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逢引 の 開始
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ほぼ同時にブローも終わり、お金を払って美容室を出ていこうとしたときだった。
「桜井さん。」
美容室の階段を下りきったとき、愛さんも降りてきて声をかけられた。
「転勤の話は聞いていますか?」
「えぇ。後継は橘さんがすると聞いています。」
「ショックではないのですか?」
「……真実を聞く時間のタイムリミットが迫っていることに焦ってますね。」
本当ならデートなどしたくはない。息吹とでもどうだろう。基本一人が好きなのだから、他人と一緒にいるという感覚がとてもいやになる。
「それだけ?」
「えぇ。他に何か?」
「……あなたは栄介にひとかけらの愛情もありませんでしたか。」
「……。」
ないと言えば嘘になる。何度も迫られ、そのたびに拒否をした。しかし心底イヤだったことなどあるのだろうか。
いつか斉藤さんという上司から迫られたことがあった。それと比べても雲泥の差だ。
「……無いとは言い切れませんね。」
「どうしてそう思うのですか?」
「あれだけのいい男の人から言い寄られて、イヤな気持ちになる人はいないと思うから。」
「それは質問が違いますね。」
ヒールを鳴らして、彼女は私の前に立つ。改めてみると迫力のある人だ。モデルのように見えるけれど、グラマラスで、まるで外国人のようにも見える。
「あなた自身に愛情はなかったのかということです。」
「……そういう意味であれば、ありませんでした。私が好きなのは一人だけです。」
昔からおそらく息吹が好きだった。咲耶としての自分も、そして桜井六花としての自分も。彼以上の存在はいない。
「息吹という魔物でしょう。お兄様が言っていた人工魔。」
「はい。」
「どうしてでしょうね。息吹という人工魔は、お兄様に似ているというのに、どうしてお兄様には靡かなかったのでしょう。」
「それは簡単な話でしょう。」
「何かしら。」
「よく似ている双子。兄が死んだからと言って弟を好きになるとは限らない。そういうことでしょうね。」
その言葉に愛さんは初めてふっと笑った。
「そうかもしれないわね。」
風が出てきた。身を切るような寒さは、コートでは防げない。
「もう一つ聞いても?」
「はい。」
「情報のために好きでもない男にどうして体を差し出せるのですか。」
難しいことだ。しかし私は答えないといけない。
「好きじゃないからでしょう。」
「え?」
「何にしても……必要とされることは嬉しいことです。」
お前なんかいらないと怒号されていた頃がある。それに比べると、今はとても居心地がいい。
必要とされているから。
土曜日の朝。黒い厚手のタイツ。深い緑のニットのワンピースを着た。そしてその上から白いダウンのコートを着る。
それから髪を下ろして、コンタクトを付けた。それは山口さんが望んだスタイルだった。
鏡の前に立つ私は、滑稽だと思う。
「似合わないわね。」
私が中学生の時、機嫌のいい母が一度、着物を着せたことがある。私に似合わない赤い牡丹の柄の着物。自分で着せて、そう言ったあと脱がせてしまったのだ。
「顔が地味なんだから、派手ながらは負けるわね。赤とかそう言うものは着ない方がいいわ。」
こんな格好をしている自分がとてもイヤになる。やっぱり違う格好をした方がいいかな。でももう時間がない。
バックを手にして外に出る。しばらくすると、白い車が私の前に停まった。そして運転席から山口さんが出てきて、私を見て驚いていた。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「驚いたな。」
「似合わないですよね。」
「ううん。似合ってる。可愛いよ。」
そう言って彼は私を車の中に入れた。山口さんもいつかみたジャンパーではなく、黒いジャケットやジーンズを着ていていつもよりお洒落に見えた。
「いつもそういう格好をすればいいのに。」
「スーツを着た方が、仕事をするっていう気持ちになれますから。」
「君らしいね。」
「ところで、どこへ行くんですか。」
「来てみればわかるよ。」
多分普通に映画館とか、ショッピングへ行くようなことはしないだろう。私がそう言うのを嫌っているのを彼はよく知っているから。だとしたらどこへ行くのだろう。
車のカーステレオからは、ジャズが流れている。多分大学の時にやっていたという音楽なのかもしれない。女性ボーカルの曲は、ゆっくりしていて冬の青空によく映えている。
やがて車は高速道路を通る。
「上手ですよね。運転。」
「必要に迫られて取った免許だけどね。役に立つと思わなかった。」
「誰か乗せることがあったんですか。」
「ここ最近はないね。車も必要ではないし。」
誰を乗せたのだろう。わからない。だけどそれを聞くことはないのだ。私たちは、ずっとそうだった。
私たちは上司と部下であり、周りから見れば仲が良すぎて恋人ではないのかと言われている。でも実際はそんなことはない。
でも山口さんには世話になっている。会社の上司としても、魔物としても。不可抗力とはいえ、キスもセックスもしたことがある仲だ。しかしその距離は近いとは言い難い。でも遠いとも言い難い。
近くて遠く、遠くて近い。
その絶妙な距離で成り立っている。それをぶちこわすことは、きっと今まで何度と無くタイミングはあったはずだ。でも壊せなかった。
それは何故なのか。
息吹がいたから。息吹もまた、その絶妙な距離感をずっと保っているのだから。
「桜井さん。」
美容室の階段を下りきったとき、愛さんも降りてきて声をかけられた。
「転勤の話は聞いていますか?」
「えぇ。後継は橘さんがすると聞いています。」
「ショックではないのですか?」
「……真実を聞く時間のタイムリミットが迫っていることに焦ってますね。」
本当ならデートなどしたくはない。息吹とでもどうだろう。基本一人が好きなのだから、他人と一緒にいるという感覚がとてもいやになる。
「それだけ?」
「えぇ。他に何か?」
「……あなたは栄介にひとかけらの愛情もありませんでしたか。」
「……。」
ないと言えば嘘になる。何度も迫られ、そのたびに拒否をした。しかし心底イヤだったことなどあるのだろうか。
いつか斉藤さんという上司から迫られたことがあった。それと比べても雲泥の差だ。
「……無いとは言い切れませんね。」
「どうしてそう思うのですか?」
「あれだけのいい男の人から言い寄られて、イヤな気持ちになる人はいないと思うから。」
「それは質問が違いますね。」
ヒールを鳴らして、彼女は私の前に立つ。改めてみると迫力のある人だ。モデルのように見えるけれど、グラマラスで、まるで外国人のようにも見える。
「あなた自身に愛情はなかったのかということです。」
「……そういう意味であれば、ありませんでした。私が好きなのは一人だけです。」
昔からおそらく息吹が好きだった。咲耶としての自分も、そして桜井六花としての自分も。彼以上の存在はいない。
「息吹という魔物でしょう。お兄様が言っていた人工魔。」
「はい。」
「どうしてでしょうね。息吹という人工魔は、お兄様に似ているというのに、どうしてお兄様には靡かなかったのでしょう。」
「それは簡単な話でしょう。」
「何かしら。」
「よく似ている双子。兄が死んだからと言って弟を好きになるとは限らない。そういうことでしょうね。」
その言葉に愛さんは初めてふっと笑った。
「そうかもしれないわね。」
風が出てきた。身を切るような寒さは、コートでは防げない。
「もう一つ聞いても?」
「はい。」
「情報のために好きでもない男にどうして体を差し出せるのですか。」
難しいことだ。しかし私は答えないといけない。
「好きじゃないからでしょう。」
「え?」
「何にしても……必要とされることは嬉しいことです。」
お前なんかいらないと怒号されていた頃がある。それに比べると、今はとても居心地がいい。
必要とされているから。
土曜日の朝。黒い厚手のタイツ。深い緑のニットのワンピースを着た。そしてその上から白いダウンのコートを着る。
それから髪を下ろして、コンタクトを付けた。それは山口さんが望んだスタイルだった。
鏡の前に立つ私は、滑稽だと思う。
「似合わないわね。」
私が中学生の時、機嫌のいい母が一度、着物を着せたことがある。私に似合わない赤い牡丹の柄の着物。自分で着せて、そう言ったあと脱がせてしまったのだ。
「顔が地味なんだから、派手ながらは負けるわね。赤とかそう言うものは着ない方がいいわ。」
こんな格好をしている自分がとてもイヤになる。やっぱり違う格好をした方がいいかな。でももう時間がない。
バックを手にして外に出る。しばらくすると、白い車が私の前に停まった。そして運転席から山口さんが出てきて、私を見て驚いていた。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「驚いたな。」
「似合わないですよね。」
「ううん。似合ってる。可愛いよ。」
そう言って彼は私を車の中に入れた。山口さんもいつかみたジャンパーではなく、黒いジャケットやジーンズを着ていていつもよりお洒落に見えた。
「いつもそういう格好をすればいいのに。」
「スーツを着た方が、仕事をするっていう気持ちになれますから。」
「君らしいね。」
「ところで、どこへ行くんですか。」
「来てみればわかるよ。」
多分普通に映画館とか、ショッピングへ行くようなことはしないだろう。私がそう言うのを嫌っているのを彼はよく知っているから。だとしたらどこへ行くのだろう。
車のカーステレオからは、ジャズが流れている。多分大学の時にやっていたという音楽なのかもしれない。女性ボーカルの曲は、ゆっくりしていて冬の青空によく映えている。
やがて車は高速道路を通る。
「上手ですよね。運転。」
「必要に迫られて取った免許だけどね。役に立つと思わなかった。」
「誰か乗せることがあったんですか。」
「ここ最近はないね。車も必要ではないし。」
誰を乗せたのだろう。わからない。だけどそれを聞くことはないのだ。私たちは、ずっとそうだった。
私たちは上司と部下であり、周りから見れば仲が良すぎて恋人ではないのかと言われている。でも実際はそんなことはない。
でも山口さんには世話になっている。会社の上司としても、魔物としても。不可抗力とはいえ、キスもセックスもしたことがある仲だ。しかしその距離は近いとは言い難い。でも遠いとも言い難い。
近くて遠く、遠くて近い。
その絶妙な距離で成り立っている。それをぶちこわすことは、きっと今まで何度と無くタイミングはあったはずだ。でも壊せなかった。
それは何故なのか。
息吹がいたから。息吹もまた、その絶妙な距離感をずっと保っているのだから。
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