夏から始まる

神崎

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 部屋に戻ると、まだ棗がいた。菊子が見ていた楽譜を見ているようだった。その様子に蓮は少しため息を付く。
「お前、女の部屋に勝手に上がるなんてなぁ。」
 だが棗は蓮のその言葉に耳を貸すことはなかった。そして持っていた楽譜を置いた。
「キーボードの経験がない奴にする曲じゃないな。」
「麗華が来れないと言っていた。だったらこいつに頼むしかないだろう。」
 だから菊子は練習をしたいとずっと言っていたのだ。その楽譜の難しさが、練習をする度に身にしみてわかっているのだから。
 菊子もまた、棗のように必要だと言ってくれることがとても嬉しいのだろう。だからその期待に応えようとする。おそらく、両親にほめられたことがないから、その反動かもしれない。自分の手に負えないとわかっていても、何とかしようと思っているのだ。
「蓮。」
「何だ。」
「俺はお前が菊子と結婚しようと、子供が出来ようとどうでも良い。ただ菊子には俺が立ち上げる店に来てほしいだけだ。」
「……。」
「資格が欲しいって言うのだったら、通信制でも何でも資格は取れる。こいつに来て欲しい。」
「そこまでして?」
 いぶかしげに棗をみる。それはさっきまで言っていたことと違うことだったからだ。
「ただ……。」
「何だ。」
「手は出したい。」
「ふざけんな。そんなことを認めるわけがないだろう。どこの世界に結婚する前に妻の不貞を認める夫がいるんだ。」
 その言葉に棗は少し笑う。
「菊子。」
「……。」
「よく考えろ。さっきの言葉は嘘じゃない。」
 そう言って棗は立ち上がると、菊子の方に手を少し置いてそのまま部屋を出ていった。
「さっき?」
「……色々話してくれたの。この間……養鶏場へ行ったわ。その家が、棗さんの育ったところだったとか。」
「あぁ……。」
「だから私に固執するのね。今度は失敗したくないって。」
 ベッドに腰掛けると、蓮もその隣に座る。そして菊子は蓮の体に体を寄せた。
「さすがにここでは出来ないな。」
「蓮。だったらキスして。」
 その言葉に蓮は菊子を抱き寄せて、唇を軽く重ねた。目を合わせて、菊子はそのまま電気を消す。
「どれくらい寝れそうだ?」
「……あまり寝れないかも。それでなくてもこんなに胸がドキドキしてて。」
「俺もだ。」
 今すぐこのシャツを脱がせたい。喘がせて、ぐちゃぐちゃにしたい。なのに、今は出来ないだろう。
「菊子……。」
 そのとき菊子の体が蓮の足下まで沈んだ。
「どうしたんだ。ん……菊子。よせ。」
 ベルトがはずされる音がした。そしてジーパンを脱がされて、下着も取られる。まだ少し柔らかいそれに、菊子の柔らかい指が触れた。それだけで堅くなりそうで、思わず声がでる。
「ん……。」
 仰向けになり、菊子の手がそれを刺激する。おそらくあの梅子という女からまた何か聞いたのかもしれないが、それがうまくなっている。こんなことをうまくなっても……いいや。それはそれで役得だ。
 蓮はそう思いながら、菊子の方をみる。すると菊子の頬も赤くなっていた。
「こんなになってる。蓮の……。」
 すると菊子の口元がそれに触れた。その温かさに、思わず声がでた。
「あっ……。」
 水の音がする。少し吸ったり、舐めたりするのが上手くなっていた。本当に良い友達を持っている。蓮はそう思いながら、その刺激に耐えていた。だがそれも限界だ。
「菊子……だめだ。そのまますると口に……。」
「出して。良いから。」
 その言葉に蓮は目を閉じて、それをゆっくり菊子の中に流し込んだ。
「ん……。」
 そこから口を離すと、菊子はそれを喉の奥にしまう。どろっとして変な味だと思った。
「……菊子。どうしたんだ。」
 急にこんなことをする女じゃなかったはずだ。何かあったのだろうか。わからない。だが正直気持ちよかった。
「欲しがったら駄目なのかしら。」
「いいや。」
 そう言って蓮は菊子を抱きしめる。
「菊子。明日の夜、練習するんだろう?」
「うん。」
「だったら、そのあと家に来い。」
「うん。わかった。」
 消して欲しい。全てを消して欲しかった。棗に体を開いたこの体のあとも、全て蓮で消して欲しいと願った。

 次の日。蓮がいることで女将さんは驚いていたが、棗のことを考えるとそっちの方が良いと思ったのだろう。
「それくらい積極的ではないといけませんよ。殿方は。ではないと、菊子さんを取られてしまいます。」
 蓮は少し苦笑いをして、女将を見ていた。
「女将さん。あの鬱金か何かありませんか。」
 キッチンへ駆け寄ってきた菊子は焦っているようだった。
「どうしたんですか?」
「武生が二日酔いになったみたいで、頭が痛いって言ってます。」
 日本酒を飲んでいたのだ。水のようだと言ってずいぶん飲んでいたから仕方がないだろう。
「……ったくなさけねぇな。二日酔いなんて。」
「あー。すいません。頭いたくって……。」
 奥から棗と武生がやってきた。武生は確かに青い顔をしていた。
「病気ではないが、初めてか?」
 蓮がいることで武生も驚いたように見ていた。だがそれよりも頭が痛い。
「そうですね。普段飲まないし。」
「未成年ですからね。仕方ないですね。」
「梅がゆでも作りましょうか。」
 そう言って菊子はキッチンに立つ。すると棗はそのあとを追うようにキッチンに入ってくる。
「何ですか?」
「別に。手伝おうかなって。」
「結構ですよ。台所が狭いですから。」
 女将が邪険に棗を追い出す。すると棗はリビングを離れて、階下に下がっていく。
「今日の食材を見に行くんですかね。」
「いらないことを言って大将に嫌われなければいいのですけど。」
 だがその女将の予想は大きく外れた。
 機嫌良く大将と棗。そして葵と皐月が二階に上がってきた。
「そうか。そんなことも出来るな。」
「湯引きすると美味しいかもしれませんね。あの魚は。」
「早速三枚におろそう。」
 取り越し苦労だった。菊子はそう思いながら、蓮と武生の方に目を向ける。何か話をしているようだった。
「……そうか。知加子さんが……。」
「たぶん、俺の家が指示をしたんだと思います。確かに不自然な点がある店だとは思ってましたから。」
「みかじめ料のことか?」
「はい。払ってるそぶりもないし、ヤクザと関わっているような気配もなかった。確かに表向きにはそうしている店がほとんどです。でも少なからずみんな世話になってます。」
「うちの店もそうだ。だからお前の兄の省吾はたまにくるらしい。」
「らしい?」
「たいてい俺がいるときはキッチンにいる。あの男とは顔を合わせることはない。」
「……たぶん……切られたか、もしくは、義母がたれ込んだのかもしれません。気にくわないって言ってたから……。」
「そうだったな。レイプみたいなことをしたとも言っていた。」
「はい。」
「相変わらずだな。あの女は。」
 ため息を付く蓮に、不思議そうに武生が聞く。
「知り合いですか?」
「あぁ。俺の昔の奥さんに薬を垂れ流したのは、愛理だからな。」
「え?」
 結婚していたことがあるというのは初めて聞いた。それを菊子も知っていたのだろうか。
「昔のことだ。もう繋がりはない。」
 久しぶりに美咲のことを話した。笑いながら話せるようになったのは、もう吹っ切ったからだろう。そしてそのきっかけを作ってくれたのは菊子だ。
「夜の分も炊かないと、間に合いませんね。」
「今日の夜は、焼きうどんにしましょうか。」
「あ、だったら炊かないで良いですね。」
 その様子に蓮は少し笑い、武生をみる。
「お前、これからどうするんだ。」
「……とりあえず勉強します。」
「勉強?」
「大学に行きたいんです。外国語大学。そこで語学を学んで、世界を見たい。そのきっかけを作ってくれたのが、知加子だったから。」
 知加子がどれくらい塀の外にいるのかわからない。だが、その分まで自分が見たいと思ったのだ。
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