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芋ご飯
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会社で雑務をしたあと、沙夜は荷物をまとめる。約束の時間は十三時。それまでにテレビ局近くの喫茶店でメンバーと待ち合わせをしている。
このオフィスでも他のオフィスでもこの日だけは、担当者が慌ただしく動いていた。テレビ局が今日は六時間に渡る音楽番組を生放送。それに「二藍」も呼ばれているのだ。「二藍」としての出演は二十三時。だがその間にそれぞれのメンバーが他のアーティストとコラボレーションをしたりするので、結局出ずっぱりになるだろう。
「泉さん。」
隣のデスクにいる朔太郎も荷物をまとめていた。どうやら朔太郎の担当するバンドも呼ばれているらしい。
「あぁ。今日はよろしくお願いします。」
「栗山さんとうちのボーカルとは声の相性が良いみたいだね。」
昨日練習スタジオで合わせたのを聴いたとき、その声の重なりが良いとの評価で、番組の評判が良ければ、このまま一曲くらいは発売するかもしれない。
「そのようですね。」
「このまま何か新しいことでも出来れば良いんだけどね。」
そうすれば朔太郎と沙夜が関わることが多くなるだろう。それは下心からかもしれない。だが沙夜は全く気にしていなかった。むしろそんなことにならないで欲しいと思う。
一昨日と昨日で個々の練習の様子を見に行った。だが沙夜は一番遥人が気になっていたのだ。遥人は、おそらく相手のボーカルに合わせた歌い方をしている。その辺は気を遣っているのだろう。
だがそれが遥人の負担になっていないだろうか。こっそりと遥人にそれを聞いてみたら、遥人は「一曲だけだから」と言って気にしていないようだった。
おそらくコラボレーションをして一曲くらいリリースをしたいという話が来ても、うんとは言わないだろう。「二藍」のメンバーは割とわがままなところがあるからだ。一番柔軟に見える翔でも、その柔軟さが脆いところがある。無理をして受けるところがあって、それが翔に負担がかかっているのだ。だから沙夜は何度も聞いた。本当にこのコラボレーションの話を受けて良いのかと。だが翔は笑顔で言う。
「俺、あの人とは一度一緒に演奏をしてみたいと思っていたんだ。良いチャンスだと思うよ。」
だがその相手は有名ではあるがその分毒舌な人だという噂がある。何も無ければ良いと思いながら、沙夜は紙袋を手にした。
「何?その紙袋。」
朔太郎がそう聞くと、沙夜はその中身を見せる。
「おにぎりです。」
「おにぎり?泉さんが作ったの?あっちで弁当とか出るって言っていたのに。」
「夜遅くなるから、摘まめるモノが欲しいと言われまして。」
だから普通のおにぎりよりも小さめなのだ。一つ一つラップにくるまれて、数多くあるようだ。それに手作りなのだろう。
「手作りなんだ。羨ましいな。「二藍」のメンバーが。」
「そうでしょうか。手作りを嫌がる人もいると聞きましたが。」
「泉さんの手作りを嫌がるかな。」
その言葉にその隣にいた女性が少し笑う。朔太郎が沙夜をずっと狙っているのはわかっているから。こんなに露骨に誘っているのに、沙夜の答えは突拍子も無いのだ。
「普通のおにぎりですよ。芋で炊いた。」
「芋?」
「サツマイモが出てきていたので、芋ご飯を握ってきました。栗よりも手軽で良いですね。」
朝食を今日はパンにした。その食事を終えたあとに、芋ご飯を作ったのだ。
サツマイモを水でさらして水を切り、といだ米の中に芋を入れて少し塩を入れる。あとは炊飯器が炊いてくれるのだ。
こうすればご飯を握るときも塩をつけないで良いし、何より芋が甘くなる。サツマイモはもう少ししないと甘みが増さない。だから時期はじめの芋は、そのまま食べるよりはこうして食べた方が美味しい。
今日は家に帰って食事は出来ない。だから沙菜と芹の分は、芋ご飯、サンマの塩焼き、ほうれん草のおひたし、ひじきの煮物、それに白菜と若布の味噌汁を作っておいた。
沙菜はともかく、芹は一緒にいないと食べないときもある。食べるのを忘れることもあるのだ。一度夕方くらいに連絡をしておいた方が良いな。そう思いながらオフィスを出て行こうとした。
「泉さん。そのおにぎりさ。」
「はい。」
「一つ味見をしていい?」
朔太郎の図々しい申し出に、沙夜は紙袋に手を入れるとそのラップにくるまれたおにぎりを一つ手渡す。
「どうぞ。」
「初めてかな。君が作ったものを食べるの。」
「そうですかね。では私は、行きますから。」
感想も聞かないまま急ぎ足で出て行く。そんなに急ぐことは無いのに、どうしてそんなにバタバタしているのだろう。朔太郎はそう思いながら、そのラップにくるまれたおにぎりを見ていた。
「植村さん。」
隣のデスクの女性が声をかける。沙夜とは違い、気合いの入っている格好をしていた。まるでギャルのようにも見える。だが実際のハードロックのライブの会場というのは、こういう女性が多い。沙夜のように地味な女の方が珍しいのだ。
「ん?」
「また振られましたね。」
「振られてないよ。あれだ。泉さんは割とツンデレなところがあるから。」
「デレるときがあるんですか?いつもツンツンしてますよ。あんな感じで良く「二藍」のメンバーが文句言わないですよね。」
「馴れ合いで仕事をしていないってことかな。」
そう言って朔太郎はそのおにぎりのラップを剥いで、口に入れる。優しい甘さが口の中に広がった。砂糖などでは無く、自然の芋の甘さだった。
メンバーと待ち合わせをしたあと、テレビ局へ向かう。楽器はスタッフが運んでもらっているが、本人達は電車やバスを乗り継いでやってきているのだ。
テレビ局の入り口で、沙夜は手続きをしているとその受付の女性は自然に沙夜に聞く。
「お車番号を教えていただいて良いですか。」
こういうところではマスコミも多い。だから関係者以外の車は停めさせないようにしているのだろう。だからナンバーをチェックしているのだ。
「楽器のトラックは……。」
「では無くて、「二藍」のメンバーが乗ってきた車です。」
「あぁ。ありません。」
「帰りもですか?」
その言葉に受付の女性はいぶかしげな顔をした。芸能人ばかりのテレビ局なのだ。テレビに出れるような人は、みんな車とテレビ局を往復しているので自分で電車にも乗らないと思っていたのだろう。
「栗山だけは迎えが来ますけど、ここには停めないそうなので。」
「あぁ……そうですか。でしたら結構です。」
遠くに見える「二藍」のメンバーは、遥人以外は割と普通だ。よく見れば翔は男前の部類に入るのかもしれないが、これくらいなら普通にタレントでもいるタイプだろう。
沙夜はパスを六人分もらうと、メンバーの元へ向かっていった。
「これをみんな持ってください。出演時は、私が預かります。それ以外はずっと持っていてくださいね。」
「OK。一番早い出演って誰だっけ。」
「橋倉さんですね。子供さん向けの音遊びのコーナーですから。」
「そういうの良いよな。最近の子供って凄いこなれているかと思ってたよ。でも素直に楽しいって言ってくれると、まだまだ捨てたもんじゃ無いなって思うわ。」
治はそう言ってドラムスティックの入っているバッグを持ち直した。
「自分の子供は音楽しないのか?」
純がそう聞くと、治は首を横に振った。
「音楽よりも何かなぁ。虫とか好きみたいだよ。この間の休みはカブトムシを捕りに行ったし。」
「カブトムシ?そんなモノがいるような田舎に行ったのか?」
一馬は割と都会育ちのところがある。だからカブトムシなどは、デパートくらいでしか見たことが無かったのだ。
「奥さんの実家だよ。凄い田舎でさ。隣の家まで凄い距離があるような。」
そんな会話をしながら、エレベーターへ向かう。途中で知っているようなアーティストとすれ違った。だが「二藍」のメンバーを見ても、挨拶もしない。きっと勢いだけなのだと思っているのだろう。
そんなことは無い。それぞれはそう思いながら、エレベーターに乗り込んでいく。
このオフィスでも他のオフィスでもこの日だけは、担当者が慌ただしく動いていた。テレビ局が今日は六時間に渡る音楽番組を生放送。それに「二藍」も呼ばれているのだ。「二藍」としての出演は二十三時。だがその間にそれぞれのメンバーが他のアーティストとコラボレーションをしたりするので、結局出ずっぱりになるだろう。
「泉さん。」
隣のデスクにいる朔太郎も荷物をまとめていた。どうやら朔太郎の担当するバンドも呼ばれているらしい。
「あぁ。今日はよろしくお願いします。」
「栗山さんとうちのボーカルとは声の相性が良いみたいだね。」
昨日練習スタジオで合わせたのを聴いたとき、その声の重なりが良いとの評価で、番組の評判が良ければ、このまま一曲くらいは発売するかもしれない。
「そのようですね。」
「このまま何か新しいことでも出来れば良いんだけどね。」
そうすれば朔太郎と沙夜が関わることが多くなるだろう。それは下心からかもしれない。だが沙夜は全く気にしていなかった。むしろそんなことにならないで欲しいと思う。
一昨日と昨日で個々の練習の様子を見に行った。だが沙夜は一番遥人が気になっていたのだ。遥人は、おそらく相手のボーカルに合わせた歌い方をしている。その辺は気を遣っているのだろう。
だがそれが遥人の負担になっていないだろうか。こっそりと遥人にそれを聞いてみたら、遥人は「一曲だけだから」と言って気にしていないようだった。
おそらくコラボレーションをして一曲くらいリリースをしたいという話が来ても、うんとは言わないだろう。「二藍」のメンバーは割とわがままなところがあるからだ。一番柔軟に見える翔でも、その柔軟さが脆いところがある。無理をして受けるところがあって、それが翔に負担がかかっているのだ。だから沙夜は何度も聞いた。本当にこのコラボレーションの話を受けて良いのかと。だが翔は笑顔で言う。
「俺、あの人とは一度一緒に演奏をしてみたいと思っていたんだ。良いチャンスだと思うよ。」
だがその相手は有名ではあるがその分毒舌な人だという噂がある。何も無ければ良いと思いながら、沙夜は紙袋を手にした。
「何?その紙袋。」
朔太郎がそう聞くと、沙夜はその中身を見せる。
「おにぎりです。」
「おにぎり?泉さんが作ったの?あっちで弁当とか出るって言っていたのに。」
「夜遅くなるから、摘まめるモノが欲しいと言われまして。」
だから普通のおにぎりよりも小さめなのだ。一つ一つラップにくるまれて、数多くあるようだ。それに手作りなのだろう。
「手作りなんだ。羨ましいな。「二藍」のメンバーが。」
「そうでしょうか。手作りを嫌がる人もいると聞きましたが。」
「泉さんの手作りを嫌がるかな。」
その言葉にその隣にいた女性が少し笑う。朔太郎が沙夜をずっと狙っているのはわかっているから。こんなに露骨に誘っているのに、沙夜の答えは突拍子も無いのだ。
「普通のおにぎりですよ。芋で炊いた。」
「芋?」
「サツマイモが出てきていたので、芋ご飯を握ってきました。栗よりも手軽で良いですね。」
朝食を今日はパンにした。その食事を終えたあとに、芋ご飯を作ったのだ。
サツマイモを水でさらして水を切り、といだ米の中に芋を入れて少し塩を入れる。あとは炊飯器が炊いてくれるのだ。
こうすればご飯を握るときも塩をつけないで良いし、何より芋が甘くなる。サツマイモはもう少ししないと甘みが増さない。だから時期はじめの芋は、そのまま食べるよりはこうして食べた方が美味しい。
今日は家に帰って食事は出来ない。だから沙菜と芹の分は、芋ご飯、サンマの塩焼き、ほうれん草のおひたし、ひじきの煮物、それに白菜と若布の味噌汁を作っておいた。
沙菜はともかく、芹は一緒にいないと食べないときもある。食べるのを忘れることもあるのだ。一度夕方くらいに連絡をしておいた方が良いな。そう思いながらオフィスを出て行こうとした。
「泉さん。そのおにぎりさ。」
「はい。」
「一つ味見をしていい?」
朔太郎の図々しい申し出に、沙夜は紙袋に手を入れるとそのラップにくるまれたおにぎりを一つ手渡す。
「どうぞ。」
「初めてかな。君が作ったものを食べるの。」
「そうですかね。では私は、行きますから。」
感想も聞かないまま急ぎ足で出て行く。そんなに急ぐことは無いのに、どうしてそんなにバタバタしているのだろう。朔太郎はそう思いながら、そのラップにくるまれたおにぎりを見ていた。
「植村さん。」
隣のデスクの女性が声をかける。沙夜とは違い、気合いの入っている格好をしていた。まるでギャルのようにも見える。だが実際のハードロックのライブの会場というのは、こういう女性が多い。沙夜のように地味な女の方が珍しいのだ。
「ん?」
「また振られましたね。」
「振られてないよ。あれだ。泉さんは割とツンデレなところがあるから。」
「デレるときがあるんですか?いつもツンツンしてますよ。あんな感じで良く「二藍」のメンバーが文句言わないですよね。」
「馴れ合いで仕事をしていないってことかな。」
そう言って朔太郎はそのおにぎりのラップを剥いで、口に入れる。優しい甘さが口の中に広がった。砂糖などでは無く、自然の芋の甘さだった。
メンバーと待ち合わせをしたあと、テレビ局へ向かう。楽器はスタッフが運んでもらっているが、本人達は電車やバスを乗り継いでやってきているのだ。
テレビ局の入り口で、沙夜は手続きをしているとその受付の女性は自然に沙夜に聞く。
「お車番号を教えていただいて良いですか。」
こういうところではマスコミも多い。だから関係者以外の車は停めさせないようにしているのだろう。だからナンバーをチェックしているのだ。
「楽器のトラックは……。」
「では無くて、「二藍」のメンバーが乗ってきた車です。」
「あぁ。ありません。」
「帰りもですか?」
その言葉に受付の女性はいぶかしげな顔をした。芸能人ばかりのテレビ局なのだ。テレビに出れるような人は、みんな車とテレビ局を往復しているので自分で電車にも乗らないと思っていたのだろう。
「栗山だけは迎えが来ますけど、ここには停めないそうなので。」
「あぁ……そうですか。でしたら結構です。」
遠くに見える「二藍」のメンバーは、遥人以外は割と普通だ。よく見れば翔は男前の部類に入るのかもしれないが、これくらいなら普通にタレントでもいるタイプだろう。
沙夜はパスを六人分もらうと、メンバーの元へ向かっていった。
「これをみんな持ってください。出演時は、私が預かります。それ以外はずっと持っていてくださいね。」
「OK。一番早い出演って誰だっけ。」
「橋倉さんですね。子供さん向けの音遊びのコーナーですから。」
「そういうの良いよな。最近の子供って凄いこなれているかと思ってたよ。でも素直に楽しいって言ってくれると、まだまだ捨てたもんじゃ無いなって思うわ。」
治はそう言ってドラムスティックの入っているバッグを持ち直した。
「自分の子供は音楽しないのか?」
純がそう聞くと、治は首を横に振った。
「音楽よりも何かなぁ。虫とか好きみたいだよ。この間の休みはカブトムシを捕りに行ったし。」
「カブトムシ?そんなモノがいるような田舎に行ったのか?」
一馬は割と都会育ちのところがある。だからカブトムシなどは、デパートくらいでしか見たことが無かったのだ。
「奥さんの実家だよ。凄い田舎でさ。隣の家まで凄い距離があるような。」
そんな会話をしながら、エレベーターへ向かう。途中で知っているようなアーティストとすれ違った。だが「二藍」のメンバーを見ても、挨拶もしない。きっと勢いだけなのだと思っているのだろう。
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