夏から始まる

神崎

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想う人

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 きっと菊子は今頃、蓮の所にいるのだろう。そう思うと、いらだってくる。だがそれを顔に出してはいけない。市場は店にいいものを卸せるかどうか、人と人との繋がりも大事になってくる。
 大将はそれを大事にしていた。だからそれをぶち壊すわけにはいかない。もし大将に何かあったら、自分がこの場に立って交渉をしないといけない。葵では若すぎるし、菊子や女将さんだと女だからといってバカにされるのだから。
 仕入れた魚を軽トラックに積み込み、そのほかの野菜や肉も積み込む。すっかり秋めいた食材ばかりだ。栗やサツマイモもある。
「栗ご飯にするんですか?」
「それもいいな。だが栗ご飯は甘いからな。好き嫌いがある。サツマイモと一緒にきんとんにしてもいい。」
 きんとんというと和菓子のように感じるが、「ながさわ」では食事として出すこともある。
「干しいもってのも美味しいですよね。」
「あぁ。干すと美味くなる。甘みが濃縮されたようになるし……。それにしても皐月は、そんな田舎の料理をよく知っているな。」
「うち、実家は田舎ですからね。」
 皐月には両親がいない。賭事ばかりする両親だったらしく、ぼろぼろのアパートで置き去りにされていた皐月を警察が見つけて、父親の実家に預けられたのだ。
 そこでは父親の母というお婆さんが、皐月の面倒を見てくれた。あまり金銭的に余裕はなかったらしく、その上口うるさい人だったが、料理は上手でその一手間かけた料理をずっと口にしていたから、皐月の舌は敏感なのかもしれない。
「よう。」
 最後のコンテナを軽トラに積み込んだとき、皐月は声をかけられた。振り向くと、そこには棗の姿がある。
「棗さん。」
 棗の名前に大将が、他の業者と話しながらこちらをみた。
「棗君。こんなところまで仕入れか。」
「えぇ。今日は、こっちの方で芋がいいのが出てるって聞いて。」
「あぁ。見事なものだ。君の所はそれで何をするのか。」
「芋ご飯にしますよ。サンマも出てたし、塩気の強いものが中心になりそうだから、甘い飯ってのもいいかもしれないと思って。」
 頭が回る男だ。その発想はなかった。栗と芋できんとんくらいしか思い浮かばなかったのに。
「栗は甘露煮にして、保存も出来る。うちは甘いものも出すから。」
「へぇ……。今度、店に寄らせてもらってもいいですか。」
「別にいいよ。俺いるかどうかわからないけど。」
 少し嫌みのつもりでいった。皐月も菊子をねらっているような節がある。もしそれがただの小さな恋心として芽生えたばかりなら、早めにつみ取っておきたいと思ったのだ。
「菊子さんと行こうかな。」
「菊子と?」
 対して皐月は挑戦的だ。菊子を狙っているのはわかるし、寝たのは合意だったと言い張っているところを見ると、本気で蓮から菊子を奪おうとしているのが見えるから。
「案内してもらおうと思って。店の位置を見ると繁華街のど真ん中だし、菊子さんが行きたいって言えば葵と一緒に行きますよ。」
 その様子をおもしろそうに大将は見ていた。二人とも笑顔ではあるが、ばちばちと火花を散らしている。花火大会のようだと思っていたのだ。
 今日の勝者はどうやら皐月だ。元々ホストをしていたという皐月は、男同士でもそういう駆け引きに長けている。
 だが肝心の菊子は、蓮のものだ。夕べから音楽の練習へ行くと言って菊子は帰ってきていない。正直、菊子がもし結婚をすると言うのだったら、相手は蓮が一番いいと大将は思っていた。
 蓮は音楽を生業にしている。それは料理をしたいという菊子とは全く違う道だ。だからお互いの仕事を干渉せず、ただ無条件に一緒にいれる関係になれると思ったから。
 だが店のことを考えると、店を継いでくれそうな皐月でも他に店を構えるという棗も、悪い男ではない。
 一番は菊子の気持ちだ。
 菊子はきっとまだ蓮しか見えていない。
「棗君。今日はこれからまたどこかの市場へ?」
「えぇ。もう少し北の方の漁業市場で、この時期には珍しいけどサワラがあがったって聞いたから。」
「ほう……。それはいい。皐月、お前も見てみなさい。」
「大将。」
「良ければ仕入れてくるんだ。先に帰っているからな。」
 そういって大将は軽トラックの運転席に乗り込み、車を走らせていった。残された皐月と棗は顔を見合わせる。
「男と行ってもなぁ。」
「菊子さんだったら、強引でもつれていくのに。」
「……下心があるからだろ。」
 棗はそういって、皐月と自分の車の方へ向かう。
 赤い車は何度かみた。国産の車ではなく、どこか外国の知らないメーカーの車。だが乱暴に扱われているらしく、ドアの所はボコボコにへこんでいた。
「んで、菊子は家か?」
 車に乗り込み、棗はエンジンをかける。すると皐月は不機嫌そうにいった。
「今日は帰ってきてませんよ。」
「あー。蓮の所か?」
「多分ね。夕べ例のスカバンドの練習へ行くって言って、そのまま帰ってきてませんよ。」
 「rose」まで送った。その道すがら、皐月は菊子とキスをしたのだ。拒否をしながらも菊子は答えてくれた。それが勘違いしそうになる。
「ってことは、夕べやってるな。」
 心の中で舌打ちをする。あの感じやすい体を好きにしたのだ。本当なら自分の体で感じさせたいのに。
「苛つかないんですか。」
「苛つくだろ?そりゃ……。」
「……俺だって苛つきますよ。」
 その言葉に驚いて、棗は皐月をみる。
「お前……。」
「行きましょう。サワラが無くなるかもしれないし。」
 皐月の言葉は気になるが、棗は車を走らせた。

 サワラはそこそこいいものだった。大将に連絡をして、仕入れる量を聞きそれを棗の車に積み込んだ。
 そして棗は店まで送り届ける。本来なら送りたくない。だが大将には恩を売っておきたいところもある。菊子のために。
 店について、発泡スチロールをおろす。そして厨房側のドアを開けた。
「ただいま帰りました。」
 するとそこには蓮と大将の姿がある。
「おう。お帰り。」
 あたかも自然にいるので驚いてしまった。大将が奥から出てくると、そのスチロールの中身をみる。
「……いいサワラだな。季節はずれだが身がしまっているようだ。」
「蓮。何でここにいるんだよ。」
 すると蓮は頭をかきながらいった。
「……手伝ってくれっていうから。」
「は?」
「葵が熱があるみたいなんだよ。菊子と一緒に帰ってきたら、ふらふらした顔で掃除してた。」
 気がつかなかった。葵の様子まで見ていなかったのは、菊子に気を取られたからだ。
「……すいません。手伝ってもらって。」
「別にかまわんよ。朝飯ご馳走してもらえるらしいし。」
 すると奥から菊子が顔をのぞかせた。
「蓮。片づいたらご飯食べてっていってるわ。」
「うん。」
「菊子。棗君の分もあるか。」
 大将はそう聞くと、菊子は少し笑っていった。
「多めに用意してます。」
 すると大将はその発泡スチロールのケースを、冷蔵庫にしまうと棗に声をかける。
「食事をしていったらどうだろうか。」
「いただきます。」
 自分でも意地だと思う。
 自分が居たい位置に、蓮がいる。そしてもう夫婦のように接している菊子。邪魔なのは自分だ。そう言われているようだった。
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