触れられない距離

神崎

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シュークリーム

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 芹は家に帰ってくると、洗濯物が取り込まれている。沙菜が入れてくれていたのだ。だが畳んではいない。沙菜は着られれば良いとあまり綺麗に畳まないのだ。だから芹は沙菜に「入れるだけで良い」と言っておいたのだがその通りだったと思う。
 財布と携帯電話をソファに置くと、洗濯物を畳んでいく。すると玄関のドアが開いた音がした。
「ただいまぁって、芹帰ってたんだ。」
「あぁ。」
 洗濯物を畳んでいる。沙菜もバッグをソファにおいて、冷凍庫を開けると箱に入っているアイスを入れた。そして洗濯物のそばに座り、芹が畳んでいるように洗濯物を畳んでいく。
「違うよ。こっちを折って、こっちを合わせるんだ。」
「着られれば良いじゃん。どうせあたしのシャツだよ。」
 綺麗に畳んでおけば、折りじわがあまり気にならない。そんなことも気にしていないのだろうか。芹はそう思いながらシャツを畳んでいく。これは沙夜のモノだ。
「慌てて部屋を出て行って、何かあったの?」
 携帯片手に脱兎のように部屋を出て行ったのだ。そんな慌てた芹を見たことが無い。いつも他人に興味が無さそうなのに、芹がそんな様子になったのを初めて見た。それが気になったのだ。
「別に。」
「仕事?あぁ。姉さんは今日テレビ局に入り浸っているから?そんなに急ぐような仕事があったの?」
「お前聞き過ぎ。それよりもう少し綺麗に畳めよ。洗濯物。」
「うるさい男よね。タオルなんていつも使って洗濯機に入れるだけなんだからさ、別に綺麗に畳もうと畳むまいとどうでも良いじゃん。」
 こういう性格だから、雑な女なのだ。沙夜とは全く違う。双子だと言っていた割には、その辺は全く似ていないのだ。
「で、何かあったの?」
 沙菜はそう言って芹に聞く。すると芹はため息を付いて言った。
「別に。」
「姉さんがらみ?」
「何で沙夜……。」
「好きなんじゃん。」
 すると芹の顔が少し赤くなる。これでは言葉にしなくても好きだと言っているようなモノだ。そしてそれは沙菜にとって都合が良い。沙夜と付き合ってくれれば、翔は沙菜を見てくれるかもしれないのだから。
「……俺なんか見てないだろ。あいつ。」
「何で?芹って普段ボサボサだけど、男前じゃん。女性向けのAVに出られそうな感じ。」
「女性向け?」
「あたしなんかは出れないやつ。」
 男が主体のAVだ。まるでホストのような容姿で、甘い言葉を女に囁きセックスをするのだが、男性向けのAVよりも性表現はマイルドで女性よりも男性の方にスポットが当たっているモノは、女性はどんな気持ちで見ているのだろう。
「その趣味は無いな。大体、こんなの入れてる奴ってそういうの出れるのか?」
 そう言って芹は左肩にかかっている袖をめくりあげた。そこには黒一色の入れ墨がある。トライバルと言われる柄で、幾何学的な模様に見えた。
「そんなの入れてるの初めて知ったわ。何?お洒落?」
「決意だよ。」
「決意?」
「こういうのを入れてたら、女が本気になることなんか無いだろう。俺はもう女なんかに目を向けない。そのためのモノ。」
 しかし沙菜は口をとがらせて言う。
「でも姉さんは好きなんでしょう?」
「いくら好きでも……。」
「姉さんは入れ墨なんかで人を見ないよ。それにさ、入れ墨入れてる男優って結構いるよ。」
「ふーん。裸になるのに、入れ墨なんか入れたらこいつってわかりそうだけどな。」
「それがわかるのが嫌なら男優なんかしないでしょ?」
 それもそうだ。自分のように名前も姿も隠してまで仕事をしているわけでは無いのだから。
「ねぇ。何時からだっけ。テレビ。」
「六時。」
「それまでにお風呂入っておかない?」
「五時間もテレビ見るつもりかよ。」
「タイムスケジュールって無いのかな。翔が出てくるのだけでも……あと「二藍」を見たいわ。」
 本当に翔が好きなんだな。芹はそう思いながら、沙菜が携帯電話でそのタイムスケジュールを探しているのを見守る。
 そしてそれぞれの洗濯物を手にして部屋へ運んだ。勝手知ったるそれぞれの部屋だ。勝手に入っても誰も文句は言わない。沙菜に至っては、堂々とディルドが置かれていても、「だからどうした」といった感じではある。
 沙夜の部屋にはそんなモノは無い。というか、性の匂いすらしないのだ。それが心地良いのかもしれない。

 テレビ番組は生放送。それとリンクして、SNS越しでメッセージを視聴者が送ることが出来る。
 治の舞台の時は、「微笑ましい」「こんなお父さんは理想的だ」など好感触なメッセージが多かった。沙夜はそれを横目で見ながら、目を細める。おそらく治は普段している子供向けの楽器教室の延長線のような感覚でステージをこなしているのだから。少しぽっちゃりした体型も、アフロヘアも、ひげも、怖いという印象よりも人が良さそうだというイメージしか無いのだ。
「倉橋さん。あの……どこの楽器教室にいらっしゃるんですか。」
 スタジオでカメラの映らないところにいた保護者が、治に話しかけている。将来は役者なりタレントなりになるつもりだったのだろうが、こういうアーティストの道も良いと思っている親がいたのだろう。
 そしてその講師が治なら尚更いい。
「チラシをあげますよ。俺、居る曜日が限られているし、居ないときもあるから連絡は教室の方にしてみてください。」
「ありがとうございます。」
 そういう声は予想通りだ。だから沙夜はパスとともに、チラシも手にしていた。そのチラシに載っている授業料を見て、沙夜は少しため息を付く。自分が小学校へ上がるときにピアノをしたいと言って、親に教室に通わせてもらった。その時の授業料とは比べものにならないくらい高いのだ。そう思うと大学まで行ったのにプロになれなかった自分が、とても申し訳ないように思える。
「泉さん。チラシをもらえる?」
 ステージが終わりセットを変えている間、治は沙夜にチラシを求める。それを沙夜は手渡すと親にそれを手渡し、沙夜のところへ戻ってきた。
「パスを持って、楽屋へ戻ってください。お弁当は食べましたか。」
「食べたけど、芋ご飯食べようかな。ステージの間に。」
「倉橋さんは少し時間がありますからね。他のステージが見たければ、それでもいいですし。」
「うん……俺、個人的には加藤啓介のステージみたいと思ってたけどね。」
 最後になるかもしれないのだ。それを生で見たいと思うのは、音楽をしていれば当然かもしれない。
「……そうですね。観客席に紛れ込めば良いかもしれませんが。でも、気分は良くないかもしれませんね。」
「どうして?」
「素人が見れば代わりはわからないと思います。でもプロが見れば力の違いは明らかでしょうね。絶頂期と今の状態は。そんな姿を見せたいと思うでしょうか。」
 沙夜はそう言うと、治は少し頷いた。
「でもそれでも今できることを精一杯しようとしているんだ。それを見るのが悪いとは思わない。むしろ加藤さんは見て欲しいと思っているから、テレビに出ようと思ったんじゃ無いのかな。」
 その考えは無かった。自分が浅はかだと思う。
「そう……ですかね。」
「だから俺は見たいと思う。ディレクターに聞いてみても良いかな。」
「あ、だったら私が聞きます。少し待っていてください。」
 自分の音楽がさらされる。それが恥だと思っていた。だがあのとき、沙夜は自分が作った曲に自信があったのだ。だからそれを恥だと思ってなかった。
 過去の自分を否定しない生き方が、出来るのが羨ましいと思う。否定してばかりだ。それは自分だけでは無く、芹も同じだと思っていた。
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