夏から始まる

神崎

文字の大きさ
上 下
208 / 265
真実

208

しおりを挟む
 氷を入れたアイスティーを梅子の前にあるコースターの上に乗せた。蓮は氷を入れた水をくみ、シンクの上に置く。
「美味しい。作り置きしないのね。」
「あぁ。そういう店じゃない。アイスコーヒーも作り置きはしないし、カクテルだったら生の果物を使うこともある。」
「ライブハウスって割には、こだわっているんだ。」
「大本の会社のこだわりだ。どっかの企業とくんでだしている店だしな。」
 煙草を取り出して、梅子をみる。タンクトップから胸の谷間が見えるが、そんなものに興味はない。菊子がこんな格好をしていたら、迷わずその上着のボタンをしめるかもしれない。
「まぁ……でもその時々によって変えるけどな。」
「時々って?」
「人気があるようなバンドだったら、客も多い。そんなときにそんなこだわった煎れ方をしてる場合じゃないって事だ。」
 そのときはメニューも限られる。ビールやコーラ、ジンジャーエールなどの注いだら終わりのメニューにすることもあるのだ。
「ねぇ。菊子とうまくいってる?」
「あぁ。お陰様でな。」
「お陰?あたし何もしてないよ。」
 少し笑って、アイスティーに口を付けた。
「菊子に色々と教えたらしいな。」
「あー。」
 祭りの日に菊子と一緒になった。そのとき色々と技を教えたのだ。まさか実践していると思ってもなかった。
「やーだ。でも気持ちよかったでしょ?あたしほどじゃないけど、菊子だって胸大きい方だし。」
「そんなことにこなれても仕方ないだろう。」
 蓮はそういって煙草に火をつけた。
「何?自分で一から育てたかった?」
「……。」
「年上ぶっちゃって。たった三つじゃない。そんなに男が優位に立ちたいわけ?」
「そうじゃない。菊子は……。」
「菊子だって女じゃない。人並みに性欲だってあるわよ。それにずいぶんあたしには、背伸びしているみたいに見えるもん。」
「……背伸び?」
 確かに呼び捨てで呼ぶようになったし、平口になった。だがそれでも同じ視点に立っていないというのだろうか。
「音楽の知識もないからってずっと音楽を聴いてて、歌もキーボードだって真面目に取り組んで……。それって蓮さんとすっと肩を並べたいって思っているからじゃないの?」
「……。」
「視点を下げて上げればいいのに。だから楽な人に転びそうになってんじゃん。」
「それは……棗のことか?」
「……。」
 今度は梅子が黙る番だった。誤魔化すようにアイスティーに口を付ける。
「棗と何かあったのを知っているのか?」
「まぁ……あたしがけしかけたもんだし。」
「は?」
 驚いて蓮は思わずカウンターから出そうになった。
「祭りの時、菊子と二人で帰ってたけどそのときナンパされそうになって、助けてくれたのが棗さんだったから。」
「……。」
「そのあと、二人で帰らせた。あたし用事があったし。そのあと何かあったのかもしれない。」
「……あったらしい。でもそれは直前だった。でもあのあと……。」
 菊子は棗に体を開いた。それは一度だったと思っているが、もしかしたらもう一度はあったかもしれない。
「……どうだろうね。菊子って案外流されやすいし。」
「……。」
「でもそれ知ってどうするの?二度と棗さんに会わせないようにするの?無理じゃない?うちの母さんも言ってたけど、蔵本棗って人の店は人気店だよ。そんな人の店で働いた方が、料理人として近道じゃない?」
「そうだな。」
「それは認めるんだ。」
「昔からのつきあいだからな。あいつが料理人で大成するのはわかっていた。あいつははっきりしているから、好き嫌いははっきりしているかもしれないが料理人としての腕は確かだ。」
 どん欲に何でも知ろうとする。そこは菊子に似ていた。
「棗さんって、たぶん、菊子とかあたしの目線にすっと下がってくれるの。だからすごく話しやすい。蓮さんじゃそうはいかないでしょ?」
「……。」
「背伸びは続かないよ。いずれ倒れるから。」
 梅子も自分に言い聞かせていた。この間、また啓介と寝てしまったのだ。啓介も自分の目線に下がってくれる。だがそれに甘えてはいけないとどこかで思っていた。
「とにかく……そう思うなら、菊子によけいな知識を増やすな。」
 すると梅子は笑いながら、蓮を見上げた。
「やーだ。気持ちいいくせに。」
 頬が赤くなる。こういうことには百戦錬磨の梅子とその話をしていると、自分の方が年下のように思えてくるので不思議だった。
「男もあるよ。こうするとすごい感じるヤツ。」
「菊子は敏感だ。そんな余計なことをしなくてもちゃんと感じる。」
「棗さんの方が良いかもしれないのに?」
 その言葉に蓮はぴくっと反応した。確かに経験不足は否めない。何せ蓮だって、経験人数から言うと数えるほどしかないのだから。
「どうするんだ。」
「お。食いついてきた。」
 梅子はその口にはばかるようなことも平気で口にする。だから菊子が急にこなれてきたのだろうか。
「……お前、本当に十八か?」
「十七ね。あたし誕生日冬だから。」
 笑いながらアイスティーを飲み干す。そのとき入り口のドアベルが鳴った。
「おつかれー。あれ?可愛いお客様ね。」
 百合は少し笑いながら、カウンターに入っていく。
「菊子の友達だ。」
「あー。そうなの。でもたぶん二回目かな。祭りの時に会ったわね。あぁ。あなたあれでしょ?中本さんの紹介で、写真撮られてたって言ってたわね。」
「え?知ってるんですか?」
「えぇ。中本さんが何度か見えてくれてね、良い女の子が居て良かったって。」
「……。」
 正直嬉しかった。母からそんなことで誉められたことはなかったから、他人から誉められるのは悪い気はしない。
「写真?」
「ほら。おっさんが読むような雑誌あるでしょ?あれのグラビアらしいわ。」
「へぇ。芸能人か。」
 すると梅子は手を振りながら、それを否定した。
「やーだ。そんなんじゃないですよ。それに、あたし……やっぱり撮られるより撮りたい方が良いかな。」
「カメラマン?」
「も良いけど、そのために専門行きたくて。」
「良いじゃない。ねぇ。蓮。」
 すると蓮は少し笑いながら言った。
「良いかもしれないな。」
 しかし蓮は正直、さっきの話から梅子はこの歳にしてはこなれすぎている。中本のねらいは、AVなのかもしれないと思っていた。
 蓮は知らなかったが、一昔前に二、三年しかでてなかったのに爆発的に売れたAV女優がいた。それが蝶子と言うらしい。梅子はその蝶子の娘なのだ。喉から手がでるほど欲しい人材だろう。
しおりを挟む

処理中です...