夏から始まる

神崎

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 着物を着て、帯を締める。そして髪をあげると、薄く化粧をした。それは「ながさわ」でしていることと同じことで手慣れていると言えばそうかもしれない。
「化粧すると大人っぽくなるね。」
 隣で化粧をしていた明日香は、そういって笑っていた。良く笑う女の子だ。
「あまり得意じゃないです。それに……。」
 これからは必要なくなるかもしれない。料理人には化粧は余計な香りが付くのでしないことの方が多いのだ。これからは化粧をするのはバンドで歌うときだけに限られるのかもしれない。
「どうしたの?」
「何でもありません。じゃあ、私行きますから。」
 化粧ポーチを閉じて、ロッカーに入れる。そして鍵をかけるとそれを懐に入れた。袂に入れておこうかとも思ったが、袖がチャリチャリとうるさいかもしれない。
 バックヤードをでると、先ほどの受付へ行った。そこには棗と、さっきの恵美が何か話をしている。
「お待たせしました。」
「あら……。」
 背が高いので和服は似合わないかと思っていた。だが意外と似合うし着慣れている感じもあるが、どうしても着方が古くさいと恵美は思っていた。その辺は甘い。だが棗は気にしていないようだった。
「まぁいいや。中、案内するから、付いて来いよ。」
「オーナー。それはあたしが……。」
「恵美。良いからお前はお前の仕事してろ。ほら、今日の予約の中川さんは、食えないモノがあるんだろ?それ治に伝えておけよ。」
「はい。」
 どうしてあの女がそんなに優遇されているのだろう。一日だけしか働かない。高校生のバイト入れないと言っていたのに、高校生を入れた。
 まさか棗の恋人なのではないか。恵美はそう思いながら拳を握りしめる。

 店の流れを説明されて、棗はそのまま厨房へ入っていった。今日の食材をもう一度チェックをしたいのだという。
 その間、菊子は掃除がてら店をもう一度見直していた。
 カウンター席はない。そのかわり半個室と、完全個室の部屋がある。予約のお客様はほぼ完全個室。ここもいすとテーブルになっていて、居心地が良さそうだ。窓に飾られている花も造花ではなく生け花。それもよく手入れされていた。
 メニューは基本コース制のお任せ。だが望めば単品で頼むことも出来るらしい。客のわがままは基本全て聞く。だが仲居に手を出すのは御法度で、出入り禁止になるというのは「ながさわ」と変わらない。
 「ながさわ」よりは敷居が低いように思えるが、高級感は否めない。こういうのが流行っているのだろうか。
 雑巾を片手に、菊子は洗い場に戻ってこようとすると、仲居たちが数人で立ち話をしているのが聞こえた。
「一日だけですって。」
「今日忙しいよ。予約結構詰まってるし。あの子に気をかけてられないって。」
「店の流れとかわかるの?そういえば、明日香、着替えるとき一緒だったよね?着物一人で着たの?」
「うん。手際よかったよ。いつも着てるって感じ。だってあれじゃん。あの子「ながさわ」で働いてるんでしょ?」
「えー?何でそんな子がこんなところ来るわけ?コネ?」
「オーナーが学校のオープンスクールで目を付けたんですって。」
「またー?そんな子、いっつも来て、いっつもすぐ帰るじゃん。」
「気に入ってるんでしょ?ほら、オーナーまたここを治さんに譲るっていってるし。」
「でもさ、この店オーナーがいるから持ってるような店じゃん。他に出すの?」
「それ、それ。その新規の店でさ、あの子を入れようってのよ。」
「何それ?何でそんなにあの子は待遇されてるの?」
「それはやっぱアレでしょ?」
「アレ?」
「体、使ってるか。それかマジの彼女なのか。」
「彼女?だって高校生だよ?」
「でもあの子、着替えたときすごかったよ。」
「何が?」
「キスマークだらけ。胸とか、肩とか。」
「マジで?オーナー、あの子としてからここ来たってわけ?そんなに節操なかったっけ?」
 顔から火が出るかと思った。蓮はどこまで付けたのか、鏡を見ていなかったからわからなかったが、そんなところまで付けていたのだ。
 だがこの場に菊子が行くわけにはいかない。所詮一日だけだ。そんな言葉は無視して、さっさと覚えることを覚えてしまおう。そう思いながらもう一回りしようとした。そのときだった。前から恵美があるいてきた。
「菊子さん。覚えれそう?」
「何とか足を引っ張らないようにがんばります。」
「そう。その調子でね。」
 女がめんどくさいと思ったことはあまりなかった。学校でも適当に話を合わせていればハブられることはないし、店でも昔からの仲居ばかりだし、新しくはいった中居でも仲良くやっていけた。
 だがここでは自分がアウェーなのだ。さっき恵美に言ったように、自分が覚えなければ、足を引っ張ってしまう。
 この上足を引っ張ったら、どんなことを言われるかわからない。まぁ、ここに来るのは最後だろうし嫌われようと何をしようと関係ないが。そう思うと気が楽だ。

 開店前にちょっとした自己紹介をして、頭を下げた。厨房は男ばかりでホールは女性ばかり。だから棗は菊子に仲居をして欲しいと言ったのだろう。
 だがその前に着替えた棗は菊子にたすきを手渡した。
「ん。」
「何ですか?」
「忙しくなったら、厨房来てもらうから。」
 その言葉に、周りのモノがざわつく。
「オーナー。厨房は女が来るところじゃないですよ。」
「そうよ。オーナー。やめてくださいよ。」
 非難するスタッフに棗は怒鳴るように言った。
「るせぇな!俺が見て大丈夫って言うんだから、大丈夫なんだよ!」
 その言葉に周りがしんと静まり返った。
「だいたいな。こいつを呼んだのは俺の一存かもしれねぇけど、こいつの働き見てりゃお前等がどんだけ甘いか速攻でわかるぜ。」
「……棗さん。それは……。」
「菊子。お前はいつも通り働け。いつも言われてんだろ?目配り、気配りって。」
「そうですけど……。」
「ぐだぐだくだらない立ち話してるような仲居は無視して良いから、お前はお前で動いてくれればいい。」
 その言葉に、菊子は棗をまた見上げる。
 あんたが一番いらないことを言っていると。その非難の目を棗は全く感じていないのだろうか。
「それから、菊子。お前は部屋付きじゃなくていい。周りを見て動け。それだけだ。」
「……はい。」
「じゃあ、ラストまでやるぞ。」
 そういってそれぞれがそれぞれの持ち場に着く。
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