夏から始まる

神崎

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夏休み

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 啓介の妻である美香子の父親もまた教師だった。国語を担当していて、文学系の父と理数系の啓介は、あまり折り合いが良いとは言えなかった。
 だが家庭に問題のある生徒が啓介を頼って、家にまで押し掛けて相談に乗っていたという事には、ある程度の理解を得たらしい。昔ならそういうこともあったのだろう。
 啓介が病院にたどり着いたときには、もう妻は分娩室に入っていて妻の両親の側には、今年五歳になる息子がいた。
 息子に会うのは久しぶりだ。妻と一緒に妻の実家にいたからだ。
 無邪気に足にしがみつく、息子を見て啓介の心が少しだけ痛んだ。
 梅子しか見ていなかったのに、自分には家族があるのを思い出させたからだ。自分には想像もつかない痛みに耐えながら、自分の子供を産もうとしている妻や、少し見ないだけで大きくなった息子。
 それを全て捨てて、梅子と一緒にいるのはやはり人道に反している。常識から考えても、教え子と教師がそういう関係になっていること事態が大問題なのだろう。
 だからといって今更梅子を捨てられない。
「啓介。」
 息子を抱き抱えたとき、声をかけられた。そちらを見ると、兄がいた。兄は父親の跡を継いで、繁華街で酒屋をしている。今日も仕事だっただろうに、ここに来てくれたのだ。おそらく啓介と連絡が取れないからだ。
「兄さん。悪かったね。」
「……ちょっと来い。すいません。お母さん。まだ時間がありますか?」
「えぇ。今入ったばかりだから、まだ時間かかるわ。」
 その言葉に兄である京介は、啓介を連れてエレベーターで一階に降りる。
 もう真っ暗で誰もいない待合室で、京介は唯一明かりのある自動販売機で冷たいコーヒーを買った。それに続いて、啓介もお茶を買う。
「よく気づかれなかったな。」
「何が?」
 京介はコーヒーのふたを開けないまま、啓介の首もとに手を伸ばす。するとそこにはタグが出ていたのだ。
「……後ろ前。」
「……慌ててきた。」
「じゃないだろ?生徒の前で服を脱ぐようなことをしたんだ。お前は。」
 コーヒーのふたを開けて、一口それを啓介は飲むと少しため息をついた。反論してくるかと思ったのに、彼は何も言わない。真実だったからだろうか。
「俺にも嫁も子供もいるからわかるよ。たまには違う女とやってみたいって思うのは男として当然だと思う。でもそれは遊ぶ女でいいだろう?わざわざ生徒に手を出してどうするんだ。」
 全くの正論だ。啓介もお茶のふたを開けて、一口それを飲んだ。
「……遊びじゃないからかもしれない。」
「は?何?お前、生徒に本当に惚れてんのか?」
「……わからなくなってきた。」
 壁にもたれ掛かり、ため息をつく。
「悩むくらいなら切れよ。あの奥さんが実家に帰ったのって、一ヶ月くらい前だろ?それくらいなら、まだ本気じゃねぇよ。」
「本気……。」
 梅子と体をいくら重ねても、梅子も啓介も「好きだ」とは言っていない。ただ互いの体を求め合うだけ。それはただの欲望をぶつけ合っているだけに見えた。
「何?お前、そんなにはまってんの?そんなに良い女なのか。」
「……俺……。」
「お前が作ってきた家庭を捨ててまで一緒になりたいのかよ。その女の立場にも立てばいい。高校生で、一つの家族を壊してまでお前と一緒になりたいわけじゃないだろう?」
「……。」
「このまま子供の顔を見るとつらくなるんじゃないのか。お前、帰るか?なんか事情付けてさ。」
「……いいや。なんだかんだ言っても俺の子供だし、ちゃんと見届ける。」
「……平気か?」
「大丈夫。」
 シャツを正しい位置に着替えると、二人はまたエレベーターに乗り込んだ。

 駅前のラーメン屋さんでラーメンを食べ、梅子は繁華街に向かっていた。もう時間的には親がいない時間だ。大きく露出した洋服を着てふらふらと歩いていれば、声をかける男は少なくない。
 前ならそれについて行っていたと思うが、今はついて行く気にはなれない。啓介とさんざんセックスしたというのもあるが、体は満たされても心は満たされない気持ちでいたから。
 奥さんに子供が産まれる。子供がいるのは知っていたが、それが目の当たりにしてしまうとやりきれなくなるのだ。
 繁華街の公園に着くと、向こう側に菊子の姿が見えた。菊子の隣には、蓮ではなく違う男がいた。白衣を着ているところを見ると、どうやら家の職人なのだろう。
 表情までは見えないが男が菊子に手を伸ばして、菊子はそれを振り払っている。そして二人は酒屋の隣のライブハウスに入っていった。おそらくそこが彼女が歌う場所なのだろう。
 すぐに白衣の男が出てきて、来た道を帰って行く。送迎をしただけなのだ。お嬢様だもんな。梅子は心の中でため息をつくと、そのライブハウスに近づいた。
 窓から見えるその中は薄暗かったが、客がいるようでライブハウスというよりも公開スタジオのように見えた。モヒカンの男、入れ墨を入れた女。あまりにも菊子とはかけ離れているように見えた。
 だが菊子は蓮の隣にいる。そしてその周りには数人の男女がいた。これがバンドのメンバーなのだろう。
 コピーされた楽譜を指さしながら、笑いながら話をしている。キラキラして見えた。好きなことだけをして、好きな人が側にいて、何でもてに入れている菊子が羨ましかった。
 これ以上見ていられない。梅子はそこから離れて、重い足取りで家に向かっていった。
 家に帰り着き、電気とエアコンをつける。そしてソファに腰掛けると、バッグから携帯電話を取り出した。他の男のメッセージはあるのに、啓介からのメッセージはない。
 妻は出産しているのだ。こんな高校生に声をかけるような時ではないのだ。わかっているのに気持ちがもやっとしてしまう。
 ふとバッグからピルケースが出た。
 これを絶やさないわけにはいかないのだ。妻ではないし、恋人でもないし、体だけが繋がっているだけなのだ。寂しいと思うが、そうしたのも自分だ。
 ソファに横になると、性器がぬるっとしていたのがわかる。時間が経っていたのに、思い出したからかもしれない。
 スカートをまくり上げて下着越しにそこをのなぞると、電流が走ったような衝撃が走る。こんな事をしたことはないのに、指が止まらない。
 一度体を起こすと、自分の部屋に戻る。そしてシャツ越しに胸に触れて、堅くなった乳首をいじる。目を閉じれば啓介から当たられているように感じた。
「ん……。」
 声が漏れる。数時間前までさんざん感じていたのに、急に離れたからだろう。体が啓介を求めていた。
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