に付き合いもある歌手だった。男前なのに遠慮無く下ネタをいってくることも好感度が上がるらしいのだ。それに遥人も遠慮はしない。普段は女なんてというスタンスなのに、案外興味はあるようだ。
まぁ普通の三十であれば普通か。
沙夜はそう思いながら、タクシーの背もたれにもたれかかった。
「ファンが多くなったろ?遥人の場合、危ない女とかいない?」
「危ないってどういう意味だよ。」
「俺もあったけど、ツアーの時にどこで知ったのかホテルの前で待ってたり。」
「あー。今日、出待ちされてさ。」
「人気者。」
「からかうなよ。」
ドキッとした。さっきのことを話すつもりなんだろうか。いらないことは話さないで欲しいのに。
「写真撮ったりとかは無理なのよ。俺ら。」
「へぇ。何で?」
「ネットとかに流されるから。個人で楽しみますって口約束だけなら、信用出来ないじゃん。」
「そうだなぁ。」
「それでも無理矢理写真撮ろうとしたファンがいたりしてさ。」
「そこまでするとファンじゃ無いよな。ルールは守ってこそのファンだろ。」
「確かに。溜まってるなら、俺に似たようなホストとかいるだろ。ゴロゴロ。」
「いねーよ。」
軽い口調だが、遥人の声は厳しい。それだけ遥人もいらついていたのかもしれない。沙夜は本当に恵まれている。あの五人の担当で良かったと、心から思っていた。
「へぇ……。」
それまで黙っていた運転手が信号で止まり、初めて口を開いた。
「どうしました。」
「ラジオ番組でね。娘がこの……遥人って言う歌手が好きでね。」
「はぁ……。」
「写真なんかも見せてもらって、首にほら入れ墨なんかもあったしちょっとチャラい男だと思ってたんだよ。でも案外しっかりしているんだね。」
「……そうですね。」
「見た目じゃ無いんだねぇ。」
「えぇ。」
信号が青になり、タクシーは進んでいく。そして家の前に付くと、支払いを済ませてタクシーを降りた。家の電気は消えていそうだ。もうとっくにみんな寝ているだろう。
明日の朝食は、ご飯にしたい。今日はパンだったから、ご飯が食べたいと思う。それなら、帰ってまず米をとがないといけない。そう思いながら玄関のドアの鍵を開ける。そして家に入ると、まず自分の部屋へ向かいバッグを下ろした。
「った……。」
スーツのジャケットを脱いだとき、ふと手の傷が袖に引っかかったのだ。それだけでは無い。どうやらこけたときにあらゆるところを擦ったらしい。電気をつけると、手のひらが赤い。多分ここだけでは無いだろう。
今日は風呂がバッチリ染みそうだな。そう思いながら沙夜はジャケットをハンガーに掛ける。すると部屋のドアがノックされた。
「はい。」
ドアを開けると、そこには翔の姿があった。
「どう?どこか痛いところは無い?」
そうだ。翔の目の前でこけたのだから、翔が知らないわけが無い。
「平気。痛いところは自分でなんとか出来るわ。」
「薬。買ってきたから。」
「ありがとう。」
あのあとドラッグストアにでも行ってきたのだろうか。そう思いながら難航タイプの薬を手渡した。
「火傷にも効くの。万能ね。」
「俺、怪我をしたときはこればかりでね。」
「そう。」
沙夜は元々活発に動くタイプでは無かった。子供の時は絆創膏が手放せなかったという子供が多かった中で、怪我をしたらモデルが出来ないと母親がそれを強制していたとも言える。
今となってはどうでも良いが。
「塗ってあげようか。」
「良いわ。自分でなんとかするから。お風呂から上がったら……。」
すると翔はしゃがみ込んで、沙夜のスラックスに触れる。それに沙夜は驚いて、翔を見た。
「何?」
「破れてる。」
「え?」
スラックスが破れて肌が見える。おそらく地面に擦れて、布も破いてしまったのだろう。
「賠償金をもらいたいくらいだ。」
「融通が利かなかったのも悪いって言われたわ。」
それは上司からだった。軽く考えている上司に、沙夜はあまり賛同は出来ない。どんなところからほころびが現れるのか、この上司には理解が出来ないのだろうか。
「そんなことは無いよ。沙夜は守ってくれたから。」
「……翔。そんなに私は立派なことはしていないわ。担当がアーティストを守るのは当然なんだから。」
「でも、俺は沙夜が傷つくのを見たくない。こんな火傷を作ったり、傷をつけられたりするのは度が過ぎていると思う。」
翔がこんな事を言うのは初めてかもしれない。沙夜は少し驚いたが、翔の言葉に少し笑った。
「ありがとう。心配してくれて。」
「ごめん。ちょっと言い過ぎたかな。」
すると沙夜は首を横に振った。
「薬は一人で塗るわ。ありがとう。」
「明日の朝食は俺が作るよ。沙夜は少し寝た方が良い。明日も仕事なんだろう。」
「そうだけど……。」
「作れないことは無いから。沙夜ほど美味しいとは思えないけど。」
「私だって大したものを作っているつもりは無いわ。」
翔は立ち上がると、沙夜を見下ろす。このまま抱き寄せたかった。愛しているといいたかった。しかしそれは沙夜が望んでいない。嫌がるのを無理矢理したくなかった。また臆病な自分が顔を覗かせる。
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