触れられない距離

神崎

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芋ご飯

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 個人の楽屋が割り当てられている。一曲しか出演しないアーティストなどは、他のアーティストと相部屋になることもあるのかもしれないが、「二藍」は個々の出演もあるので五人の楽屋を割り当てられたのだろう。キャリアを考えれば、楽屋を割り当てられるようなモノでは無いのだが。
「十四時から橋倉さんはリハーサル。十四時三十分から本番。その間に着替えをお願いします。四十五分から……。」
 分刻みのスケジュールだ。それをずっと沙夜は行ったり来たりするのだろう。一人で動き回らないといけないし、走ることもあるのだろう。今日も黒いパンツスーツだが、その足下がスニーカーなのは動きやすくするためと、余計な音が出ないためだ。
「加藤さんは久しぶりだな。」
 一馬はそう言って自分とコラボレーションをする加藤啓介の写真を見ていた。この世界では重鎮と言われているロックンローラーで、一馬は何度かライブやレコーディングに立ち会っている。啓介も一馬の音を気に入っていて、この話も啓介から言い出したことらしい。
「さすがに合わせを聴いたときには、震えましたよ。」
 沙夜はそう言って少し笑う。さすがにキャリアが長い男だ。それに一馬も無理して合わせていることも無い。「二藍」の次にやりやすいのだろう。
「泉さん。おにぎりもらうよ。」
 純はそう言って沙夜が持ってきた紙袋を探っていた。芋ご飯のおにぎりが食べた良いと言い出したのは純だったからだ。それを楽しみにしていたのだろう。
「純。リハの前に食べると、吐きたくなるぞ。」
「糖分を取りたいんだよ。それに一つだから。」
 純はそう言ってそのおにぎりを一つ取り出し、ラップを剥いで口に入れる。
「美味しいな。」
 純は、これでも緊張していたのだ。有名ロックバンドの死んだギタリストの代わりに、純がその曲を弾く。それは「二藍」のファンだけでは無く、そのロックバンドのファンにも場合によっては喧嘩を売ることになるのだから。
 だが純はずっとそのバンドが好きで、そのソロもずっと練習していた。合わせの練習でもメンバーから絶賛されていたのに、夕べは眠れなかったらしい。小心者の顔がまたここでも出てきているのだ。
 遥人は髪を黒くしていた。映画の撮影のためらしい。そして片隅でまた歌詞のチェックをしている。植村が担当しているバンドとのコラボなのだ。そしてその曲も、全て英語。だから発音なんかに苦労しているのだ。あちらのバンドのボーカルは帰国子女で、和製英語とは違いネイティブな発音をする。その差をつけられたくないのだ。
「泉さん。機材のチェックをしたいんだけど、楽器はどこにあるかな。」
「えっとですね。ちょっと案内します。」
 沙夜は案内を書かれた紙を持つと、翔ともに楽屋を出て行く。そして機材を置いている場所まで向かっていた。
「大丈夫なんですか?」
 沙夜は翔に聞くと、翔は少し頷いた。
「俺、あんなサウンドクリエーターと一緒に演奏が出来るなんて、わくわくするってタイプじゃ無いからね。」
「ミスをしないかって臆病になるから。それが気になったんです。」
「……大丈夫。いけるよ。」
 その大丈夫は自分に言い聞かせているようだ。沙夜は少し心配しながら、その案内をする。
「ここですね。」
 機材や楽器を置いているのは、スタジオの隣にある他の大道具などがある小部屋で、別のバンドのモノもあるようだ。それをスタッフ達が出したりしまったりしている。中に入ると、シンセサイザーやキーボード、ドラムなどと混ざって、大道具なんかもしまわれているようだ。
「これかな。うちの。」
 ドラムセットとキーボード。そのほかアンプなんかも置いていた。纏めて置いていて「二藍」と書かれているので間違いないだろう。
「あぁ。良かった。これを持ってきたかって心配だったから。」
「だから持ってくるモノはチェックして……。」
 そのとき機材の影から一人の男が顔を覗かせた。その影は、二人に近づいてくる。
「「二藍」の?」
 振り返るとそこには見覚えのある男がいる。ひょろっと細く背が高い男だ。黒いハットをかぶり、丸い眼鏡をかけている。まだ衣装では無いはずなのに、私服すら派手だと思った。
「あ……「Harem」の天草裕太さんですよね。」
「そうだよ。「二藍」の……。」
「千草翔です。初めまして。」
 指輪の付いた手を裕太は差し出して、翔の手を握る。
「マネージャーさん?」
「レコード会社のモノです。「二藍」を担当しています。」
「ふーん……個人的にマネージャーは付いていないのか。」
「まだまだですから。」
 おそらく翔と裕太は同じくらいの歳だろう。だがキャリアは裕太の方が長い。だから、翔はまだ裕太をテレビの向こうくらいでしか見たことは無かった。芸能人に会う感覚だろうか。そんな憧れの目で裕太を見ている。
「このシンセを使うのか。どうかな。俺、使ったことは無いんだけど。」
「割と楽ですね。今日、使ってみようと思って。」
「新曲に?」
「いいえ。望月さんと一緒にすることになっていて。」
「あぁ。俺もしたことがあるな。去年。相当毒を吐かれて、もう勘弁して欲しいよ。あの人とするのは。」
「そうですか。」
 その言葉に翔は少し違和感を持った。翔は望月旭という人物とコラボレーションをする。その前に翔はあらかじめその旭という人物のことを調べた。だが毒舌ではあるが、あまりむやみに怒ったりするタイプでは無いように思える。だから裕太がこんな事を言うのに少し違和感を持ったのだ。
 翔とコラボレーションをする望月旭は仕事に対して厳しいようだが、それは仕事だからなのだから。
「そうだ。マネージャーさん。」
 マネージャーでは無いと言っているのだが、聞く耳が無いのか。沙夜はそう思いながら、裕太を見る。
「どうしました。」
「一馬も来ているのかな。」
 一馬の名前に翔は、裕太の方を見る。どうして一馬と馴れ馴れしく呼べるのかがわからない。
「いますよ。出番は少し遅めですけどね。」
「そっか。なら挨拶に行きたいんだけどいいかな。」
「どうでしょうね。加藤さんのところにも行くと言っていましたし。」
 どうやら、沙夜もこの男にあまり良い印象を持っていないようだ。
 色んな理由があるようだが、その以前にこの男が気に入らないように思えた。簡単に機材の話をするのは、アマチュアの時だけで良い。今はプロとして飯の種なのだ。飯の種を簡単に仕事もしない人と話をしてはいけない。それがプロなのだから。
 裕太と別れて、翔は沙夜と並んで楽屋に戻っていた。そのときの沙夜は少し怒っているようにもみえた。
「泉さん。」
「はい?」
「さっきの天草裕太さんは、一馬の何?」
「元バンドのメンバーです。ジャズバンドを花岡さんは組んでプロデビューしていたんですよ。」
「へぇ……。ジャズバンドのキーボードか。納得したよ。」
 ジャズは聴くというくらいで、あまり深くは聴いていない。ジャズはスタンダードなモノだけでは無く奥が深い。だから突き詰めれば、きりが無く翔はそれよりもハードロックなのだからとそちらを優先して聴いていたのだ。
「何がですか。」
 沙夜はそう聞くと、翔は少し思い出したように言う。
「昔、クラブでDJをしていたのを見たことがあってね。こっちに来たばかりの時かな。良くジャズを使うと思ってたよ。」
「……その辺の知識は深いみたいですね。」
「そのクラブで手入れが入ったよ。初めてだった。」
「手入れ?」
「薬の売買をしていたみたいだ。警察がわんさときてさ。」
「まさか取り調べを受けましたか。」
 すると翔は少し笑う。
「受けたけどね。何も出てこなかった。出てきていたら、ここには居ないよ。」
 確かあのとき裕太も取り調べを受けたはずだ。だがここに裕太もいるということは、裕太自身も何も無かったと言える。おそらくまだあのときは裕太は勢いがあった。だからその名前を利用したと言えるだろう。
「これからみんな、そういう名前を利用しようという人が出てくるでしょうね。」
 沙夜はその声を見極めないといけない。動くのは「二藍」のメンバーかもしれないが、そんな仕事に手を染めさせてはいけない。これからますます見極めが必要になるだろう。
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