触れられない距離

神崎

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シュークリーム

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 他のアーティストの演奏は、出演者で時間があるなら見てもかまわないという話だった。それを聞いた治は嬉しそうに、加藤啓介のステージを見に行ったらしい。そこでもパスは有効なのだ。
「あれが、加藤啓介の息子?」
「血の繋がりは無いそうです。」
 一度目の結婚で妻になった女。離婚をして再婚をしたとき、その妻は別の男との子供を連れていた。どうやら加藤啓介は三度結婚したが子供が出来なかったらしい。
 だからそのもう大人になった子供が、音楽の道へ来てくれて嬉しいのだろう。
「……んー……こういっちゃあなんだけど。」
「まだ力不足ですね。花岡さんが上手く合わせてますけど。」
 まだ若いからと言うのはいいわけにしかならない。若くても年寄りでも、やることはやらないといけない。それがプロなのだから。
「マネージャーさん。」
 声をかけられて沙夜は振り返った。そこには裕太の姿があったのだ。裕太もこのステージを見に来たのだろうか。
「マネージャー?」
 治が可笑しそうに笑う。勘違いされるのは無理も無いだろう。マネージャーのように沙夜はついて回っているのだから。
「どうしました。出番まで時間があるんですか。」
「あぁ。あと一時間くらい。」
 翔はもうスタジオへ入っている。旭とまだ打ち合わせをしているのだ。
「バンドのメンバーと居なくて良いんですか。担当の方は?」
「大手と違って、「Harem」の担当は、他のアーティストとも兼業していてね。まぁ、俺ら一ステージだけだし。」
「……。」
 加藤啓介がスタジオにやってきた。短い髪を刈り上げて、痩せているように見えるそれは病的にも見える。だがそのカリスマ性は健在らしく、スタジオに入っただけで拍手が巻き起こった。
「加藤啓介か。一馬を気に入っているみたいだな。」
「あぁ。あんた、一馬と同じバンドだったんだって言ってたな。」
 治がそう言うと、裕太は少し笑って言う。
「運の良いやつだよ。普通のベーシストが、あそこまでちやほやされることは無いのに。」
「……ちやほや?」
「あぁ。悪い。言い過ぎたか。」
 楽してちやほやされているとでも思っているのだろうか。普段温厚な治すら眉をひそめていた。
「花岡さんは昔から加藤さんのスタジオミュージシャンのようなことをしていました。だから声をかけたんだと思いますけど。」
 それは前のバンドが解散したときからの繋がりだった。一馬はバンドを組まずにスタジオミュージシャンのような事ばかりしていたのだ。端から見れば、一馬は「落ちた」という状態だったのかもしれない。そして今は這い上がったとでも言うのだろうか。どちらにしても失礼な言葉だ。
「マネージャーさん。ちょっと話があるんだけど。」
「話?ここでですか?」
「事務所の移籍は出来ないと思うけど。」
 治はそう言ってからかうように裕太に言う。だが裕太の狙いはそんなところでは無い。
「そうじゃないよ。俺らだって、まだ「Harem」は続けたいんだから。」
「だったら何ですか。」
 沙夜は腕を組んで裕太を見る。すると裕太は少し笑って言った。
「弟を知っているのかな。」
「弟?」
 弟と言うことも知らないだろうか。あの後ろ姿は芹だと思っていたのに。それを確認したいだけだった。
「弟は芹と言うんだ。」
 その名前に治は心の中で驚いていた。まさかこんな軽い男の弟が、餃子の会の時にいた芹だというのだろうかと。だが沙夜は首を横に振って言う。
「いつの話をしていますか。」
「さっき。外で会っていただろう。」
「誰のことを言っているのだか。人違いじゃ無いですか。」
「いいや。君だった。そして男とそこの公園で……。」
 ディレクターが咳払いをした。本番が始まるのだろう。その声に三人は黙り込む。

 本番を終える度に、SNSの反応が大きくなる。加藤啓介のステージの時は尚更だった。昔の勢いが無くなった。いや、年を取ったら取ったで味があるなど反応は様々だったが、病気にしてはいいステージだったと思う。そしてベースを手にした一馬は治のところへやってきた。そしてその後ろにはドラムスティックを握った若い男がいる。それが加藤啓介の血の繋がりの無い息子だった。
「初めまして。俺、橋倉さんのファンで……父さんから、あぁいうプレイを参考にしろと言われて……。」
 これだけ熱狂的に治のファンだという人は珍しい。一馬は遠巻きに見ながら、少し笑っていた。
「どうしても会わせて欲しいと言われてな。」
「かまいませんよ。事務所は違いますが、ファンだと言うだけなら別に良いと思います。」
 沙夜はそう言って一馬にパスを手渡した。裕太の姿はもう無い。一馬には顔を合わせづらいのだろう。
「泉さん。裕太も来ていたのか。」
「えぇ。加藤さんを見たいと。」
「どうせ、最後だからとかなんとか言ったんだろう。」
「……縁起でも無いことを言ってました。」
「お前の方が最後になるかもしれないと言っておけ。」
 一馬も裕太を許せない感情があったのだろう。一度ならまだしも、二度、陥れようとしたのだ。それがわかりきっぱり一馬は裕太と連絡をつけないようにしていたのだ。
「ところで……泉さん。」
「はい?」
「遥人のステージを見ることは出来ないだろうか。」
「みんなそれぞれのステージが見たいんですね。」
 ここまで仲が良いバンドも珍しいだろう。つかず離れずの関係は、また急激に近くなりそうだ。
「その後千草さんと夏目さんのも?」
「純のステージは確かに気になるよな。」
 治はそう言って笑っていた。
「橋倉さんが行くなら俺も……。」
 すると遠くで声がした。それは息子を呼ぶ啓介の声だったのだ。
「あー……お叱りかなぁ。」
「行ってこいよ。」
 今日のステージで気になるところがあったのだろう。体に鞭を打っても、息子を成長させたいという啓介の心は、今のところ息子には届いていない。
「あの息子はどうだ。一馬。」
「悪いプレーヤーじゃ無いが、もう少し基礎をしっかりした方が良い。あと自分のことでアップアップしているから、もっと周りの音を聴くべきだな。」
「そうか……。」
 治はもっと具体的なことを思っていたのだろう。だがただここであっただけの男に、ここまで言っていいのかという迷いもあったのだ。
「例えばだ。治。」
「何?」
「レッスンをして欲しいと言われたら、あの息子にするか?」
 すると治は肩をすくませて言う。
「どうかな。」
「え?」
 すぐに受けると思っていた。だが治はぽつりと言う。
「俺はこの場所を確保するのに、結構時間も手間も金もかかってるんだ。それを脅かすようなプレイヤーを、育てたいとは思わない。」
「……。」
「驚異なんだよ。だから、塩を送るような真似はしたくない。」
 温厚そうに見えた。だが治にもプライドはあるのだ。それを一馬は初めて知った。
「次は遥人のステージか。どうなんだろうな。あの曲、結構難しいけど。」
 沙夜にとって、遥人のステージが翔のステージの次くらいに嫌だった。状況が状況なだけに、口添えをしたが本当ならそんな真似をしたくなかったから。
「きっと跳んで跳ねますよ。」
「なんだよそれ。三人で演奏するんだろ?そんな曲じゃないし、バラードなのに跳んで跳ねるのか?」
 治は少し笑って、パスを手の中でくるくると回していた。
 スタジオをあとにする。その後ろには啓介が息子に何か言っていた。もうこの姿を見ることは無いかもしれない。一馬はそう思うと、心の中で礼を言う。学ぶところが沢山あったと。
 その一つ一つは、一番伝えたい人に伝われば良い。それは一馬の中でもう二人に増えているのだ。
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