夏から始まる

神崎

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澱んだ青

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 さっきよりも雨が酷くなってきた。なのに四人は傘をさして家を出る。さっきもそうだが、黒塗りの車が多い。どうやらヤクザがどこかへ行こうとしているようだ。
「ご苦労なことだなぁ。」
 棗はそういいながら忌々しそうに蓮と菊子を見ていた。傘が折れてしまったと言ったら、蓮は迷わずに菊子を傘に入れる。菊子も嬉しそうにその中に入っていった。
 さっきまで自分の隣にいたのに、もう蓮の隣にいるのだ。それが腹立たしい。その後ろ姿を見て、水樹は笑いながら棗に近づいた。
「お前、あの高校生を気に入ってるの?」
「あぁ。俺が新規で立ち上げる店には入れってずっといってるけどな。」
「それだけじゃないだろう?」
「……。」
「すごいな。あれだけ女に言い寄られてもびくともしなくて、俺とゲイの関係じゃないかっていわれてた位なのに。」
 気まずそうに棗は水樹をみる。
「お前と朝飯作ってたの見たけど、気は合ってるみたいだな。やりやすそうにお前も動いてたし。」
「だろ?これが仕事になったらどんだけ俺が楽を出来るか。治だってそううまくはいかないし。」
「……まぁ頑張れば?俺はよくわからないし。」
 普通の女子高生だ。背は確かに高いが、細身で、その割には少し胸が大きく見えるくらい。だがあまり色気はないように思える。あんな感じのお客も来るし、特に目立ったようには思えない。
 だが夕べ聞いたあの動画の歌。それは少し耳に残るモノがある。だから確かめたかった。あの音楽はあの周りの奴らの腕によるモノなのか、それとも菊子の声によるモノなのか。
 やがて「rose」にたどり着く。蓮はその入り口を開けると、すでに百合がそこにいた。「rose」も今日は休みにするつもりだったのか、百合は長い金髪の髪を一つにくくり、いつものゴシックロリータの格好ではなく、ジーパンと白いシャツに身を包んでいた。化粧もしていないようで男に見える。
「台風だから休みにしたかったのに。」
「休みで良いよ。ちょっと合わせてみたかっただけだから。」
「しかも何?あたしにドラム叩けって言うの?」
 百合はそういってドラムスティックを手に取り、器用に指先で回した。
「もうずいぶん叩いてないのよ。」
「うるせぇな。俺だってずいぶん弾いてねぇんだよ。」
 棗はそういって立てかけてあるギターを手にした。
「キーボードが欲しいな。麗華は来れないだろうか。」
「無理よ。浩治が許さないわ。」
 蓮の言葉に百合が止める。案外亭主関白な旦那だ。浩治はちゃらんぽらんに見えて、割とはっきりしているところがある。だから弁護士事務所の事務など出来るのだろう。
「蓮。私が弾くから。」
 そういって菊子はキーボードに近づいた。
「歌いながら弾けるか?」
「いつもそうしていたから……ん?ねぇ。これどこに挿すの?」
 コードを手にしているが、どこをどうすれば音が出るのかわからない。普段はピアノしか弾かないからだろう。
 その様子を見て水樹はため息をつく。
「そんなんでいいのか?」
「別に問題はないだろう?キーボードと言ってもピアノの音だけで十分だ。お前はギターか?」
「あぁ。」
「その辺の適当なギターを使っていい。」
 そういって壁に掛けられているギターを指さした。
「へぇ。割といいギター使ってるな。」
 そういっていすに腰掛けてチューニングを始める。曲はここに来る前、四人で決めておいた。だが菊子はまだ音楽の知識が狭く、知らない曲が多い。だから四人が知っているという曲は限られた。
「この暑いのにクリスマスの曲ね。」
 しかも男と女のデュエットは更に無い。結局季節はずれだが、クリスマスソングにしたのだ。その歌詞を菊子は見て、少し笑った。
「ヤク中なのね。この男。」
「女は売春婦だろう?」
 水樹はそういって、菊子をみる。水樹にとって菊子も売春婦とあまり変わらないと思っていたのだ。蓮と恋人であるのだろうに、棗に言い寄られている。しかもそれが嫌だとは思っていないらしい。
 おそらくもう棗とも体の関係があったに違いない。それが無くてもキスくらいはしているだろう。女というのはそういうものだ。
「ねぇ、蓮。コード譜だけでももらえる?さすがに耳コピでは限界があるわ。」
「そうだな。一、二回くらいしか聴いたこと無かったか。」
 外国ではメジャーなクリスマスソングなのに、それすらあまり聴いたことの無いという。だったら何の曲を知っているのだろう。
「ん?」
 水樹はふと我に返る。何でこんなに菊子のことばかり考えているのだろう。
「ピアノもいけるのね。頼もしいわ。」
 ワンフレーズ弾いただけでまるでCDだ。ピアノの腕もかなりのモノなのだろう。
「よし。やってみるか。」
 軽く腕を慣らして、百合はバスドラムを鳴らす。
「テンポはこれくらいね。」
「うん。それくらいだな。ピアノから入って、男が歌ったあとに俺らが出る。やってみよう。」
 呼吸を整えて、菊子は水樹と視線を合わせる。そして鍵盤を鳴らした。
 本来の曲はしゃがれた男の声と、ハスキーな女の声だ。だがそれにしては水樹の声は澄んでいる。歌詞の意味を考えると少し違和感があるようだ。
 だが水樹は演じる。最初の部分は夢を女に語りかけるように優しく歌う。それは蓮が、そして棗が嫉妬しかけるくらい菊子に語りかけているようだった。菊子もたまにコード譜を見ながら、じっと水樹を見ていた。
 そして四人が一斉に音を出す。そのあと菊子が歌う。その歌声に水樹は思わず出るところを忘れてしまった。
「あ……悪い。」
 演奏が止まる。まだ曲の序盤だというのに。
「なに聴き惚れてんだよ。ばーか。」
 棗はそういって笑っていた。
「すいません。私も少しテンポが揺れてしまって。歌いにくかったですよね。」
 すると水樹は首を横に振って、ステージを降りて歌詞の書いている紙を取り出した。
「おれが歌詞が飛んだのが一番悪い。悪いが、もう一度最初からしてくれないか。」
 水樹のその発言に、棗が驚いていた。こんなに素直に謝るヤツではなかったのに。
 そしてもう一度ピアノから始める。今度はうまく乗っているように思えた。
 歌詞の中では最初、カップルはうまく愛し合っているが、途中でお互いを罵倒しあう。それもまた水樹は菊子に飲まれないように歌っていた。
 そして曲が終わると、水樹は汗をかいていた。こんなに歌に飲まれると思ってなかった。そうだ。おそらく菊子は歌がうまいだけじゃない。表現力がすごいのだ。確かにピッチの甘いところもあるし、高音は得意なのかもしれないが叫んでいるようにも聞こえる。
 だがそれをカバーするだけの表現力は、誰かに似ているような気がした。それが誰だったかは思い出せないが。
「……悪くないな。即興のバンドにしては。」
「もうアレだ。指が動かねぇな。たまには弾くか。」
 そういって棗は指をぽきぽきと慣らす。その様子に蓮は不安そうに棗に聞いた。
「お前、ギターは売ってないのか?」
「あるよ。カバーに入りっぱなしだけどな。」
「まぁもったいない。」
 百合はそういって笑っていた。
「でもこの曲、本来なら男の人がピアノを弾いてるのよね。」
「あ、そうなんですか?」
「そうよ。PV見たこと無い?」
「曲も一、二回聴いたことがあるだけでしたから。」
 それでこれだけ歌えるのか。耳もいいのだろう。
 水樹は気がついたら菊子のことばかり目で追っていた。どこでもいる普通の女子高生だと思っていたのに。
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