夏から始まる

神崎

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雨の日

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 食事を終えると、酒だけを山桃の間に持っていく。そしてしばらくすると、赤い着物を着た女性が山桃の間に消えていった。
 菊子がほかの部屋の食器を片づけていると、その部屋から省吾だけが出てきた。
「お帰りですか。」
「あぁ。精算を頼む。」
「わかりました。今女将に……。」
 女将を捜そうと、菊子はお盆を持ったまま周りを見渡した。しかし、それを省吾が止める。
「菊子。少し話があるのだが。」
「何でしょうか。」
「……お前は武生と仲がいいのか。」
「先ほどもおっしゃいましたがクラスも一緒ですし、時間が合えば一緒に登下校をするくらいです。昔ほどべったりと遊んだりはしませんね。」
「……そうか。」
 気になるような言い含みだ。気になるが、「何かあったんですか」など聞けるはずはない。
「恋人ではなかったのか。」
「武生には恋人が別にいますから。」
「あぁ。年上だという。お前は知っているか?」
「武生の恋人ですか?あまり知らないです。男の側に他の女がべったりとくっついていたらいい気分はしないでしょう?」
「その通りだ。だがこれを見たことは?」
 スーツの胸ポケットから携帯電話を取り出し、彼はその画像を見せる。どうやら写真のようで、胸も下半身も露わにした女性が笑顔で写真に収まっている。目を覆いたくなるような写真だ。
「何ですか?これ。」
「三作目のAV作品で、なかなか人気がある女優だ。胸も大きいしな。」
「それが何ですか?」
「顔に見覚えは?」
 目を思わず離してしまったが、よく顔を見てみる。どこかで見た顔だ。そしてやっと思い出した。
「これって……武生の……。」
「そう。大学へ行くといって都会の方に出たが、ホストにはまって風俗、そこからAV女優。抜けられんよ。」
「それって……あなたたちの……。」
「そうだ。俺たちがそうした。いい金蔓だ。AVでせいぜい減らない借金を返せばいいさ。」
「……卑怯。」
「卑怯だよ。ヤクザなんだから。この店だって、その息がかかっている。どんな店でもかかっているものだ。」
 ということは「rose」にもかかっているのだろうか。蓮もその関係だというのだろうか。ぞっとする。
 近づいて、親切にしているのは、自分を売ろうとしている為なのだろうか。そう思うと疑心暗鬼になりそうだ。
「菊子。まぁあまり考えすぎない方がいい。お前、男は出来たのか。」
「そのような人はいません。」
「そうか?前見たときよりも色気が出たと思ったが。」
 そのとき廊下の向こうから、女将がやってきた。
「菊子さん。お客様と立ち話をしている場合ではありませんよ。片づけは終わりましたか?」
「今……。」
「女将、怒らないでやってくれ。俺が足を止めさせたんだ。」
「まぁ……このような娘にまで話をするなんて、お父様なら絶対いたしませんでしたのに。」
「武生の様子を聞いてただけだ。同級生で同じクラスというし。俺もあまりあいつに関われないのでな。兄ながら心配していたのだよ。」
「弟思いですこと。」
 そのまま省吾は玄関先で会計を済ませる。そして黒塗りの車に乗り込み、帰って行った。それを女将と並んで菊子も見送りへ行く。
「……。」
 視線にあるのは、公園のほう。そこには「rose」がある。あんな人と蓮も繋がりがあるのだろうか。近づいたのはそのためなのだろうか。そう思うと怖い。
「菊子さん。」
 ぼんやりしていた彼女に、女将が声をかける。
「はい。」
「蓮さんはあんな人たちとは縁がないのよ。心配しないで。」
「……そんな顔をしていましたか。」
「えぇ。ヤクザと繋がりがあるのはあくまで、私や大将だけ。あなただって今までそんな人たちと縁はなかったでしょう?」
「はい。」
「だったら信じなさいな。恋人ならね。」
「恋人ではありませんが……。」
「時間の問題でしょう。あの方なら、あなたを任せられるのに。」
 じわじわと沸いている感情は、どんなモノなのかわからない。だがはっきり「好き」だとは思えない。まだそんなに彼のことを知らないし、彼の間にまだ隙間がある気がするからだ。
 それはまだ武生や梅子の方が近い距離にいる気がする。

 ライブが終わって、蓮は煙草に火をつけた。店員もしているが、ベースがいないなどの事情があるときは、彼が弾いているのだ。そのジャンルは様々で、元々パンクをしていた彼にとって未知の世界だったがそれも徐々に馴れた。
 だが今日は違う。
「らしくない演奏だったわね。」
 ミスが多かった。そのせいでヘルプなのにバンドのメンバーに迷惑をかけてしまったと反省しているのだ。
「何か集中できなくて。」
「彼女のせいじゃないの?」
 そう言って百合は彼の前に水の入ったコップを置いた。
「彼女?」
「とぼけないでよ。菊子ちゃん。可愛い女の子ね。」
 その言葉に酒を飲んでいたギターを弾いていた男が食い気味で聞いてくる。
「蓮が女?どうしたんだよ。お前、女は嫌いだっていってたのに。」
「どうでもいいだろう。彼女でも何でもねぇから。」
 蓮の言葉の語尾の強さに、ギターの男は肩をすくませて酒を手に席を立ち、他のメンバーの所へ混ざっていった。その様子にあきれたように百合は言う。
「蓮。噛みつかないの。あんたは腕があるし、ベースを弾いてっていう人は多いけどそんな態度だったら呼ばれないわよ。」
 煙草に火をつけて、不機嫌そうに煙を吐き出した。そんなことはわかっている。だがどうしても付いていけないところはあった。それは主に女の関係だと思う。
「百合もいらないことを言わないでくれ。」
「あら。あたしは真実を言ったまで。どう見ても惚れてるじゃない。」
「女は嫌だ。」
 その言葉に彼女はため息を付く。
「あんたが手を出さないって言うのだったら、あたしが出してもいいの?明日来るって言ってたじゃない?デートに誘おうかしら。」
「やめろ。」
 ムキになってそれを止める。やはり惚れているのだ。
「百合さん。生一つもらえる?」
「はい。」
 他の客が注文してきたのを聞いて、彼女はグラスを冷蔵庫から取り出した。グラスをセットして、ボタンを押すと自動的にビールを用意できる。そんなモノがあって、楽になったものだ。
「蓮。煙草を吸い終わってからでいいわ。そろそろ茜ちゃんを帰らせようと思うから、あなたホールに出てもらえる?」
「あぁ。」
 切れそうな男なのに、彼は女に対してはからっきしだ。それは昔、彼が十代の頃のこと。苦しい恋をしたからだった。
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