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血の繋がり
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軽トラックに菊子を乗せて、蓮は運転をしていた。町中に一度出ると、繁華街の光が見える。菊子たちが住む繁華街よりもさらに大きな街で、ホステスやホスト、居酒屋の呼び込みが沢山いるように見えた。祖父はこの街にいたらしい。修行こそはもっと大きな街にいたようだが、ある程度の技術が身についたら生まれて育った街に近いこの街に移り住んだらしいのだ。
なにがあったかはわからない。だが祖父はこの街で、神の腕を持つ料理人だと噂された。おそらくそれを棗は知っていたのだろう。
「ぼんやりしてどうした。」
信号で停まった蓮は、ぼんやり街を見ている菊子が気になったのか声をかける。すると菊子はふっと笑っていった。
「大きな街だなと思って。」
「そうだな。」
「蓮はこの街にいたんじゃないんでしょう?」
「あぁ。」
その街のことは言いたくなかった。美咲や棗、それに綾もいてバンドに打ち込んでいたから。それはそれで良い時間だった。お互いを高めるように意見を言い合うのは、何より同じ目線で意見を言っているように感じたから。
今が悪いわけではない。だが意見を言うのは、自分だけのような気がする。ワンマンではバンドは成り立たない。だが他のメンバーは職業でバンドをしているわけではないのだ。お互いがお互いの生活があり、その隙間でバンドをしている。
プロになりたいわけではないのだからそれはそれで仕方ないのかもしれない。なにより、菊子もそうだ。菊子は歌いたいのではなく、料理人になりたいと言っていた。歌はあくまで趣味の範囲だという。
「菊子。」
信号が青になり、菊子に話しかけた。
「何?」
「……いいや。今度、この街へ来ないか。」
「いつか会ったわね。レコード屋さんへ連れて行ってくれる?」
「他にも良い店がある。……と……未成年だったな。」
「そうね。でもあと二年で未成年じゃなくなるわ。」
「そのときは、夜の街を連れて行ってやるよ。とりあえず、昼でもいける店に連れて行きたい。それから……。」
軽トラを走らせる。こんな街では野暮ったくて田舎くさいかもしれない。だが隣に菊子がいる。それだけでドライブデートをしているようだった。
店にたどり着いたとき、すでに店は開店していた。上客らしき恰幅の良い男が笑顔で「ながさわ」の中に入っていく。
蓮は気を配りながら、裏手に車に停めた。そして菊子を降ろすと蓮もまた車を降りて、裏手の入り口へ向かう。
「ただいま帰りました。」
菊子がそう言うと、女将が厨房から出てきた。
「お帰りなさい。」
女将を見据えて、蓮は頭を下げる。
「うちのことで菊子を危険な目に遭わせてしまいました。申し訳ありません。」
すると女将は珍しく笑顔を消して言った。
「蓮さん。あなたのせいじゃないですよ。送ったのは私たち。自分たちの保身のために菊子さんを戸崎さんに渡したつもりです。ですが……その代償は戸崎グループにとって痛手になったでしょうね。」
「は?」
「菊子さん。着替えて西様のお部屋へ。紫陽花の間ですよ。」
「……はい。」
「今日はお世話になったのですから、重々お礼を言っておきなさい。」
菊子はその話を聞いて、素早く靴を脱ぐと家の中に入っていった。
「西様って……前からちょくちょく名前を聞いてますけど……。」
「えぇ。西様の奥様が菊子をそれは気に入っていて、将来は西様の秘書に欲しいとまで言ってくださいましたね。断ってましたけど。」
「……もしかして、西製鉄の……。」
「えぇ。社長さんですね。戸崎グループに比べれば小さいものですけど、関連会社を含めれば肩を並べるかそれ以上。菊子のお客様はそういう方が多いのですよ。」
さらりと言っているが、それは凄いことなのだろう。たかが割烹というものの、気に入った相手には情が深い。それが戸崎グループだろうと何だろうと、束でかかれば傾かせることは他愛もないことだ。
啖呵を切ったつもりだったが、まさか真実だと思ってもなかった。
「女将さん。」
「はい?」
「菊子がここにいなくなるのは大変じゃないですか?」
「そうですね。しかし、お客様もわかってますから。菊子は高校生で、いずれここを出ること。それでなくても女ですもの。嫁に行くんですよ。あなた、貰ってもらえます?」
そんな人を軽く貰いたいなど言っていいのだろうか。確かに想像はしたことがある。帰ったら菊子がいること。一緒に食事をして、一緒に眠って、そして一緒に音楽を奏でる。そんな日々が来ればいいと思っていた。
だが菊子はもっと大きなものを背負っているような気がした。
「……いずれ頂きたいです。」
それがどうした。自分は菊子を求めていて、菊子も求められている。そう思っていた。
そのとき、女将を呼ぶ声が後ろから聞こえた。女性の声だった。
「女将さん。原様がお帰りになると。」
「はい。では行きますね。蓮さん。その話は今度ゆっくりいたしましょう。食事でもしながら。」
「はい。」
蓮はそう言って出て行った。
その後ろ姿を見ながら、女将はため息をつく。これくらいでへこたれるような男ではない。苦しいことが数多くあった男だ。きっと何があっても菊子を手に入れようとするはずだ。
だから反対はしない。問題は菊子の気持ちなのだから。自分のことも見えていない子供に何が出来るだろう。
仕事が終わり、風呂に入った菊子は携帯電話を手にした。きっと蓮はまだ仕事をしているはずだ。連絡を取るわけには行かないだろう。もし連絡を取ってしまったら、何をおいてでも菊子に会いに来るかもしれない。
仕事をしているなら仕事を優先して欲しい。自分がそうなように、仕事は自分の飯の種なのだから。それをおいていくような男ではないと信じている。
携帯電話を机において、いすに座る。だがそのとたんため息が出た。強がってそうは言ってみたが、今日あの男にキスをされた。もう少しでセックスをするところだったのだ。
そしてそれが気持ちいいと思えた自分がとてもイヤだ。だから上書きして欲しい。忘れさせて欲しいと思う。
「菊子さん。」
ドアの向こうで声がする。菊子はふと我に返って立ち上がった。そしてドアを開けると、そこには葵の姿があった。
「葵さん。」
「……菊子さんはこの家に来て、俺より長いから知っていると思ったんですけど……。ちょっと来てもらえませんか。」
そう言って葵は、菊子を連れて二階の洗濯場へ連れて行く。そこはリネンや畳を上げるために、少し広めに作られている。屋根もあって、雨でも対応できるようにしてあるのだ。
「そっちの裏通りわかります?」
「え?あぁ。あまり行ったことはないんですけど。割と住宅が多いところですよね。」
「そうですね。で、あそこの商店と小料理屋の隙間に路地があるでしょう?」
「はい。」
「そこをまっすぐ行くと、「rose」の裏口に直通しているんです。」
「え?」
「そこだったら警察も来ませんよ。もちろん、道は舗装されてないし、雨が降ったら泥だらけになるかもしれませんけど……そんなこと特に問題じゃないでしょ?」
「……葵さん。何で……。」
お金にシビアで皐月とは違い遊びをほとんどしないと言う葵が、そんなことを言うのが意外だった。
「別に……意味はないですよ。ただ、俺なら今日みたいなことがあれば会いたいだろうなとか思うだろうし。皐月さんはチャンスだって思ってるみたいだけど、あんたぜんぜん皐月さんになびいてないし。」
「……。」
「そんなにあの男がいいのかよくわからないな。」
「理屈じゃないからでしょうね。」
「……そんなもんですか。」
そう言ってベランダをあとにして、菊子は部屋に戻る。そして携帯電話だけを手にすると部屋を出ていった。
なにがあったかはわからない。だが祖父はこの街で、神の腕を持つ料理人だと噂された。おそらくそれを棗は知っていたのだろう。
「ぼんやりしてどうした。」
信号で停まった蓮は、ぼんやり街を見ている菊子が気になったのか声をかける。すると菊子はふっと笑っていった。
「大きな街だなと思って。」
「そうだな。」
「蓮はこの街にいたんじゃないんでしょう?」
「あぁ。」
その街のことは言いたくなかった。美咲や棗、それに綾もいてバンドに打ち込んでいたから。それはそれで良い時間だった。お互いを高めるように意見を言い合うのは、何より同じ目線で意見を言っているように感じたから。
今が悪いわけではない。だが意見を言うのは、自分だけのような気がする。ワンマンではバンドは成り立たない。だが他のメンバーは職業でバンドをしているわけではないのだ。お互いがお互いの生活があり、その隙間でバンドをしている。
プロになりたいわけではないのだからそれはそれで仕方ないのかもしれない。なにより、菊子もそうだ。菊子は歌いたいのではなく、料理人になりたいと言っていた。歌はあくまで趣味の範囲だという。
「菊子。」
信号が青になり、菊子に話しかけた。
「何?」
「……いいや。今度、この街へ来ないか。」
「いつか会ったわね。レコード屋さんへ連れて行ってくれる?」
「他にも良い店がある。……と……未成年だったな。」
「そうね。でもあと二年で未成年じゃなくなるわ。」
「そのときは、夜の街を連れて行ってやるよ。とりあえず、昼でもいける店に連れて行きたい。それから……。」
軽トラを走らせる。こんな街では野暮ったくて田舎くさいかもしれない。だが隣に菊子がいる。それだけでドライブデートをしているようだった。
店にたどり着いたとき、すでに店は開店していた。上客らしき恰幅の良い男が笑顔で「ながさわ」の中に入っていく。
蓮は気を配りながら、裏手に車に停めた。そして菊子を降ろすと蓮もまた車を降りて、裏手の入り口へ向かう。
「ただいま帰りました。」
菊子がそう言うと、女将が厨房から出てきた。
「お帰りなさい。」
女将を見据えて、蓮は頭を下げる。
「うちのことで菊子を危険な目に遭わせてしまいました。申し訳ありません。」
すると女将は珍しく笑顔を消して言った。
「蓮さん。あなたのせいじゃないですよ。送ったのは私たち。自分たちの保身のために菊子さんを戸崎さんに渡したつもりです。ですが……その代償は戸崎グループにとって痛手になったでしょうね。」
「は?」
「菊子さん。着替えて西様のお部屋へ。紫陽花の間ですよ。」
「……はい。」
「今日はお世話になったのですから、重々お礼を言っておきなさい。」
菊子はその話を聞いて、素早く靴を脱ぐと家の中に入っていった。
「西様って……前からちょくちょく名前を聞いてますけど……。」
「えぇ。西様の奥様が菊子をそれは気に入っていて、将来は西様の秘書に欲しいとまで言ってくださいましたね。断ってましたけど。」
「……もしかして、西製鉄の……。」
「えぇ。社長さんですね。戸崎グループに比べれば小さいものですけど、関連会社を含めれば肩を並べるかそれ以上。菊子のお客様はそういう方が多いのですよ。」
さらりと言っているが、それは凄いことなのだろう。たかが割烹というものの、気に入った相手には情が深い。それが戸崎グループだろうと何だろうと、束でかかれば傾かせることは他愛もないことだ。
啖呵を切ったつもりだったが、まさか真実だと思ってもなかった。
「女将さん。」
「はい?」
「菊子がここにいなくなるのは大変じゃないですか?」
「そうですね。しかし、お客様もわかってますから。菊子は高校生で、いずれここを出ること。それでなくても女ですもの。嫁に行くんですよ。あなた、貰ってもらえます?」
そんな人を軽く貰いたいなど言っていいのだろうか。確かに想像はしたことがある。帰ったら菊子がいること。一緒に食事をして、一緒に眠って、そして一緒に音楽を奏でる。そんな日々が来ればいいと思っていた。
だが菊子はもっと大きなものを背負っているような気がした。
「……いずれ頂きたいです。」
それがどうした。自分は菊子を求めていて、菊子も求められている。そう思っていた。
そのとき、女将を呼ぶ声が後ろから聞こえた。女性の声だった。
「女将さん。原様がお帰りになると。」
「はい。では行きますね。蓮さん。その話は今度ゆっくりいたしましょう。食事でもしながら。」
「はい。」
蓮はそう言って出て行った。
その後ろ姿を見ながら、女将はため息をつく。これくらいでへこたれるような男ではない。苦しいことが数多くあった男だ。きっと何があっても菊子を手に入れようとするはずだ。
だから反対はしない。問題は菊子の気持ちなのだから。自分のことも見えていない子供に何が出来るだろう。
仕事が終わり、風呂に入った菊子は携帯電話を手にした。きっと蓮はまだ仕事をしているはずだ。連絡を取るわけには行かないだろう。もし連絡を取ってしまったら、何をおいてでも菊子に会いに来るかもしれない。
仕事をしているなら仕事を優先して欲しい。自分がそうなように、仕事は自分の飯の種なのだから。それをおいていくような男ではないと信じている。
携帯電話を机において、いすに座る。だがそのとたんため息が出た。強がってそうは言ってみたが、今日あの男にキスをされた。もう少しでセックスをするところだったのだ。
そしてそれが気持ちいいと思えた自分がとてもイヤだ。だから上書きして欲しい。忘れさせて欲しいと思う。
「菊子さん。」
ドアの向こうで声がする。菊子はふと我に返って立ち上がった。そしてドアを開けると、そこには葵の姿があった。
「葵さん。」
「……菊子さんはこの家に来て、俺より長いから知っていると思ったんですけど……。ちょっと来てもらえませんか。」
そう言って葵は、菊子を連れて二階の洗濯場へ連れて行く。そこはリネンや畳を上げるために、少し広めに作られている。屋根もあって、雨でも対応できるようにしてあるのだ。
「そっちの裏通りわかります?」
「え?あぁ。あまり行ったことはないんですけど。割と住宅が多いところですよね。」
「そうですね。で、あそこの商店と小料理屋の隙間に路地があるでしょう?」
「はい。」
「そこをまっすぐ行くと、「rose」の裏口に直通しているんです。」
「え?」
「そこだったら警察も来ませんよ。もちろん、道は舗装されてないし、雨が降ったら泥だらけになるかもしれませんけど……そんなこと特に問題じゃないでしょ?」
「……葵さん。何で……。」
お金にシビアで皐月とは違い遊びをほとんどしないと言う葵が、そんなことを言うのが意外だった。
「別に……意味はないですよ。ただ、俺なら今日みたいなことがあれば会いたいだろうなとか思うだろうし。皐月さんはチャンスだって思ってるみたいだけど、あんたぜんぜん皐月さんになびいてないし。」
「……。」
「そんなにあの男がいいのかよくわからないな。」
「理屈じゃないからでしょうね。」
「……そんなもんですか。」
そう言ってベランダをあとにして、菊子は部屋に戻る。そして携帯電話だけを手にすると部屋を出ていった。
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