夏から始まる

神崎

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温泉街

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 一通り祭りの会場を見渡した菊子は、とりあえずその場をあとにした。そして他のバンドのメンバーとは別に会場とは別の町を歩いている。石畳の道は少し歩きづらい。だが横を流れる川も、川岸にある温泉も、とても風情があった。
 蓮と二人で来れたら良かったかもしれない。だが学校が始まって二学期に入れば、そんな余裕はないかもしれない。結局自分がどんな道に行くのか、まだ結論は出ていなかったからだ。
 棗の居る学校へ行くのは抵抗があるし、棗の店にはいるのはさらに抵抗がある。教えてもらえるかもしれないが、手も出してくるだろう。あれだけ言っても手を出してくるのだ。
 それに「ながさわ」にも居たくない。まだあと数年は皐月もいるだろう。皐月もここ数日でキスをしてくる。蓮だけを見たいのに、誰もがそれを引き離そうとしているのだ。
 そのとき、菊子の脇を白いバンが通っていこうとして停まった。菊子はそれを見上げて、首を傾げる。目張りをしたバスは、中の様子が見えない。もしかしたらヤクザか何かと思って少し警戒をした。
 だが窓が開き、助手席に乗っている女の顔が見えた。少しぽっちゃりとしたショートボブの女性に、菊子は少し安心した。
「すいません。お祭りの会場はこの道で合ってますか?」
「はい。この先の突き当たりを右です。すぐに大きな建物が見えますよ。」
「良かった。ありがとうございます。」
 ふと中が見えた。そこには見覚えのある人がいる。
「……あ……。」
 つい声を上げてしまい、女性は気まずそうに窓を閉めて車は行ってしまう。そのあとをトラックが着いていった。
「……あれは……。」
 わずかに見えたその顔を覚えている。蓮の知り合いだと言っていた「black cherry」の明人だった。出番は明日だと言っていたのに、前乗りをしたのだろうか。
 明人がいると言うことは、綾もいるのだろう。そして蓮と会うかもしれない。そう思うと菊子の足は、急ぎ足で宿へ向かっていた。譜面を持って、早く戻らなければいけない。

「結構可愛い女の子だったみたいだね。」
 「black cherry」のドラムである海斗はそう言って笑っていた。それを冷えた目でベースの累は見ていた。
「地元のヤツだったら、田舎くさい女だろう。あか抜けてないようなヤツを相手にして何が楽しい。」
 累の言葉に、ギターの明人は笑いながら言った。
「一から教えがいがあるよな。そう言うヤツ。」
 キーボードの文也は最初から興味がないのか、川を見ていた。
「川岸に温泉があるな。でもあれにはいるのは、勇気がいるな。」
 文也の言葉に海斗は笑いながら言った。
「今日はここに泊まるんだったら、入れるだろ?興味あるな。俺。混浴?」
「らしい。でも入ってるのババアばっか。」
 文也の言葉に海斗は大げさに反応する。
「げぇ。そんなもん見てどうすんだよ。綾くらいだったらいいけどさ。」
 綾は最初からその会話に参加する気はないようで、耳にはイヤフォンがある。その曲はすべて明日歌う曲ばかりだ。
「あー。もう。」
 突然綾はイヤフォンをとり、ふてくされたように座席にもたれ掛かった。
「どうした。」
 明人が聞くと、綾はふてくされたように言う。
「……曲が難しい。何でこんな曲を作ったのかしら。」
「難しいのはお互い様だろう。自分だけが難しいと思うな。」
 文也はそう言って綾の方を見る。
「でも売れてるんだろ?なぁ。西さん。」
 奥に座っているのは西だった。にやりと笑って、五人を見る。
「あぁ。良い売り上げだ。週間だと一位を取っているしね。」
「だろ?」
 海斗の言葉に綾はふてくされたように言った。
「CDの通りに歌わないといけないって、結構難しいんだけど。」
「俺らだってそうだろ?ばっちりだっていうことなんかないんだから。」
 文也の言葉に綾はさらにふてくされたように、外を見る。会場が見えてきた。
「そう言えばさ。綾。」
 明人が綾に声をかける。
「何?」
「あの会場、蓮がいるかもしれないな。」
 蓮の名前に綾は表情を変えた。さらに不機嫌になったようだ。
「何で?」
「ほら。これ見ろよ。」
 それはあらかじめ送られてきたポスターだった。参加するバンド名とともに、屋台の屋号も載っている。どうやら普通の屋台とともに、バーや居酒屋が出す屋台もあるらしい。その中に「rose」の名前もあったのだ。
「「rose」って百合が雇われオーナーでしてるライブハウスだろ?」
「百合って?」
「あぁ。あのときは仁って名前だっけ。」
「仁?マジで?で、そこに蓮もいるってわけ?」
「その可能性が高いよな。」
「えー。だったらあたし降りない。」
 綾はふてくされたように頬を膨らませた。
「お前が一番テンション高かったのに、何でいかねぇんだよ。」
 海斗はそう言って綾を責める。
「だって行きたくないもん。」
 累はその様子を見ていて、ため息をついた。
「綾。お前もわがまま言える歳じゃないだろう。」
「……。」
「可愛いって言われるのあと何年だと思ってんだ。そろそろ、実力見せろ。」
 頬を膨らませる。自分でもわかっていた。パンクを歌っていた頃が一番自分らしいと思うし、こんなに庶民受けする曲を量産すると思ってなかった。
 しかし今はその流れだ。売れているときに売っておかないといけないのだし、若いから可愛いと言われているときはすぎようとしているのだから。
 綾はソロ活動をそろそろしないかという話もある。
 だがソロ活動なんかしたら、自分のやりたい音楽をさらに出来ないだろう。
 やはりあのころが良かった。
 蓮と言い合いをして、それを百合が止めて、おもしろそうに棗が笑い、そして恋人である美咲がそばにいた。
 それがすべて崩れたのは蓮が美咲を見ていなかったから。
 すべては蓮のせいだ。蓮のせいですべてが崩れた。だから恋人がいるという話を、明人から聞いたとき正直はらわたが煮えくり返ると思った。
 すべてを無かったことにしようとする蓮の根性も許せない。
「お、もう始まってるんだな。」
 窓を開けた海斗は、その音楽に耳を傾ける。
「ジャズかな。下手だけど。」
 文也はその音に険しい表情になった。
「……リズムに乗り切れてないな。ジャズは表じゃなくて裏をとるのが基本なのに。」
「まぁいいよ。降りようぜ。」
 海斗はそう言ってサングラスを身につけた。
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