触れられない距離

神崎

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芋ご飯

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 楽屋に戻ってくると、それぞれの衣装が届いていた。それに治は袖を通す。だが前のボタンを留めようとしていぶかしげな顔をした。
「泉さん。衣装がキツいよ。」
「サイズを大きめのものに変えてもらいましょう。少し待ってください。」
 そう行って沙夜は楽屋を出て行く。衣装室へ向かったのだ。そして他のメンバーもそれぞれの衣装に袖を通す。
「治。太っただろ?」
「あー……去年よりはな。」
 遥人はそう行ってシャツに袖を通した。コラボレーションをする相手が、ビジュアル系なのでそれに併せて割と派手な衣装のようだ。スパンコールがジャケットにキラキラと輝いている。
「え?裕太と会ったのか。」
 一馬は遥人に対してラフな格好だ。Tシャツは黒で、派手なプリントがされている。私服でもおかしくない感覚に思えた。
「うん。まぁ……軽く挨拶をしただけだけど。」
 翔はそう行ってズボンを履き替えていた。古着のような衣装で、ジャケットも古い布を貼り合わせたようなモノに見える。
「天草裕太って言ったっけ。元メンバー。」
 一馬が昔メジャーデビューをしたジャズバンドのメンバーで、キーボードを担当していた。今は「Harem」というミクスチャーバンドのリーダーをしている。商業的には成功しているとは言いがたいが、一部のコアなファンには熱狂的なファンがいるらしい。
「そうか……やはり……。」
 芹が心配していたことが現実になっている。つまりこの業界にいれば、裕太に会うこともあるだろうし、他のメンバーとも顔を合わせることもあるだろう。そしてそのときに芹のことを言わない方が良い。芹は裕太に会うことを恐れている。前に言ったように金のことだけだったら、会いたくないのはむしろ裕太の方だ。だが芹の方が裕太に会いたくないと思っている。それはどういうことなのだろうか。
「指輪って苦手なんだけどなぁ。」
 遥人はそう言って用意されている指輪をつけた。だがちらっと治の手を見ると、治の指には指輪があった。それは結婚指輪なのだろう。
「治ってさ。ずっと結婚指輪をしているよな。邪魔にならないか?」
 すると治は少し笑って言う。
「外れないんだよ。太ったからかな。」
「ちょっとは痩せた方が良いって。」
 そのときやっと沙夜がハンガーに掛かっている衣装を手にして楽屋に戻ってきた。
「橋倉さん。これを着てください。それからあと十分でリハ室へ。三です。」
「OK。」
「その十分後に栗山さんですから。そっちは二で……。」
 本番は十八時から。そして終了は二十四時ほど。年末の歌番組よりも長丁場なのだ。そしてその出演者もバタバタするのだろうが、もっとバタバタしているのはスタッフであり沙夜のようなマネージャーなのかもしれない。
 壁に掛かっている衣装は「二藍」のモノ。「二藍」の出番までに五人は個々で出ずっぱりなのだ。

 基本、打楽器というのは叩くだけで音になる。それが子供にとっては楽しいことで、普段は子役か何かのタレント業をしている子供でも、そのときは子供に戻るらしい。そしてその壁の方では、その子供達の親であろう女性達が厳しい目で我が子を見ている。こんな舞台でも我が子が一番目立って欲しいと思っているのだ。見えない火花は、親の方だけで散っているように思える。
 子供と治、そして歌のお姉さんとお兄さんが舞台に立つ。普段は子供に接する機会が多いようだが、自分たちの思うようにいかないのが子供だ。よそ見をする子供、持っているスティックで前の子供をつつく子供。叩けば音が鳴るのが面白いらしく、曲を無視して叩きまくる子供などが居た。
「はーい。元気なのは良いよぉ。だけどちょっとお姉さんの方を見ようか。」
 これでは本番前に女性も男性も声が枯れてしまう。思ったよりもあまりいうことを聞かない子供ばかりなのだ。
 そのとき治が持っていたスネアドラムを叩く。それはロール奏法と言われる方法で、ダダダと連続でドラムを叩き、その音に子供達は一瞬治の方を見る。
 ダン!と音を止めて、治はにこりと笑いスネアドラムをリズムに乗って叩く。
「はい。この音に合わせてみんな持っているモノを叩こうか。」
 すると子供達は一斉にそのリズムに乗って個々が持っている楽器を叩く。すると他の奏者もそれに併せてリズムを奏でていく。
 そして治は演奏者に合図を送った。するとキーボードの男がそれに併せて演奏をする。
 治はこういうところが上手い。子供の心を掴むのが上手な男なのだ。だから子供向けの楽器教室の先生が出来るらしい。
 歌が始まり、やっとリハーサルらしくなった。
 それにしてもこんな学芸会の延長線のようなことが番組になるんだな。沙夜はそう思いながらその様子を見ていた。だが治のイメージは良くなるだろう。沙夜はそう思いながら、リハーサル室をあとにした。
 するとその前には、一馬の姿がある。どうやらエレキベースとダブルベースの二つを使うらしい。
「リハーサルはどうだった。治は大丈夫か。」
「平気ですね。橋倉さんは、本当に子供さんの心を掴むのが上手くて安心してみていられます。」
「そうか。俺はそういうことが出来ないからな。どうしても子供の目線に合わせられないと、妻から文句を言われる。」
 二歳くらいの子供の父親なのだ。だが普段はどんな接し方をしているのか気になるところだ。
「このあとでしたよね。加藤啓介さんのリハーサルは。」
「あぁ。こんな早い時間にするのも少し理由があるようだ。」
 名が売れている歌手だ。大物であればあるほど、番組的には時間を遅くだそうと思うのかもしれないが、加藤啓介の出番は二十時ほど。若い歌い手の間に挟まれている。それは若い歌い手にさを見せてやりたいと思っているのかといわれているようだが、実際は違う。
 加藤啓介はもう夜遅い時間までは仕事が出来ないのだ。
「体は大丈夫なんですかね。」
「この間の練習の時は辛そうだったが……。」
 そのとき向こうからその加藤啓介の姿が現れた。あまり大きくない男だ。それに色黒で、チャラそうな雰囲気を持っている。それでも昔はロックンローラーとして一世を風靡していた。リーゼントと皮のジャンパー、それにサングラスがトレードマークだったと思う。だが今は短く綺麗に切り上げられた髪をしていて、それを少し茶色にしていた。それがチャラそうに見える所以なのだろうか。
「花岡君。」
 スタッフへの挨拶を終えて、啓介は一馬のところへやってきた。
「今回はお世話になります。」
「俺が指名したんだよ。花岡君としたいって。前から知っている仲だし、やりやすいと思ってね。マネージャーさん?」
「レコード会社の担当です。泉といいます。」
「ははっ。奥さんに似た人だね。眼鏡をかけているかかけていないかだけ。」
「そうですかね。うちのはあまり背が高くないですけど。あぁ、お祝いをありがとうございました。」
 結婚したときも出産したときも、啓介からお祝いをもらったのだ。それだけ啓介が一馬を気に入っているのだろう。
「うちももらっているから、お互い様だろう。」
 啓介は三回離婚した。
 そして四回目の結婚では、一度目で結婚をした妻とまたよりを戻したらしい。それはまだ啓介がバンドを組んで食べるのも食べれないときに、支えてくれた妻だった。結局、そういう妻が一番合っているのかもしれない。子供が出来なかったのだ。その代わりにその妻は別の男と結婚したときに出来た子供が、啓介のバックバンドでドラムを叩いている。
「お父さん。」
 その息子から呼ばれ、啓介は一馬の元を離れてその息子のところへ行く。まだ啓介のバックで叩くのは慣れていないらしい。ことあるごとにプロデューサーや周りのメンバーに聞いていた。
「……あの息子はこれからだな。」
「そう見えます。バンドの一つでも組めばまた変わるのでしょうけどね。」
「あぁ……。」
 啓介が醜態をさらす前に、それは早く決めておいた方が良いと思う。
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