夏から始まる

神崎

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 身支度をして、部屋を出る。「rose」へ行くには少し早い時間だが、その前に菊子と会えるなら会いたいと思ったのだ。いつも何かしら持ってきてくれるし、たまには自分で何か買っていこうかとコンビニに寄ってからと思いながら、アパートの階段を下がっていく。すると端の部屋から、男が二人出てきた。
「すげぇ女。公衆便所って言うんだとアレ。」
「やな名前だな。でも便所にしちゃ締まりが良いぜ。ぎゅんぎゅん絞めてくるし。」
「高校生だって言ってたけどホントか?」
 何があったのかはわからないが、どうやら女を連れ込んで多数の男がヤリあっているらしい。何が楽しいんだか。
 蓮は潔癖なところがあって、女と遊んでいるように見られていたが、実際は経験は美咲と菊子くらいしかない。それに女一人を数人の男でセックスをするという意味もわからない。そんなことをしなくても女は何人もいるだろうに。
 だが気になるワードはあった。高校生。それは菊子ではないだろうが、近い人間かもしれない。
「……連絡してみるか。」
 蓮は携帯電話を手に菊子に電話を入れる。するとすぐに菊子は電話に出た。
「蓮?」
「お前、今どこにいる?」
「お使いモノがあって、アーケードにいるわ。」
「そうか。だったら俺もそっちに行ってみようか。」
「あら。でも本当にお使いモノだから、すぐに帰るわ。」
「一時でも一緒にいたい。それから例の話も女将さんにしたいから。」
「あ、少し話はしたの。」
「したのか?」
「土日だったら日曜日はお休みだし、行ってくればいいって言ってくれた。」
「俺の口から言いたかったな。」
「子供みたいな事いわないでよ。」
「わかった。わかった。今はどの辺だ?」
「例のスーパーの前あたり。」
「すぐ行く。待ってろ。」
 電話を切り、菊子はスーパーの前でその変わった野菜を見ていた。よく見れば今朝、市場で見たような野菜もある。その一つ一つを棗は説明してくれた。食材に対する知識は深く、どんな調理法があるとかどんな国で食べられているとか、そんなことをよく知っていて棗について料理の勉強をすれば確かに勉強にはなりそうだ。
 だが今朝まで棗の手で喘いでいた。菊子を呼ぶ声、抱きしめる手の温もり、キスをする度に赤くなる頬、何もかもが蓮と違う。その体が気持ちいいと思えて怖い。
 そしてその事実を蓮に告げなければいけない。蓮は菊子を信じて送り出してくれたのだ。言うなら今日だ。それで「股が緩い」と罵られても仕方ないことをしたのだから仕方がない。
 所詮その程度なのだから。
「菊子。」
 蓮かと思って振り返ると、そこには武生がいた。制服姿のままということは補習に行っていたのだろう。
「武生。補習だったの?」
「うん。菊子は?」
「お使いモノを頼まれたわ。」
 手には紙袋が握られている。お世話になった人に手渡す簡単なお菓子は定期的に買っているが、どうやら特別に用意をしなければいけないお客が今日は来るらしい。「ながさわ」の中でも一番の得意様なのか、それともそれほどに気を使わなければいけない相手なのかはわからない。
「補習は梅子もいたの?」
 すると武生は首を横に振る。
「もう希望者だけの補習なんだけどね、梅子は大学へ行くから来ておいた方がいいと思うんだけど、今日は見てないな。」
「風邪でも引いたのかしら。」
「どうかな。」
「二、三日したら元気に来るんじゃない?」
 菊子は知らないのだろうか。梅子は学校の担任とデキて、その家庭を崩壊させたこと。そしてその担任は二学期になったら居なくなること。
 学校へ来ていない菊子は、バンドだ、仕事だと忙しいからそこまで気が回らないのかもしれない。
「菊子さ……。」
「ん?」
 話をしようとしたときだった。二人の後ろから声をかける人がいた。
「菊子。」
 振り返ると、そこには蓮の姿があった。背中にはベースが背負われている。このまま「rose」へ行くのだろう。
「蓮。」
「ん?武生か?この間はありがとう。」
「え?何かしましたっけ?」
「祭りの時にスポーツドリンクを分けてくれた。百合はあんな格好をしているから、すぐ熱中症になるし助かった。」
 百合が好んできているゴシックロリータのファッションは、見た目は華やかだが通気性が悪いので、こんな夏に着るものではない。だが百合は「イメージがあるのよ」といってそれを脱ごうとしなかったのだ。
「ついでですから。」
「バイトへ行く途中か?」
「えぇ。ちょうど菊子を見たから、ちょっと声をかけただけです。」
 武生もおそらく菊子が好きだったはずだ。だがその気持ちは今違う人に向けられている。それを知っているので、蓮は少し安心して二人を見ていられるのだ。もし隣が棗だったら、無理矢理にでも引き離したかもしれない。
「そういえば、お前等の幼なじみはもう一人居たな。あの祭りの時浴衣を着ていた女。」
「梅子?今日は補習も来ていなかったみたいだし、調子が悪いのかしらね。」
 そういえば急に梅子のフ○ラがうまくなったのは、梅子がアドバイスをしたからだという。そういうことに詳しい女なのだ。どれだけ経験が豊富でも、そういうことが詳しいだけで異質な高校生だと思われるだろう。
「どうしました?梅子が何か?」
「……武生。聞きたいことがあるんだが。」
 菊子と離れて、少し声のトーンを落として話している。その内容は聞き取れない。
 何だろう。待っていろと言っていた割には、菊子ではなく武生にこそこそと話を聞いているその態度が少し菊子を不機嫌にさせた。
「やはり……そうか。」
「俺、ちょっと連絡してみます。」
「余計な世話かもしれないぞ。」
「……。」
「よく考えて連絡しろ。場所はわかるか?」
「えぇ。」
 二人はやっと話を終えて、武生はバイト先へ行ってしまった。そして蓮は菊子の方へ戻ってくる。
「待たせたな。」
「……私、店に戻らないと。」
 明らかに不機嫌だ。その理由はわかる。だが菊子に話していいのだろうか。それを迷っていた。
「菊子。」
「何なの?こそこそ二人で話をして。」
「お前には刺激が強い話だと思ったからだ。」
「刺激?」
 少し怪訝そうな顔をして、菊子は聞き返す。
「俺が住んでいるアパートの一階で、多分乱交騒ぎを起こしている。」
「乱交?それって……。」
「女一人に、何人か……正確な数はわからないが、男が寄ってたかってセックスをしているようだ。」
「……そんなの楽しいの?」
「知らない。だがその男たちが出てきたときに、「女子高生」というワードがあってな。それで武生に聞いたんだ。そんな女子高生はいるのかって。」
「……梅子なら……あり得るわ。」
「知ってたのか?」
 驚いたように蓮は菊子をみる。
「梅子はやけになると男に転ぶことがあるから。そんなとき私たちが言っても聞かないし、させたいようにさせてる。」
「……。」
 すると菊子は足を止めて蓮に言う。
「蓮。私、そういう話題は慣れているの。梅子がそういう人だし、それに、店で床を用意するのは私の仕事。そこで何をしているのかなんて小さい頃から知ってる。ただ経験がないだけだったのよ。」
「悪かったな。こそこそするような真似をして。」
「気を使ってくれたんでしょ?別に良いよ。」
 菊子はそういって蓮の腕に手を絡ませた。
「何を買ったんだ?」
「わからない。ただ取りに行ってって言われたから、そこの青果店でこれを受け取っただけ。」
「たいそうな包みだな。」
 手を絡ませて歩くのは初めてだった。菊子の歩調はあまり早くない。だから菊子に合わせて歩く。彼女を見下ろすと、シャツの隙間が見えそうだ。そこには赤い跡が見える。昨日蓮が付けたモノだった。
 さらに濃いモノをつけたいが、あの一階の男たちを見ればさすがに慣れているとはいえ、その気にはなれないかもしれない。
 二人は腕を絡ませてまた繁華街に戻っていく。
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