夏から始まる

神崎

文字の大きさ
上 下
26 / 265
オープンスクール

26

しおりを挟む
 レコードとCDをいくつか聴いて、菊子は数枚のCDを買った。そして帰ろうとしたとき、やっと棗がいることに気が付いた。
「どうしてここに?」
「お前なぁ……。」
 その様子に店員のドレッドへあの男は笑いながら言った。
「さっきから居たんだよ。気が付かなかった?」
「すいません。ここにしょっちゅう来れるわけではないと思ったし。」
「ふん。音楽が好きなんだろう?」
「……最近です。好きになったのは。」
 何も言いたくなかった。だから誤魔化す。その二人のぴりぴりした雰囲気に、店員の男は声をかける。
「知り合い?」
「オープンキャンパスに行きました。そのときの講師です。」
「そういえば、棗、今日は店を開けないのか?」
「今日は休んだ。日曜だし。もっとも週に何回も昼間に店を開けてたら俺の店かどうかも怪しくなってくる。」
「けど人気だろう?お前の店。」
「俺じゃねぇよ。治とかさ、あと仲居の恵美とかさ、あぁいう目に留まるようなヤツばっか見た目が良いヤツばっかはやし立てられてさ。天狗になってんだよ。」
「お前のせいだろう?味で勝負したいからって意気込んだのに、売れねぇから見た目で採用しやがって。」
「だからよぉ。あの店、治に譲っても良いと思ってんだ。」
「どうするんだ。」
「講師してさ、良いヤツ居たら引き抜く。まずこいつな。」
 そう言って棗は、梅子をみた。その言葉に彼女は驚いたように自分で、指を自分を指す。
「私ですか?」
「永澤貴人の孫だってさ。ぴったりだろ?」
「……。」
 すると彼女はむっとしたように彼に言う。
「バカにしてます?」
「今の言葉にバカにしてるところあるか?お前が必要だって言ってんだろ?あの学校にいたら、俺が基礎から教えてやる。卒業したらうちに入ればいい。」
 すると菊子は買ったCDの入ったバッグを、棗に打ち付けた。鈍い音がして、少しよろめいた。だが口元は笑っている。
「なんであなたに私のことを決めて貰わないといけないんですか。それに私の祖父を尊敬しているのは構いませんが、それを目的で店に入れようっていうのも腹立たしいです。」
 その言葉に、その店員もうなづいた。
「棗。それは駄目だろ?彼女を名前だけで取ってるようにしか聞こえない。」
「んなことねぇよ。俺に言い返しきれるくらい根性座ってるし、実習だって真面目だ。洋食のなんかキザな男にもイヤな顔をしてたし、男関係でごたごたもしねぇだろうって思った。だから。」
「お前、そんな何時間くらいで、この人をそんな過大評価をするな。だから失敗することもあるんだ。」
「水仙さぁ。堅いって。だからまだ店員の一人も雇えねぇじゃん。」
 それにはさすがに水仙と呼ばれたその男も黙ってしまった。それが事実なのだから。
「……とにかく、私はまだ決めかねていますので、祖父や祖母とも相談しないといけませんし。」
「そうだな。でも学校が駄目なら、お前、俺のところに来いよ。」
「店ですか?」
「あぁ。新たに立ち上げるんだ。場所も目星つけてるし。学校にも話はしてある。」
「相変わらず行動は早いな。」
 その言葉に彼は少し苦笑いをした。だが菊子は棗に失礼なことをだいぶ言われているのに、なぜかこの男を嫌いにはなれそうになかった。料理の指導の仕方なのか、それとも、彼の強引さなのか。一番の理由はどことなく、蓮に似ているような気がするからだろう。
 しかし見た目は違う。おそらく彼女よりも背はわずかに高いが、蓮はツンツンに立てた髪をしているのに、彼はわずかに茶色の髪を短めに切っているが、立ててはいない。おそらく整髪料や香水は料理の邪魔になるからだ。
 蓮からはいつもムスクのような香水と、煙草の匂いがする。それが菊子をくらくらさせそうになっていた。
 どうしてこんなに離れているのに、蓮のことを思うのだろうか。
 胸が少しズキッと痛んだ。

 ビルを出ると棗は伸びをして、菊子の方を向く。
「これからどっか行くのか?」
「楽器屋さんに。」
「バンドか何かしてんのか?」
「少し。」
 彼はバカにしたように彼女に言う。
「意外だな。あれか?女子高生がきゃあきゃあ言う感じの、学芸会みたいなバンド。」
「……。」
 失礼な人だ。だがもう怒るのも面倒くさくなってきた。
「大人の方ばかりです。」
「ふーん。どこでライブするの?ライブハウスか何か?」
「えぇ。何かあれば披露できればと。」
「未成年を使うようなバンドは、動きが限られるだろうにな。でも……。」
 見上げる菊子は、顔も小さく、手足も長い。まるでモデルだと思った。こんな女がステージに立てば、イヤでも映えるだろう。
「ライブあったら教えろよ。」
「何でですか?」
「学芸会を見たいんだよ。」
 彼はそう言ってポケットから携帯電話を取り出す。
「どこの街だ。」
「○○市です。」
「帰りはタクシーでも電車でもいけそうだ。番号教えろよ。」
「イヤです。」
「教えねぇとライブがあるのもわからねぇだろ?良いから教えろよ。」
 強引に棗は菊子から携帯電話の番号を聞くと、満足したように彼女から離れていった。
 やっとどっかに行ってくれた。菊子はほっとして、今度は教えられた楽器屋の方へ向かっていく。すると、今度は菊子に声をかけた人がいた。
「菊子?」
 振り返ると、そこには蓮の姿があった。パンクロッカーのような容姿ではないが、ぼろぼろのジーパンや白いシャツから見える入れ墨が、気質ではない雰囲気を醸し出している。
「蓮さん。」
「あのレコード屋へ行ったのか?」
「さっきまで。」
「何を買ったんだ。」
 彼女は嬉しそうにバッグの中にあったCDを彼に見せる。
「いい趣味してるな。コレは俺も持ってるが、こっちは持ってないな。今度貸してくれないか。」
「良いですよ。お店で、渡せばいいですか?」
「あぁ。」
「こちらに今日は用事ですか?」
「あぁ。楽器屋にな。あっちの楽器屋でもことは足りるが、バンドスコアは無いところが多い。注文になれば、時間もかかるからこっちの楽器屋の方が置いている確率が高い。」
「確かにそう思います。」
「お前も来るか?」
「えぇ。今から私も楽器屋さんへ行こうかと。」
 蓮はその言葉に、菊子の頭をくしゃっと撫でた。
「いい傾向だ。」
 そうやって少し子供扱いする。それが複雑で、嬉しいような、バカにされているような感覚。しかし、バカにされていてもさっきの棗のように苛つきはしない。逆に嬉しいと思う。
しおりを挟む

処理中です...