触れられない距離

神崎

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芋ご飯

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 遥人のリハーサルは治のところと打って変わって静かなモノだった。有名ピアニストと朔太郎が担当するバンドのボーカリストである達也といわれている男。それから遥人の三人で歌う。
 緊張感のあるリハーサル風景に、朔太郎もピリッとしてその様子を見ていた。
「声の質は似ているんだけど……栗山さん。そのコブシはどうにかならないですか。」
 ピアニストがついに言ってしまった。沙夜はそれに頭を抱える。
 確かに歌を聴いていても、遥人と達也の歌い方はまるで違う。違う楽器で演奏をしているかのようだ。これは英語の発音云々の話ではない。和楽器と洋楽器の違いくらい違う。
 だが沙夜はそう思っていない。お互いが歩み寄らないのが一番悪いと思っていた。どちらもプライドが高いらしく歌を譲らない。キャリアを言えば、達也の方が上だろうか。だがそれはあくまでバンド歴であり、この業界にいることを考えれば遥人の方が上だろう。だからピアニストも遥人が寄せて欲しいと思っていたのだ。
「泉さん。ちょっと。」
 沙夜が遥人に呼ばれ、楽譜を一緒に見る。
「どこら辺で俺、コブシが効いてるように聞こえる?」
「そうですね……。」
 だが沙夜はそれが悪いとは思えない。歌う曲もスタンダードな洋楽なのだ。だからこそアレンジのしようがある。ジャズがこれと言った形が無いように、この歌もアレンジ次第でどうにかなるのでは無いかと思っていたのだ。
「……コブシというのは、いわゆるしゃくりとは違うみたいだな。ビブラートみたいなモノか。」
 達也はそう言うと、楽譜をまた見始める。達也は帰国子女になり、おそらくこの国のコブシというのは理解が出来ないのだろう。
「ビブラートとは少し違いますね。」
「だが似たように思える。ビブラートを相手が効かせると、それはうねりにならないだろうか。」
 デュエットで相手がビブラートを効かせて、もう一人も効かせると、それはもう聴けたモノでは無くなる。ピアニストはそれを恐れていたのだろう。
「栗山さん。なるべくそうですね……素直に伸ばすところは伸ばしてみたらどうですか。」
「……俺はこういう歌い方しか出来なくて、どうすれば良いだろうか。」
 朔太郎も達也に近づいて、譜面を見ている。三人がどうしたら良いだろうかと悩んでいるようだ。すると沙夜は首を横に振って言う。
「むしろ違う曲のようなアレンジではどうですか。」
「違う曲?」
「ベースはこの曲ですけど、少し和テイストを入れてみるとか。」
「ピアノ一本ではそこまで表現は出来ないだろう。」
 遥人はそう言うと、ピアニストはむっとしたように言う。
「出来ないことは無い。だったら少しアレンジを変えます。」
 プライドを傷つけられたそのピアニストは、またピアノに向かう。そして軽くその演奏を変え始めた。
 少し跳ねたり、装飾音を入れてみる。逆にシンプルにしてみたりして、先ほどの曲とは印象がガラッと変わった。
「……。」
 沙夜はこういうところがある。わざとあのピアニストのプライドを傷つけたのだ。それで聴ける曲にしようとしている。
 このままだとおそらく演奏自体がぐだぐだになると予想しての行動だったのだ。そして番組の、そして達也も遥人の評判も悪くなる。それを恐れて朔太郎にはそれが出来ない。沙夜は恐れずに声を上げた。それに聴く耳を持っている女だと思っていた。そしてそういう沙夜が朔太郎は好きだったのだ。
 だが沙夜に恋をするのは、月に恋をするようなモノだろうか。手が届かない気がしていた。それくらい、沙夜のセンスとプロ意識は格段に違うのだから。
「良いですね。じゃあ、ディレクターを呼んできます。」
 沙夜はそう言ってリハーサル室をあとにした。するとピアニストが笑い出す。
「まんまとあのマネージャーにやられたな。」
「そうですね。栗山さん。あんなマネージャーだったら、苦労するでしょ?」
 すると遥人は首を横に振る。
「あんなに口添えすると思わなかった。五人の時は何も言わないのに。」
 それくらい居ても立っても居られなかったのだろう。
 そして遥人は少し気になっていた。沙夜はどうして裏方に徹したのだろうと。どう考えてもプロデューサーになれるほどの力を持っているのに。

 一馬のところのリハーサルは、部外者を入れたくないと言うことで沙夜もその場には立ち会わなかった。その間、少し時間がある。沙夜は携帯電話を取りだし、今までの報告を会社にする。
 現在は一馬のところがリハーサルをしていて、これから純のところがリハーサルが始まる。純は緊張しているように思えたが、さすがにキャリアの長いバンドのメンバーだ。沙夜が口にしなくても、純の緊張をほぐしているように思える。
 大体そのバンドは純をずっと知っているらしく、死んだギタリストの代わりは純しか居ないとこれ幸いとばかりに声をかけたのだ。それだけ期待されれば、純もプレッシャーになる。ミスは出来ないと気を負わなければ良いがと思っていた。
 そのとき向こうから、見覚えのある人が近づいてきた。それは天草裕太の姿のように思える。黒いハットが目に映ったからだ。
「お疲れ様です。マネージャーさん。」
「マネージャーではありませんが、お疲れ様です。リハーサルは終わりましたか?」
「俺らはもう少しかな。」
 「Harem」のリハーサルは、ここでは無くもう少し離れている部屋だと思っていたが、どうしてこんなところにいるのだろう。沙夜は不思議そうに携帯電話をしまった。
「天草さんは第五リハーサル室では無いんですか。この階とは違いますよね。」
「うん。でも……ほら、千草翔のリハが気になってね。」
 機材を多く入れる翔のリハーサルは、この階の一番隅の一番の大きな部屋になる。そこからまたスタジオに機材を運ぶのは大変だろう。それでも一部らしい。今も機材を入れている。
「どんな機材を使うのかとか気になるし……中って見れないのかな。」
「望月さんが指示をしています。挨拶をしておきますか。」
 すると裕太は苦笑いをして手を振る。
「辞めておくよ。お互い良い印象では無いんだ。」
 天草裕太の音を聴いてみたことがある。それは沙夜にとっては時代遅れのような気がしてならない。いや、一周回って新しいとでも思うかもしれないが、それを狙うのであればあと二十年はしないといけないだろう。
「……千草翔はどんな印象だった?」
「どんなとは?」
「望月さんは。」
「気に入られていましたね。お互いに新しい機材を持ち込んで、「気になっていた」とか「どんな音が出るのか」とかばかり話をしていました。それから新しいレコードの話も。」
「レコードねぇ。DJじゃないんだから。」
 たまにクラブでDJをしている裕太だから言えることだろう。だが古い音も新しい音も受け入れることで、二人は今の地位にある。新しいモノだけを入れようとする考え自体がおかしいのだ。
「泉さん。」
 沙夜は声をかけられて振り向くと、そこには翔の姿がある。
「そろそろ始めるからって。」
「はい。今行きます。リハーサルは見れるそうですよ。見ますか?」
 裕太にそう聞くが、裕太は首を横に振る。
「こっちのリハーサルがあるから。」
 嘘。翔のリハーサルを見ても時間があるとわかっていても、見たくないのだ。それは望月旭を嫌がっているのか。それとも翔がその旭に気に入られているのが気に入らないのかわからない。
 だがそんなことはどうでも良い。
 沙夜はそう思いながら、リハーサル室に足を運ぶ。
「凄い……。」
 その部屋を覗いてみて、沙夜はあっけにとられた。まるでスタジオのようだと思ったからだ。
「泉さん?」
 そこにはドレッドヘアの男が立っている。ひげ面で、少し怖そうに見えた。だがその顔には笑いじわがある。見た目ほど怖くなさそうだ。
「お世話になります。うちの千草が。」
「凄くセンスが良いプレイヤーだ。負けそうだよ。」
 その言葉は本音だろう。切磋琢磨して、それでも負けたくないと旭は思っていたから。
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