夏から始まる

神崎

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秘密

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 鶏肉は少し硬いが、噛めば噛むほど味があり、身が引き締まって美味しかった。野菜も多少堅さは気になるが、美味しかった。
「美味しい。塩だけなのに味がある。」
「だろ?」
 辰雄は嬉しそうに、鶏肉を口に運んだ。
「ここの鶏肉が入ったときは、有無も言わずに炭火焼きだな。評判良いんだ。」
 棗もそう言って食べ始めた。七輪に火をおこして、それを三人で囲んでいる。
「塩もそこで作ってるんだよ。海の塩を天日干ししたヤツ。」
「本当ですか?見に行きたい。」
「今度な。」
 棗はそう言って笑う。食に関しては本当に見境のない女だ。こんなヤツが隣にいてくれると助かるのに。棗は心の中でため息をついた。
「で、菊子ちゃんは棗と付き合ってどれくらいになるの?」
「え?」
「は?」
 辰雄と顔を見合わせて、首を傾げる菊子。
「違うの?」
「違います。私、あの……恋人はいるので。」
「何だよ。お前、彼氏もちを連れてきたのか?どんだけ人のもの取るの好きなんだよ。」
「言っとけ。いずれ俺のモノになるんだから。」
「なりません。」
 良いコンビだ。恋人ではないのかもしれないが、一緒に働けば良いパートナーになれるかもしれない。
「良い匂いしてるねぇ。」
 そう言ってやってきたのは、割烹着を着て麦わら帽子をかぶったおばあさんだった。
「村上さん。」
「今日、おはぎ作ったのよ。よかったら食べて。」
 手にはタッパーがある。辰雄は立ち上がると、それを受け取った。
「マジで、やった。村上さんのおはぎ超美味いから好きなんだよな。あ、卵わけようか?」
「そうね。じゃあ少しもらうわ。」
「産みたてにする?卵かけご飯?」
「そうね。明日の朝そうしようかしら。」
「OK。OK。ちょっと待って。」
 鶏小屋に入り、辰雄はボウルに卵を数個いれて、おばあさんに手渡した。
「今日産みたて。」
「ありがとうね。」
 するとその様子に菊子は納得したようにうなづいた。
「どうしたんだ。」
「用途によって卵を変えてるんですね。新しければいいってモノじゃないって事でしょう?」
「そうだ。卵も卵焼きにするとか茶碗蒸しにするんだったら、新鮮すぎると黄身と白身がうまく混ざらない。そうでなくてもここのすごい弾力だからな。鶏肉もそう。しめたばかりのヤツは身が締まりすぎて硬い。柔らかいモノがいいんなら少しおいて置いたヤツの方が良い。後、冷凍させるとかな。」
「冷凍がイヤって言っていたのに。」
「時と場合だよ。冷凍させた方が美味しいモノもあるし。肉は結構そういうヤツが多いな。」
 そんなモノなのか。菊子は感心しながら、その肉を口に運んだ。
「やった。おはぎ。大抵のモノは手作りでいけるけどさ、砂糖だけはどうにもならないからなぁ。」
「まぁな。もっと南に行かないと砂糖は難しいだろ?」
「お前な。何か俺がけちみたいじゃん。一応金はあるんだよ。うちの鶏肉も卵も野菜も、都会に行けばすげえ価格で売られてるわ。」
「知ってる。」
「でも何か嫌じゃん。ただ俺は、自給自足が出来ないかなって思っただけなのに。」
「自給自足ですか。」
「そう。一応、電気もガスも通ってるけどさ、出来るだけ自然に近いところで暮らしたいし、鶏だって自然の方がストレスかかんないでうまく生きていけるだろ?」
「まぁ……狭いところで太陽の光も見ずに絞められる鶏もいるって聞いたことあります。」
「そんなヤツより絶対こっちの方がうまいに決まってる。俺もそういう店を出したいと思ってたんだけどな。」
 棗はそういって箸を止めた。
 そうだ。棗はあの店を始めた頃、あまり売れなかったらしい。だから見た目が華やかで、いる店員も顔で選んだところはある。
 結果はちやほやされた。だがそんなモノをしたかったんじゃない。だから今度の新規で立ち上げる店は、今度こそ自分の思い通りにしたいと思っていたのだ。
「その新規の店舗はどうなんだ。」
「さぁな。クラブとかホストとかがある界隈。」
「どうだろうな。そういう奴らがアフターか同伴で使うかもしれないけど、気軽に誰でもってわけではなさそうに見える。価格も高めにしないと、同伴やアフターでも使ってくれないかもしれないな。」
 さすがに元ホストだ。その辺がよくわかっている。
「そうだな。でもあの場所が一番条件がいいんだよな。」
「何であの町にいるんだよ。もっと他の町でも良いだろ?お前、身内いないっていってたじゃん。」
 その話は初めて聞いた。驚いたように菊子が棗をみる。
「いないよ。でも身内が増えるかもしれないじゃん。」
 菊子の方を見て、薄く笑った。バカにしている笑いだ。
「棗。だから人のものをとるなっていってんだろ?バカか。高校生に手を出してどうするんだ。お前いくつになったんだよ。」
「三十二。」
「ロリコンか。」
「はぁ?ロリコンじゃねぇよ。こいつ立派に大人の体してるし。」
 思わず肉を飲み込んでしまった。そんなことを言うと思ってなかったからだ。

 卵と肉を発泡スチロールにいれて、棗は機嫌良く車に乗り込んだ。その助手席に菊子も乗り込む。すると外で見ていた辰雄が菊子のいる方の窓を少し叩いた。
「どうしました?」
「途中で襲われないようにしないとな。」
「気をつけます。」
「……棗。ちょっと良いか?」
 エンジンをかけた棗に、辰雄は声をかける。その顔は今までと違い少しも笑いがなかった。
「何?」
「エンジンかけたままで良い。暑いだろうし。」
 その言葉は菊子はここにいろと言うことだ。棗は車を降りると、辰雄と少し車を離れる。
「わざとか?」
「は?」
「あの子……永澤って言ったよな。アレだろ?永澤英子の娘だ。」
「……わかってたか。言っておくけど、狙ったわけじゃねぇ。偶然だよ。俺は今日茶碗蒸しを提供したかった。ハモをいれてな。永澤貴人だって、どっか良い養鶏場はないかって最近相談を持ちかけられたばかりだ。」
「……本当にそれだけか?」
「あぁ。」
「だったら何も言わないでおけるだろう?」
「……わかってる。そんなこと、菊子に言えるわけない。もちろん、蓮にもな。」
「……蓮と付き合っているのか?」
「あぁ。」
「……。」
「心配するな。蓮も何もわかってねぇし、お前とデキるよりは鬼畜感はない。」
「そりゃな……。」
 辰雄はため息をついて車の中の菊子をみる。やはりよく似ている。そう思ってやるせなかった。
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