夏から始まる

神崎

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血の繋がり

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 あの男を見たことがある。正確にはあの男に似たような男だ。誰だったか。信次は車の中で、記憶を巡らせる。そして思い出した。
「あいつ……。」
 偶然なのかわからない。だが、知加子を連れていったあの男は、村上圭吾によく似ていた。村上組の組長の次男。おそらく長男である省吾があとを取るのだろうが、実行役として実施つてを回しているのは圭吾だった。
 実際、蓮から美咲を引き離すように動いたのは圭吾であり、冷たい目をした男だと思った。その目によく似ている。
「……悪いな。いきなり電話をして。聞きたいことがあるのだが。」

 こんな知加子を見るのは初めてだった。ベッドの上で腰掛けてうつむいていたがその顔色は良くない。その顔の前で組まれた手も、震えていた。
「知加子。」
 冷蔵庫には相変わらず水かビールしかない。アルコールというわけにはいかないだろう。武生はコップを取り出して、水を注ぐと知加子に持たせた。
「ごめんね。こんなところを見せちゃって。」
「……良いタイミングだったね。」
「うん。」
 知加子は水を少し飲む。
「あの人ね。前に勤めてたところの部長。今は専務だって言ってた。」
「……たぶん、戸崎グループだろう?」
「どうしてそれを……。」
 驚いたように武生を見上げる。だが武生は冷静だった。
「俺の家ヤクザだし、そういうのも見てきたから。」
「そっか……そうだったね。」
 武生の家はヤクザの本家だった。正確には分家であるが、それなりに大きなヤクザの一家ということだろう。そして戸崎グループとの繋がりは、村上組でも重要な繋がりであり資金源だった。
「兄はいやがるかもしれないけど……俺は知加子を渡したくなかったから。」
「……うん。」
「それに嬉しかった。」
 武生は少し笑い、知加子を見下ろす。
「俺のことを恋人だって言ってくれたし。」
「あれは……そう言わないと信次さんは引き下がらないから。」
「でも何で上司なのに下の名前で呼んでるの?」
「……そう呼べって言われてる。あたしだけじゃなくて、他の人もよ。だって信次さんにはお姉さんがいるから。戸崎さんでは紛らわしいもの。」
「姉?」
 聞いたことはない。兄弟は蓮だけではなかったのだろうか。
「……武生。ねぇ……迷惑じゃなかった?」
「何が?」
「恋人なんて言って。」
「どうして?嬉しかったよ。」
「こんなおばさんに恋人だって言うのって、恥ずかしくない?」
「いいや。ぜんぜん。知加子はおばさんじゃないよ。ほら。こんなに初なのに。」
 そう言って武生は少しかがむと、その白い首筋に唇を這わせた。
「ん……駄目。水がこぼれるから……。」
 すると武生はコップをテーブルにおくと、知加子の上に組み敷くように乗り上げた。そしてそのままキスをする。

 さすがに夜中になってしまい、知加子は武生を送りに繁華街に出てきた。そして家の前で別れると、そのまま東口を出て行く。まだ武生の名残があるように、股が濡れている感じがして気持ち悪い。だが嬉しい。
 帰ってそのままシャワーを浴びようかと思っていたが、やはり明日の朝にしよう。そう思っていたときだった。
「お姉さん。今からどこ行くの?」
 自分より遙かに年下だろうと言う男から声をかけられた。金色の髪やTシャツから見える入れ墨がどことなく軽薄に見える。
「帰るの。」
「帰る前に、俺らと一杯飲んでいかない?」
 俺らという言葉に、知加子は男の後ろを見る。すると二、三人の男がにやにやしながらこちらを見ていた。
 最近、こう言うのが多い。アフロヘアをやめてしまったからだろうか。こう言うときパーマを落として後悔する。
「結構よ。疲れてるの。」
「飲んだら疲れとれるって。さ、行こうよ。ね?決まり。」
 何を決められてるんだ。知加子はそう思いながら、その肩に置かれた手をふりほどく。
「帰るって言ってるでしょ?しつこいと嫌われるわ。」
 その言葉に後ろの男がにやにやしながら、金髪の男に声をかける。
「……。」
「マジで?じゃあマー君いるんだ。」
 もう無視して出口へ行こうとしたとき、駐車場から黒い車が出てきた。それに男たちが手を挙げる。
 車は知加子が歩いている横で止まり、いきなりドアが開いた。
「何?」
 すると中から急に体格のいい男が出てきて、知加子の手を引いた。
「いたっ!」
 衝撃で足を打ってしまった。だがそんなことを言っている場合ではない。
 腕を男に羽交い締めにされて、一緒に中に入ってきた金髪の男が知加子の上にのし上がってきた。
「何!ちょっと!やめて!」
 外国ではこういうことは良くある。だから男の玉を蹴ったり、竿を蹴ったりして逃げることはこれまでもあったことだ。だがこの国でそんなことをするヤツがいるとは思ってもなかった。
「くそ!足を押さえろ!」
「マー君。あれ打っちまえよ。」
 ひざを立てられて、足を押さえられた。そして羽交い締めされている腕に、注射器をたてられる。
「や!何!ちょっと!」
 力の限り逃げようと、体をよじらせる。すると男の手から注射器が落ちて、車の中で割れた。
「くそ!この女!高いのに!」
「静かにしやがれ!」
 バン!と言う音がした。頬に焼けるような痛みが伝わる。
「よし。よし。大人しくなったな。」
 シャツに手をかけられる。すると男は声を上げて知加子の胸を見た。
「こいつ。いいおっぱいしてるぜ。」
「でけぇな。ほら。手からはみ出るぜ。」
 乱暴に捕まれた胸を揉みしだかれる。さっきまで武生が好きにしていたところを、こんな男にされたくない。なのに、手足の自由が利かなかった。
 下着をとられて、丸出しになった胸に男が舌で舐めあげる。
「や……。」
 そのときだった。
 ドアがコンコンと叩かれる。男たちは知加子を隠しながら、窓を開けた。するとそこには水色の服を着た警察官がいる。
「違法駐車ですよ。」
「ちょっと停車してるだけですよ。」
「いいえ。近隣から苦情が来てます。女性の叫び声が車から聞こえると。」
「……。」
 そのときだった。知加子は塞がれている手を首を回してふりほどく。
「助けて!」
 聞き逃さなかった。警察官はドアを開けると、押さえ込まれている知加子を引っ張り出した。
 服を整えて、警察官の後ろを見る。するとそこには「rose」の百合が心配そうな目で知加子を見ていた。
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