触れられない距離

神崎

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ハヤシライス

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 美容室へ行った後、事務所に立ち寄った。そして軽い打ち合わせをするだけだと思っていたのに、なんだかんだと打ち合わせが長くなって沙菜が事務所を出たのは二十時を過ぎていた。
 まずい。音楽番組は二十一時からの生放送。せっかく翔がテレビに出る良いチャンスなのだ。その後反省会もかねて録画はしているが、リアルタイムで見て次の日にどうだったと言ってあげたいのだ。「二藍」を楽しみにしているのもあるし、沙夜が関わっているモノを見たいというのもあるし、それから翔の晴れ姿を見たいと思う。ショウガみたいと思っているのがほとんどを占めているのだろうが。
 沙菜はそう思いながら、急ぎ足で駅へ向かい電車に乗り込む。
 電車の入り口のところに立つと、一度一息ついた。バッグからペットボトルの水を取り出して、一口飲むと沙菜はバッグにペットボトルをしまってクリアケースに入れられている資料を取り出した。
 最近のAV業界は、売れるという確証が無ければリリースも難しくなっている。それはデジタル配信の普及もあり、手軽に楽しむことも出来るのだろうが、主な原因は無料で配信している違法な動画サイトの普及からだろう。
 ただで観れるとあったら、わざわざ金を出してそれを見たいとは思わないだろう。それにそういうサイトでは、無修正で流しているとこともある。全く腹立たしい。そんなにみたいなら金を出せと思う。
 手軽に手に取れるようにと、週刊誌なんかに顔を出すこともあるが沙菜の大きな胸を乳首ギリギリまでさらしているのは、その先が見たければソフトを手にしろという意味もあるのだが、そういった意味合いは無意味なのだろうか。
 今、沙菜が手にしている資料だって、業界ではおなじみの馴染みの温泉旅館を借りてプレイするのだが、本当に売れなければそこまで手をかけないのだ。痴女の役を体を張ってする。それが沙菜の仕事なのだから。
 しかし、本当の自分はそんな女では無い。本当に好きな人には振り向いてもらえず、その人は別の人を見ている。他人であれば何も思わないだろう。だがそれは双子の姉なのだ。見た目はそっくりで沙夜の方がむしろ地味なのに、どうして沙夜ばかりがあんなに言い寄られるのだろう。それが腹が立つ。
「あのぉ。」
 資料を見ていると、声をかけられた。前を見るとそこには男の姿がある。背が低い男で、背が高くさらにヒールを履いている沙菜にとっては見下ろすくらいの男だ。
「日和さんですよね。」
「はい。」
「俺、ずっとファンで。握手してもらって良いですか。」
 そう言われれば悪い気はしない。沙菜は笑顔で男の手を握る。だが男は次にはとんでもないことを言った。
「ソフトを買ってくださっているんですか?それともダウンロードか何かで?」
「○○って言うサイトで見てます。」
 それは先ほど打ち合わせでも出ていた無料のサイトだった。海外であれば規制があまりない。だがそれを見ていると言われて沙菜が良い気分になるのだろうか。
「ふざけんな。」
 そう言って沙菜は手を離す。
「ただで見てるくせに、ファンだなんて偉そうな人。それを見るたびにあたし達の首を絞めてんのわかんないの?」
 男はそう言われ気まずそうに沙菜から離れていった。そして駅に着くと、沙菜は急ぎ足で電車を降りる。
 先ほどまでのわくわくした気持ちがどこかへ行ってしまったように思えた。

 家に帰り、リビングのドアを開けると芹がダイニングテーブルに食事を置いていた。今日はハヤシライスとサラダ、それにスープがある。
「お帰り。俺、今から食おうかと思って。」
「そうだったんだ。だったらあたしも食べる。」
 息を切らせているのを見て、芹は少し笑った。
「痴漢でもあったのか?走って帰ってきたみたいだ。」
「テレビに間に合わないと思ったの。」
「見たいドラマでもあるのか?」
「違う。今日、「二藍」が出るじゃん。」
 そう言って沙菜はバッグを自分の部屋に置くと、そのまままたリビングに戻りテレビをつける。まだ音楽番組はしていないようだ。まだその前の番組をしているようだ。
「今日だったっけ。」
「芹。こっちで食べようよ。」
 沙菜はそう言ってソファーにあるローテーブルを指さした。すると芹は首を横に振る。
「ソファーにこぼしたら翔に起こられるだろ?あいつ、ちょっとしたシミでも許さないじゃん。」
「こぼさないように食べれば良いじゃ無い?」
「駄目。俺自信ないし。」
「子供か。」
「こっちからでもテレビ見えるよ。別に小さいテレビではないし。」
 たまに四人で集まって、映画を見ることがある。そのときもなるべくジュースや酒をこぼさないようにとタオルを敷いたり、次の日には翔が丹念に掃除機をかけたりしているのだ。
 翔にしたら親から借りている家なのだから、虫なんかが出たなど言われたくないと思っているのだろう。だからこの家はいつも綺麗なのだ。
 前の番組が終わり、CMが流れている。カレーのCMではアイドルが子供とカレーを作って食べていた。それを見て、沙菜は少しため息を付いた。
 CMに出ているアイドルは男の子に見える。沙菜も高校生の時にアイドルをしていたが、こんなCMに出たことは無い。いわゆる地下アイドルで、ライブハウスなどで歌って踊ったりしていた。そのライブのあとにCDを買った人に対して握手会を開いたり、ツーショットで写真を撮ったりしていたのだが、沙菜のファンというのは少なかったように思える。他のメンバーには列が出来ていたのに、沙菜のところには列が出来なかったのだ。次々にはけるほどのファンでしかもそのファンだって、沙菜では無く、沙菜の胸ばかりを見ていたように思えた。
 それを少し思い出して、腹が立つ。
「沙夜らしいよな。」
「何が?」
 ハヤシライスをご飯にかける。牛肉とタマネギだけでハヤシライスというのは出来るモノだが、沙夜のハヤシライスにはジャガイモやにんじん、ひよこ豆、トマトなど野菜が沢山入っている。スープにはベーコン、タマネギ、パセリなどそこまで具だくさんというわけでは無い。
「カレーじゃ無くて、ハヤシライスってところ。お前があまり辛いの好きじゃ無いからだろ?」
 沙菜はそう言われて少し笑う。沙夜はカレーを作るにしても絶対甘口しか使わない。辛いのが良ければタバスコでも足せば良いと思っているのだ。ただ辛くしてしまえば甘くするのは難しいと思っているらしく、それが沙夜の気遣いなのだろう。
「姉さん達ご飯はいらないって言ってたっけ。」
「だから明日までハヤシライスだろ?多分、続くだろうな。まとめて作っておくやつ。新曲が出たらそんなもんかね。」
「「二藍」はそこまでまだ力は入れてないけど、もし外国でレコーディングをしたいなんていう話になったら、二人が何週間もいなくなるのかな。」
「そのときは買ってくるか、なんか作らないといけないか。」
「あんた、ご飯とか作れるの?」
「簡単なモノばっかだよ。沙菜に任せるよりは出来るつもりだけど。」
 沙菜は全く家事が出来ない。だからといって何もさせないわけにはいかないと、翔はとりあえずゴミ出しと風呂炊きだけを任せていた。そしてゴミ出しだって割ときっちりしてくれる。結構助かっているのだ。
「あ、始まったね。」
 ダイニングテーブルに食事を並べたところで、テレビ番組が始まった。派手なオープニングタイトルが始まり、司会者とアナウンサーが挨拶をする。
「この二人って、不倫関係らしいよ。」
「へぇ。」
「どっちも既婚者だからダブル不倫ってことね。」
 その言葉に今度は芹の心が痛んだ。そして耳に残る言葉がある。芹を怒号する声は、誰も味方がいないように思えた。
「顔だけのアイドルだな。」
 大人数で歌ったり踊ったりするアイドル。その中で個性を出すのは大変だろう。そしてその世界はとんでもなく厳しいことは沙菜が一番わかっていた。
 今のAV業界には、「元アイドル」とか「元芸能人」とかといって鳴り物入りでデビューする女も多い。だがその人気は一時的なモノで、二,三本撮ったらもういなくなることもあるのだ。
 脱げば良いという世界では無い。「元アイドル」「元芸能人」だという勢いを維持していくためにはどうすれば良いのか、沙菜だってずっと努力してきたのだから。
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