夏から始まる

神崎

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兄のように

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 自分たちの街へ帰ってきたのは、昼を少し過ぎた時間だった。百合と蓮は軽トラックから瓶をおろして、それを仕分ける。吾川酒店に引き取ってもらえる瓶は、引き取ってもらうからだ。
 引き取ってもらえない瓶はゴミになる。
 今日も天気がいい。汗が玉のように出て来るようだ。
「蓮。あたしこのまま店の準備をするわ。あなた心配事もあるだろうから、今日は遅番で良いかしら。」
「いいのか?」
「かまわない。あたしも今日は早く帰ってゆっくりしたいのよ。」
 せっかくの休日なのに、一人にさせている恋人が気になるのだろう。百合はこの容姿だから、あまり恋人を作ることはなかったが作ればとても長く続く。理解をしてくれているし、百合も理解しようとしているからだろう。
 蓮も菊子とそんな関係になれればいいと思う。だが不安なのは棗や皐月のことだ。
 そのとき公園から、武生が近づいてきた。手には大きなバッグがある。
「蓮さん。」
「あ、武生か。久しぶりだな。」
「えぇ。」
 恋人が薬で捕まったというのに、武生はいつもどおりに見える。だがそれはおそらく無理をしているのかもしれない。あの家では自分の弱みは見せられない。もし見せれば、そこからつけ込んでくるのだろうから。
 自分の道をしっかり見据えて、それに向かっていかなければ潰されてしまうのだ。
「イベントどうでした?いい天気で良かったですね。」
「あぁ。客も多かった。そういえば、お前のところの奴は来ていたのか。」
「圭吾兄さんがいっていると聞いてます。愛人と一緒に。」
 圭吾には決まった恋人がいない。だが「仕事」として疑似の恋人を演じることがある。それは売る女のことだ。
 どうやら美咲もその一人にしたかったようだが、美咲はレズビアン寄りのバイセクシャルだった。だから愛理を使って美咲に近づいたのだ。
 そのことについて蓮はもう責めるつもりはない。美咲が薬に転んだのは自分の責任でもあるし、それを今更責めても仕方がないと思っているところがあったから。
「圭吾自らの愛人か。金を相当落としているんだろうな。」
「そのようです。でも……もう売ったとか。」
「骨の髄までしゃぶり尽くすような男が、もう女を売ったの?」
 その話を百合も聞いていて、口を挟んできた。百合もまた美咲を薬に転ばせたヤクザにはあまりいい印象を持っていないのだ。
「えぇ。してはいけないことをしたとか。」
「ほかの男に転んだかな。」
「いいえ。なんか……人を殺そうとしたとか。」
 その言葉に蓮はくわえていた煙草を落としそうになった。殺しそうになったという言葉に、昨日のステージ上であったぼや騒ぎを思い出したからだ。
「「愛人」はヤクザじゃない。素人ですからね。もしそんなことをしたら、足が着くのは目に見えてます。そのとき影響するのは、うちの組ですから。」
 淡々と話をしているが、武生はその中にいるのだ。真人間になろうとしているようだが、そんなことを話せる男が普通の人間になれるのだろうか。
「ねぇ……蓮。やっぱり昨日のぼやって……。」
「やはり人為的なことだったのか。そしてその愛人がコードに傷を入れた。音楽の知識がないと出来ないことだな。」
 その「愛人」というのは、おそらく牡丹のことだろう。昌樹たちのバンドの前のバンドのステージを壊すことで、昌樹たちのバンドの演奏も出来ないようにとし向けたのかもしれない。
 だがそのもくろみは見事にはずれた。音楽はステージではなくても奏でられる。それを見事に証明したのは、蓮のベースであり、棗のギターであり、百合のパーカッションであり、何より菊子のあのよく通る声のおかげだった。
 もう会うことはない。おそらく圭吾の愛人であればどこかの国へ売られるか、そのまま薬を打ち続けてAVか何かに取られるか、闇社会の地下で男をくわえるしかないのだから。
 身から出た錆とは言え、やはり人道には反している。
「そんなことより、蓮。酒瓶は洗わないといけないんだけど。」
「え?そうだったか。」
「菊子ちゃんのところに行く前に、ざっとで良いから中身を洗っておいて。ゴミの缶と瓶はゴミの収集の時じゃないと持って行ってもらえないから、今日じゃなくて良いんだけど。」
「わかった。じゃあやっておく。」
 仕訳をざっとしておいたが、大量の瓶に思わずため息がでる。

 結局すべての瓶をすすぎ終わったのは、いつもの時間の一時間前だった。ベースは店に置いておいて蓮は北側の方へ足を向ける。
 こうしている間にも菊子は棗におそわれているかもしれない。そう思うと、腹が立つ。手にビニール袋を持つと、「ながさわ」の裏口の前にたった。そしてチャイムを鳴らす。
「はい。はい。」
 出てきたのは女将さんだった。
「あら。蓮さん。お帰りなさい。」
「大将の加減はいかがですか。」
「二週間は安静ですって。困ったものね。やはり若ぶっていても歳には勝てませんよ。」
 そういって女将は笑う。その女将に蓮は手に持っているビニール袋を差し出した。
「夕べはお世話になりました。これはほんの一つですけど。」
「あら。何かしら。」
 ビニールを開けると、お茶の袋があった。
「あっちの方はお茶が採れるそうなんですよ。新茶は時期が過ぎてしまいましたけどね。」
「いいえ。ありがとう。おつけものと合いそうですね。早速お茶を入れましょう。中で菊子を待ちますか?」
「いないんですか?」
 その言葉に女将の表情が少し曇る。
「棗さんに対象の穴を埋めてもらう話は、聞いていますか?」
「えぇ。あまり気は進まないでしょう。」
「私はイヤですよ。あんな人がこの家にはいるのも。軽くて、図々しいし。」
「……否定はしません。でも奴は昔からああいう奴です。」
「でも店のためには仕方ないのでしょうね。孝さん一人では手が回りませんし。」
 店のためには仕方ないと思っているのだろう。今更新しい職人を臨時で雇って変なものを客に提供されても困るのだ。
「それに朝、菊子さんと一緒に帰ってきて、包丁や白衣を取りに帰ると言ってまた菊子さんを連れていったんですよ。」
「は?」
 それは驚いた。取りに帰るくらいなら、一人で帰れと言いたいところなのにどうして菊子まで連れていったのだろう。
「何でも、ここで使っている食材の仕入先を知りたいとか。それによってどんなものを提供しているのかって見極めをつけるって言ってましたけどね。」
 確かに棗の店と比べると、高級店になるのだろう。出すもの一つ、味一つ、こだわりがあるのかもしれない。
 だがそこまでして菊子を連れていく意味がわからない。
「それにしては遅いですね。」
「えぇ。蓮さん。」
「はい?」
「二週間もこの家にいれば、棗さんは菊子さんにどんなことをしてくるかわかりませんよ。節操もなさそうですし……。あなた以外の子供なんて出来たら、困るんですよ。」
「……そんなことをさせませんよ。女将さん。一つ。提案があるんですけど。」
「何ですか。」
 その言葉に女将は驚いたように蓮をみた。まさかそんなことまで考えていると思っていなかったからだ。
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