夏から始まる

神崎

文字の大きさ
上 下
215 / 265
温泉街

215

しおりを挟む
 昌樹たちの出番は、後一つバンドが終わってから。後三十分といったところだろう。昌樹たちはその順番を見て少し苦笑いをしていた。
「地元バンドの後かよ。運が悪いよな。」
「ファンが多いんでしょ?」
 涼子はそう言ってわずかに見えるステージをみる。
「らしいな。客も集まってきた。」
 明らかに贔屓のバンドらしく、声援を送る女の声が聞こえる。
「あいつ等終わったら帰るとか言うんじゃないだろうな。」
「さぁ……でも帰らせないだろ?」
 昌樹はそう言ってドラムの男をみる。
「あぁ。」
 友紀はその様子に笑いながら言った。
「自信がなければやらない。昌樹はいつもそう言っていたわね。」
 店もバンドもそして結婚も、友紀を養えるという自信があったから結婚した。だから店を出して一ヶ月で結婚した。自信があったからだ。
 だから守りに入っている蓮がとても弱く見えたのだ。図体は大きいのに、気は小さいことに苛つきを覚える。
 プロになっても菊子を養える。その自信はないのだろうか。ただのバーの店員として、そしてベースなどの楽器を教えるだけでいいのだろうか。
 そのときだった。
 ステージでバチンという大きな音が聞こえた。そしてすぐに焦げ臭い臭いがする。
「きゃああああ!」
 女の叫び声。昌樹は急いでテントをでる。するとステージは炎に包まれていた。
「消せ!消火器だ!」
 テントの中に消火器があったはずだ。昌樹はテントの中に戻ると、その片隅にあった消火器を手にしてステージにあがる。
 そして日から身を守るようにしていたバンドのメンバーを後目に、火を消していく。
 鎮火したステージは焦げ臭い臭いと、消火器の白い粉で覆い尽くされた。
「……大丈夫か?」
 昌樹が声をかけると、バンドのメンバーの一人が安心したように膝から座り込んだ。
「ありがとう。急にアンプから火がでたの。」
 ボーカルの女が昌樹に声をかける。ドレッドヘアの女性だった。
「これか。漏電してたな。コードが切れかけてる。」
 そう言って粉まみれのギターのコードをつまみ上げた。
「電源切ったか?コンセントは?」
「抜いた。悪かったな。お前等の前で。」
 そう言ってバンドマスターである男が、サックスを持ったまま昌樹に声をかけた。
「いいや。でも……。」
 ステージから観客席をみる。突然火がでたので、客がパニックになっているようだった。泣き叫ぶ子供の声や、ここから立ち去ろうとしている人たちも多い。
「……すいません。ステージもこれですし……今日は中止ということで……。」
 申し訳なさそうに遅れてきた実行委員の男がステージに上がってきた。
「……仕方ないな。俺らのわがままも言えないし。」
 今までなんだかんだあっても練習をしてきたのに、こんなことですべてが水の泡になる。昌樹はそれが一番悔しかった。
「アナウンスを流しますので……。」
 そのときだった。ステージ脇の屋台の方から音楽が聞こえた。
「何だ?こんな時に。」
 音楽につられて、客足が止まる。昌樹もステージを降りて、そちらを見た。
 音楽が流れているのは屋台の一角。足を進めて、そこへ行くと「rose」の屋台の前で、菊子が歌を歌っていた。その横には蓮がベースを弾き、その隣には棗がアコースティックギターを弾いている。百合もドラム代わりでコンテナを手で叩いていた。
 曲は今日、昌樹たちが演奏する予定だった曲。菊子は少し笑いながら歌っていたように思える。そして蓮も、棗も生き生きとしている。百合がふと昌樹の方に気がついて、視線だけでこちらへ来るように促した。
「なぁ。昌樹さん。」
 振り返るとドラムの男が、スネアドラムとスタンドを持っている。
「これだけで良いかな。」
「……え?」
 すると後ろから友紀がサックスを持って、笑っていた。
「良いわね。あたしも参加しよう。みんな行く?」
「もちろん。ステージなんか無くても音楽は出来るでしょ?」
 いつの間にか人だかりが出来ていた。逃げようという人たちはもういない。
 組み立てられたキーボードは土の上であまり安定しない。チューニングしていない管楽器もある。ミスだってたくさんあるし、昌樹も歌詞を何度も間違えた。
 だが菊子はそれが楽しくて仕方ない。
 ベースを弾いていた蓮は少し笑いながら、菊子を見た。少し支えながら弾いているキーボードは、落ち着かないのだろう。それでも菊子は笑顔だった。
 だが蓮は観客の人混みの中に、一人の女がいることに気がついた。
「……。」
 それは綾だった。サングラスをして帽子をかぶっているが、あの銀色とも白とも言えるふわふわの特徴的な髪は、誤魔化しようがない。
 だがそれは一瞬。綾は集まってくる人混みをかき分けて、行ってしまった。

 バンへ戻ってきた海斗は、開口一番菊子を誉めた。
「すごい声だったな。上手いし、音程とれてるし、声でかいし。」
 累はサングラスをはずして、うなずいた。
「確かに歌はうまかったな。」
「へぇ。累が誉めるなんて、明日雪か?」
「こんなに暑いのに?」
 しかし文也は首を傾げていた。その様子に明人が声をかける。
「文也。どうしたんだ。」
「あの女さ……どっかで見たなと思って。」
「どっか?前の女か?」
 からかうように明人がいうと、文也はため息をついていう。
「俺に女がいたことはない。」
「男ならとっかえひっかえだけどな。」
 海斗の言葉に、文也は舌打ちをした。
「あの女……永澤英子の娘だって言ってたな。姿は確かににてないかもしれないし、永澤剛に似てるのかもしれないって思ったけど……。」
 声質が違う。まるで他人だ。
 そのときバンの扉が開いた。そこには綾がいる。
「綾。居たんじゃなかったのか。」
「……トイレ。」
 綾も不機嫌そうにいすに座る。トイレに行ったと言っていたが、本当は菊子の歌を聴いたのかもしれない。だから不機嫌になったのだ。
 だが明人は、こっそりと綾に近づいて聞く。
「蓮をみたか?」
「……余計な世話よ。」
「そばで歌ってた女は?」
「……。」
「あれが永澤菊子だってさ。」
「……ホストと歌わせたいって言ってた子?ホストがどれくらい歌えるのか知らないけど、あんな子とあたしだったら歌いたくない。」
「比べられるからか?」
「……ふーんだ。明人ったら意地悪。」
 帽子を取って綾は言う。
「所詮、お金にならない歌でしょ?だったら気楽よね。」
「綾。」
 そのときバンに西が戻ってきた。そして五人に言う。
「歌を聴いたか?」
「あぁ。上手いボーカルだった。西さんはデビューさせたいの?あの子。」
「……そうだな。それにあの子がデビューすれば、ちょっとした騒ぎになるだろうし。」
 確信はない。だが菊子がもし歌手になれば、それは公になるだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

君の浮気にはエロいお仕置きで済ませてあげるよ

サドラ
恋愛
浮気された主人公。主人公の彼女は学校の先輩と浮気したのだ。許せない主人公は、彼女にお仕置きすることを思いつく。

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

夜の公園、誰かが喘いでる

ヘロディア
恋愛
塾の居残りに引っかかった主人公。 しかし、帰り道に近道をしたところ、夜の公園から喘ぎ声が聞こえてきて…

連続寸止めで、イキたくて泣かされちゃう女の子のお話

まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)   「一日中、イかされちゃうのと、イケないままと、どっちが良い?」 久しぶりの恋人とのお休みに、食事中も映画を見ている時も、ずっと気持ち良くされちゃう女の子のお話です。

【R18】こんな産婦人科のお医者さんがいたら♡妄想エロシチュエーション短編作品♡

雪村 里帆
恋愛
ある日、産婦人科に訪れるとそこには顔を見たら赤面してしまう程のイケメン先生がいて…!?何故か看護師もいないし2人きり…エコー検査なのに触診されてしまい…?雪村里帆の妄想エロシチュエーション短編。完全フィクションでお送り致します!

これ以上ヤったら●っちゃう!

ヘロディア
恋愛
彼氏が変態である主人公。 いつも自分の部屋に呼んで戯れていたが、とうとう彼の部屋に呼ばれてしまい…

処理中です...