夏から始まる

神崎

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オープンスクール

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 梅子の部屋は香水の匂いがする。花のような少し甘い匂いだった。カーペットの敷かれている床に座り、周りを見る。菊子の部屋よりも大きく、棚なんかに置かれている小物の中は猫をモチーフにしたものが多い。猫が好きなのかもしれない。
 涼しげな音をさせて部屋に梅子が入ると、菊子と武生は何か話し込んでいるようだった。それを見てテーブルにお茶をおく。すると梅子は武生に詰め寄った。
「未成年じゃない。どうしてそんなものに出させようと思うの?」
「写真だったら出しても構わない。だけど、AVは十八から。だからそれまで写真を載せて、待とうと思ったんじゃないのかな。」
「……AVの世界に入るのは良いと思う。絶対消えない需要のある世界だと思うし、それも作品だと思うから。でも……無理矢理出させて、薬打たれて離れなくさせるは違うと思う。」
「違わなくないよ。だってヤクザだもん。汚いことも何でもするのが、その人たちだから。俺の兄さん二人だって平気でしていることだ。騙して、売って、金を取る。そういう仕事なんだよ。」
 お茶を置いて、梅子はため息を付いた。菊子が予想以上にお嬢様だったからだ。でも無理はないのかもしれない。あの割烹で何も知らされずに、人の良いところだけを見ていたのだから。
 ヤクザだってそんなに悪い人じゃないよね、と笑いながら言っていたのを思い出す。真実はそんな人ではない。人道に外れたことをしているのだから。
「梅子もそれを覚悟で行ったんだろう?」
「そうだね。あたし、武生みたいに頭は良くないし、梅子みたいに家柄がいいわけじゃないもん。あるのは体だけ。あのときからずっとそう思ってたんだもん。」
「……梅子……。」
 梅子が自暴自棄になって男とセックスばかりしていたのは、おそらく最初のセックスのことだった。

 小学校六年生の頃、近所に住むやはり水商売をしている女性の息子が梅子の面倒をよく見ていた。武生も菊子も兄さんのように接し、悩みも不安も全て彼に相談していたのだ。
 だがあるあの夏の日。
 身長は伸びなかったのに、初潮を迎える前から胸が大きくなり始めたと梅子がその男に相談したのだ。それが間違いの始まりだった。
「梅子ちゃん。本当にそんなに大きくなったの?ブラとか付けないでいいの?」
 そんなことを母親が教えてくれるわけはない。母親は毎日のように夜、出て行き帰ってくるのは朝方だ。
 学校が始める前に梅子はいつも起き出して、朝食で用意されているパンと牛乳を飲んでいつも学校へ行っていたのだ。「行ってきます」「行ってらっしゃい」など言って貰ったことはない彼女に、そんな相談が出来るわけがない。
「ちょっと見せてよ。付けないといけないか見てあげるから。」
 何の疑問もなかった。小さい頃は彼の家で一緒にお風呂に入ったこともあるのだから。その気持ちのまま、彼女はシャツをあげた。
 すると下着の下には、もう膨らみかけた胸があった。ピンク色の乳首や細身の体は、彼の生唾を飲ませる。
「触って良い?」
 胸に彼が触れるのも普通だと思っていた。一緒にお風呂に入ったときには背中を洗い合ったこともあるのだし、肌に触れるというのも同じことだと思っていたのだ。
 だが様子が違うと思ったのは、胸に触れた直後のことだった。彼の手の動きが少し違う感じがしたのだ。
「兄ちゃん。なんか……コレ違う……。」
「動かないで。今見てるから。」
 彼を見ると目が血走っている。息も荒い。その様子に梅子は怖くなって、されるがままになってしまった。膨らみかけた胸は、触れる度に少し痛い。だけど乳首に指が触れて、こりこりといじられるとなぜか腰のあたりがもぞもぞした。
「兄ちゃん。なんか……おかしいよ……。体が……変……。」
「え?何でおかしいの?見てるだけなのに。おかしいな。他のところもおかしいところある?」
「おっぱい、なんかすごい乳首が寒くないのに立ってるから。」
「それはおかしいな。じっくり見せて。」
 そういって彼は梅子を寝かせるとシャツを脱がせて、その立っている乳首を舌で舐めた。
「あっ!兄ちゃん。変。そんなところ舐めないで。」
「じっとしてて。」
 逃げようとした彼女の腕をつかみあげると、自由を利かせないようにした。そして胸を舌で舐める。今度はまるで弄ぶように舐め始めた。すでに彼の唾液でべとべとする胸は、わずかな痛みが徐々に快感になってくる。
「おかしいよぉ。兄ちゃん……。」
「だったらもっと体を調べてみようか。」
 そういって彼は梅子の短いスカートの中に手を入れた。

 それはここで行われたことだった。菊子と武生が家の用事を済ませて、兄ちゃんと遊んでくれると梅子の家に遊びに行ったとき、梅子の母親が鬼のような形相で、兄ちゃんを追い出していたのを思い出す。
「バカか!あんた!中学生にもなって何をしてんのよ!もう二度と近づかないで!」
「あんたの娘が色気出してくるからだろ?結局、親の子ってわけだ。」
 その意味がわからなかった。だが、二人は部屋に入ったときそのただ事ではない光景に、意味がわからなくても立ち尽くすしかなかった。
 裸でスカートだけをはいた梅子。ベッドのシーツには血液が付いていた。そして梅子はただ泣いているだけだった。
 そのころから、梅子は自暴自棄になっていたような気がする。
 性がなんたるかというのを知らないまま初体験をすませ、そして母親はそれを売り物にしていたのだ。それを菊子も武生も当初は止めようとしていたのだが、あることがあってそれをやめた。

 梅子は明日にはもう学校へ行っても良いと、省吾から言われたらしい。それは母の口から伝えられたのだ。
 武生と菊子は言葉少な目に家を出て、ピンクの看板を横目に二人で歩いていた。
「……梅子……やっぱりあれかな。」
「何?」
 やっと武生は口を開き、彼女に言う。
「二十歳になったらAVに出ようと思ってるんだろうな。」
「……そういう世界ってヤクザと紙一重なの?」
「そんなことを言ったら、どの世界でもヤクザと紙一重だね。君の家だって、繋がりがないわけじゃないだろう?」
「うん……。知ってる。」
 みかじめ料としていくらかを「ながさわ」は武生の家に払っている。それはいわゆる用心棒代らしい。
「……でもリスクは断然AVの方が高いよね。今回は何とかなったけれど、次も上手くいくとは思えない。どうしてもしたいなら、お母さんなり、家の兄なりに相談するといいんだけど……。」
「頼りたくないんでしょう?私にも、あなたにも。」
 今回の話を聞いて、菊子も複雑だった。
 親がオペラ歌手だから歌がうまいんだろうという蓮と、祖父が公明な料理人だから雇いたい、育てたいという棗の声は全て自分の力ではなく周りの影響だった。
「……本当に……好きでこの家に生まれてきたわけじゃないのに……。」
 それは武生も一緒だった。好きでヤクザの家に生まれたわけではない。なのに周りはそうさせようとしている。遠くの大学へ行っても、きっとそれはつきまとうのだ。
「今日はありがとう。武生。」
「ううん。平気だよ。菊子はこれから仕事?」
「ううん。今日は試験前だから、テスト勉強をしなさいって言われてる。」
「そうだね。俺もしないといけないな。」
「武生は余裕でしょ?」
「そんなことないよ。数学は菊子の方が強いじゃん。」
 少し笑いあい、二人は別れていった。
 頼ってくれたのは嬉しかった。だが本当はもっとずっと一緒にいたかった。
 菊子の長い髪が踊るように背中で揺れているのを、武生はしばらく見てそして自分の家に帰って行く。あの母親の待つ家に。
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