遠くて近い 近くて遠い

神崎

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方便 で 賭事

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 出張のつけが回ってきたのか、その日、私と山口さんは大幅に残業をしていた。というのも、新製品に血管があることが今日、報告されたのだ。橘さんはあきれたように私たちを見ていたが、二十一時になって彼も帰っていった。
「すいません。僕、今月時間数がぎりぎりで。」
 たぶん嘘だ。彼は新婚だと言っていた。早く帰って妻の顔を見たいのかもしれない。
 それでも山口さんに聞けば、橘さんは仕事人間だと言っていた。少なくとも結婚するまでは。
「橘さんがこんなに変わると思ってなかったな。」
 結婚すれば誰でもこうなるのかもしれない。いや。私はならなかったのだ。少なくとも「咲耶」の時、桐彦さんを待ちわびたことなど無かった。反対に息吹を待ちこがれたことはある。
 いずれも昔の話だ。
「そっちはどう?」
 山口さんから声をかけられ、私は我に返った。
「これでいかがですか。」
 できあがったデーターを山口さんに見せる。すると彼は笑いながら、いいよと言ってくれた。やっと仕事が終わる。
「お疲れさん。あぁ。もう二十三時か。疲れたね。」
 その時計を見て急いでパソコンのデーターを保存した。そしてパソコンをシャットダウンさせる。
「どうしたの?」
「終電に間に合いそうにないので。」
「何時?」
「あと二十分です。」
「間に合わないよ。正面から出るんならともかく。」
「大丈夫です。」
 何度もこういうことはあった。間に合わないことはない。
「あっ。」

 ガタン!

 思いっきりいすにつまずいて、転んでしまった。痛い。膝から思いっきり転び、ひざまづいてしまった。
「大丈夫?」
 手をさしのべられ、私はその手につかまって立ち上がる。
「いたた。」
「見せて。」
 そういって彼は私のスーツのズボンをはぐった。ひんやりとした外気が足を包む。
「字になるかもしれないね。立てるみたいだし骨なんかはいってないようだけど、帰ったら冷やして。」
「ありがとうございます。」
 時計を見る。もう完全に間に合わないだろう。それでなくても足が痛いのだから。
「歩ける?」
「大丈夫です。」
 強がっては見たものの、足をつく度に痛い。どこか痛めているのかな。
「でも電車は間に合いそうにないね。」
 時計を見るともう走っても間に合わないような時間になってしまっていた。ちっ。タクシーを拾わなきゃ。

 手を貸してもらってやっとたどり着いたのは、地下の奥にある仮眠室だった。ここを使う人は、納期に間に合わない課以外はあまり使われない。
 ここに簡単な救護用品があるのだ。山口さんはそれを取り出して、私にソファに座るようにいう。そして自分は床にひざを突いて私の足に触れる。
「もう青くなりかけている。痛いだろ?」
「えぇ。」
 湿布を貼って、その上から固定するようにテープを貼ってくれた。
「ありがとうございます。」
 テープのおかげで少し引きずるけれど、立てないことはない。これで無事に帰れそうだ。
「でも、おかしいね。」
「何がですか。」
「君に「傷」を付けさせるなんて。君が傷を負わせられるのは、誰かを傷つけたという条件がある。」
「……。」
 よく知っているな。
「誰か傷つけたの?」
「えぇ。よくわかりましたね。」
 夕べ息吹と言い合いをしたのだ。仕事は終わったので魔界に帰る。そのため私にも付いてきてほしいと彼は言っていた。
「私には生活がありますし、人間での戸籍もありますからね。」
「失踪するなんてことは、案外簡単に出来るものだ。人が一人いなくなるなんてことは、そう珍しいことじゃない。特に成人ならそこまで騒ぎにはならないだろう。」
「山口さんの言うとおりです。息吹はそう言っていましたね。でも私にはここに入った目的もあります。」
「君は自分の製品をこの世に送りたいと言っていたね。」
「まだ実現されていませんけど。」
「……橘さんは指導者としても優秀だ。きっと君の製品を出すことは出来ると思うけどね。」
「だからこそ、私はここを去るわけにはいかない。」
「だけど息吹は理解できないだろうね。あいつにとって君は初恋みたいなものだ。」
「……だから喧嘩をしたんです。」
 山口さんは隣に座ると、いつもの笑顔を浮かべた。そして私の肩に触れる。
「息吹はもういないのか。」
「えぇ。」
「桐彦も?」
「撤退したと思いますよ。言われたとおりの仕事は完了したといってましたし、人工魔の工場にめどをつけてあとは人間に任せるといってました。」
 以前と変わらない状態だ。息吹も桐彦さんもいない。山口さんと私しかいない状態。
「君はどこの国だと思う?」
「人工魔の製造ですか。どこの国って……。」
「僕のいったとおりの国だと思っている?」
「違うと思います。」
 私の答えに山口さんは驚いたようだった。笑顔が少し変わったから。
「どうして?」
「たぶん、外国じゃないと思うから。」
「……この国のどこにそんな工場が?この国は国の端から端までを管理しているような国だ。そんなところで人工魔の製造なんて……。」
「多分出来ます。」
 賭だった。これは私の予想でしかないのだから。果たしてこんなに頭の切れる人に、私の嘘は通じるのだろうか。
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