夏から始まる

神崎

文字の大きさ
上 下
247 / 265
恋人と愛人

247

しおりを挟む
 蓮は裏口から出て、携帯電話をみる。着信がある。その番号に見覚えはない。普段ならそんな番号にかけたりはしない。面倒だから。
 だが以前それを無視して大変なことになったのだ。菊子が信次にさらわれたのだ。そんな真似は二度としたくない。
 タバコをくわえてその番号に電話をする。
「もしもし。あぁ。武生か。誰かわからなかったな。誰から……あぁ、気にするな。」
 どうやら菊子からこの番号を聞いたらしい。相談したいことがあるのだ。それは菊子越しには聞けないことらしい。
「……誰が言った。」
 あまり上機嫌で聞ける話ではなかった。菊子を棗の元に行かせないと、武生は組に入らないといけない。武生はそこで知加子を待つことも出来る。だが、組に入るのは本意ではない。
「……それくらいならお前の兄ならやるだろう。頭は悪いが、それなりに頭を使っているらしい。」
 だから何だ。別れてくれとでも言うのだろうか。菊子を棗に渡せと言うのだろうか。
「武生。どうすればいいかというのは、お前が考えることだ。そして菊子もどうしたいか本人の自由だろう。……俺か?俺は菊子を渡す気はない。そっちがどんなに脅そうと、菊子は渡さない。……それにそれ以上に、家に帰るつもりもない。」
 おとなしく家の備えてくれた地位に就く気もない。その器ではないのは自分でもわかるから。
「もしお前が菊子と俺を自分のために離そうと思うのだったら、容赦はしない。」
 電話を切り、タバコを消す。
 おそらく今日あの東という男が来たのは、たまたまではない。おそらく蓮にこんなライブハウスではなく、会社に呼びたいのだろう。そのときは上京が条件だ。
「……。」
 さすがに上京すれば親の目も届かない。好きなことをして暮らしていけるだろう。条件を聞けば、今よりも余裕のある暮らしは出来そうだ。だがそのためには菊子と離れないといけないだろう。少なくとも半年。
 その時間があれば、菊子は棗の手に落ちる。急速に惹かれたのだ。心変わりもその分早いはずだ。だが自分はずっと菊子を思うだろう。惨めだ。きっと周り華やかでも菊子のいない毎日は、きっとモノクロだ。
 蓮は吸い殻を携帯灰皿にしまうと、店に戻っていく。ホールにはもう客はいない。
「百合。交代する。」
 バイトも帰って行った。あとはステージ上のメンテナンスと、金の計算だ。金の計算は百合がする。蓮はステージ上を明日も使えるようにするのだ。
 グラスを拭き終わった百合は少し笑う。
「それにしても蝶子って昔と変わらないわね。いくつになったのかしら。」
「さぁ……。俺は見たことがないが、現役でAVに出ていたときが二十歳そこそこだと言っていたな。」
「梅子ちゃんが菊子ちゃんと同じ歳だから、三十代中盤か、四十代ね。若いのは恋人が若いからかしら。」
「……さぁな。着飾ってなんぼの世界なんだろう。そんな話をしていたな。」
 蓮はそう言ってステージの方へ向かっていく。
「ねぇ。蓮。」
「何だ。」
「プロのために上京するのも一つの道じゃない?」
 その言葉に蓮は百合の方をみる。だが百合は真面目に答えているのだ。
「……俺はプロにはなれない。」
「昔はパンクしかしたくないって言ってたのに、今はジャズだってスカだって、フォークだって演奏するじゃない。」
「望まれるからな。」
「だったらそっちも望まれているんじゃないの?」
 その言葉に蓮は百合の方へ向かっていく。
「お前、俺がプロになった方が良いと思うのか。」
「と言うか……社命だったらどうするの?」
「……社命?」
「逆らえば自分の首が締まるわ。そうなれば菊子ちゃんともいれないし、またいろんな職を転々とするの?」
 その言葉に蓮は黙ってしまった。蓮はここの会社の社員だから守られているようなものだ。もしここを出れば、戸崎の家が黙っていないだろう。
「……家に帰るか、プロになるかしかないとはな。」
 どちらもイヤだ。なんて言えないのだろう。
「あなたが思う以上に、世の中って厳しいのよ。甘く見てたツケが回ってきたわね。」
 百合はそう言って裏に入っていく。

 永澤の家に帰ってきた蓮は、自分の部屋に入る。そして下着を用意して風呂場へ向かった。だが湯船に入っても、体を洗ってもその気分は払拭されない。
 どちらの道を選んでも菊子と離れてしまう。菊子をおいて上京などしたくない。それに菊子もそれを望んでいるとは思えないだろう。小さい頃から両親から子の家に預けられ、女将さんや大将には恩義を感じているに違いない。専門学校だって、この町の近くを選択肢にいれたのは二人を思ってのことだった。
 だったら一緒に上京など出来ない。
 風呂から上がると、蓮は菊子の部屋の前で足を止めた。そしてドアノブを引く。しかし鍵がかかっているようだった。ため息をつくと、蓮は自分の部屋に戻ろうと足をすすようとする。そのときだった。
「蓮?」
 菊子の声が聞こえる。どうやら音で起きてしまったらしい。
「寝てて良い。明日も早いんだろう。」
 しかし菊子は首を横に振る。
「……どうしたんだ。」
 すると菊子は手を伸ばして蓮のシャツの裾を握った。
「暗い顔をしているわ。何かあったの?」
 その言葉に蓮は思わずその部屋の中にはいる。そして菊子の体を抱きしめた。
「……菊子。」
 蓮が泣きそうだ。その抱きしめる腕が震えていたから。
「蓮。」
「今夜は寝れそうにない。ここで抱きしめたら寝れるかもしれない。居て良いか?。」
「うん……。」
 菊子は何も知らない。ただ蓮のその言葉に、うなずくしかなかった。事情はわからない。だが菊子はただ蓮を抱きしめるしかなかった。
 ベッドに横になり抱きしめると、菊子はすぐに寝息をたてた。疲れているのかもしれない、この温もりを逃したくない。そう思えたのは初めてだった。
 離れたくない。だったら自分のものにしよう。蓮は菊子を抱きしめる腕に力をいれる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

悪役令嬢として断罪された過去がありますが、よろしいですか?~追放されし乙女は、そして静かに歩みだす~

巡月 こより
恋愛
王子に恋人が出来て突然婚約破棄されてしまった公爵家の令嬢アデレードは、さらに悪いことに家族からも用なしと言わんばかりに山奥の朽ち果てた屋敷へと追いやられてしまう。 貴族社会から追放され、その上家族からも邪険にされて失意に沈むアデレード。自暴自棄に死に場所を求め山を彷徨い歩くが、そこで彼女を止めに来たリーフェンシュタール伯爵カールと出会う。憔悴したアデレードを見かねた彼はある場所へと彼女を誘い、そこで彼の言葉に心動かされたアデレードは公爵令嬢ではなく"ただ"のアデレードとして生きていくことを決めるのだった。ふとした切っ掛けで、ホテル始める決意をするアデレード。準備を進めていく日々の中でカールとの距離も近くなったり遠くなったり、またちょっと近づいたり……。 強面だけど優しい伯爵のカールとただのアデレードが紡ぐ、不器用な恋と再生の物語。 *小説家になろうの方に投稿してます。

【完結】悪役令嬢の妹に転生しちゃったけど推しはお姉様だから全力で断罪破滅から守らせていただきます!

くま
恋愛
え?死ぬ間際に前世の記憶が戻った、マリア。 ここは前世でハマった乙女ゲームの世界だった。 マリアが一番好きなキャラクターは悪役令嬢のマリエ! 悪役令嬢マリエの妹として転生したマリアは、姉マリエを守ろうと空回り。王子や執事、騎士などはマリアにアプローチするものの、まったく鈍感でアホな主人公に周りは振り回されるばかり。 少しずつ成長をしていくなか、残念ヒロインちゃんが現る!! ほんの少しシリアスもある!かもです。 気ままに書いてますので誤字脱字ありましたら、すいませんっ。 月に一回、二回ほどゆっくりペースで更新です(*≧∀≦*)

秘密 〜官能短編集〜

槙璃人
恋愛
不定期に更新していく官能小説です。 まだまだ下手なので優しい目で見てくれればうれしいです。 小さなことでもいいので感想くれたら喜びます。 こここうしたらいいんじゃない?などもお願いします。

継母の心得

トール
恋愛
【本編第一部完結済、2023/10〜第二部スタート ☆書籍化 2024/11/22ノベル5巻、コミックス1巻同時刊行予定☆】 ※継母というテーマですが、ドロドロではありません。ほっこり可愛いを中心に展開されるお話ですので、ドロドロ重い、が苦手の方にもお読みいただけます。 山崎 美咲(35)は、癌治療で子供の作れない身体となった。生涯独身だと諦めていたが、やはり子供は欲しかったとじわじわ後悔が募っていく。 治療の甲斐なくこの世を去った美咲が目を覚ますと、なんと生前読んでいたマンガの世界に転生していた。 不遇な幼少期を過ごした主人公が、ライバルである皇太子とヒロインを巡り争い、最後は見事ヒロインを射止めるというテンプレもののマンガ。その不遇な幼少期で主人公を虐待する悪辣な継母がまさかの私!? 前世の記憶を取り戻したのは、主人公の父親との結婚式前日だった! 突然3才児の母親になった主人公が、良い継母になれるよう子育てに奮闘していたら、いつの間にか父子に溺愛されて……。 オタクの知識を使って、子育て頑張ります!! 子育てに関する道具が揃っていない世界で、玩具や食器、子供用品を作り出していく、オタクが行う異世界育児ファンタジー開幕です! 番外編は10/7〜別ページに移動いたしました。

【完結】絶世の美女から平凡な少女に生まれ変わって幸せですが、元護衛騎士が幸せではなさそうなのでどうにかしたい

大森 樹
恋愛
メラビア王国の王女であり絶世の美女キャロラインは、その美しさから隣国の王に無理矢理妻にと望まれ戦争の原因になっていた。婚約者だったジョセフ王子も暗殺され、自国の騎士も亡くなっていく状況に耐えられず自死を選んだ。 「神様……私をどうしてこんな美しい容姿にされたのですか?来世はどうか平凡な人生にしてくださいませ」 そして望み通り平民のミーナとして生まれ変わった彼女はのびのびと平和に楽しく生きていた。お金はないけど、自由で幸せ!最高! そんなある日ミーナはボロボロの男を助ける。その男は……自分がキャロラインだった頃に最期まで自分を護ってくれた護衛騎士の男ライナスだった。死んだような瞳で生きている彼に戸惑いを覚える。 ミーナの恋のお話です。ミーナを好きな魅力的な男達も沢山現れて……彼女は最終的に誰を選ぶのか?

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

好きでした、昨日まで

ヘロディア
恋愛
幸せな毎日を彼氏と送っていた主人公。 今日もデートに行くのだが、そこで知らない少女を見てから彼氏の様子がおかしい。 その真相は…

処理中です...