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二年目
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日をまたいだ夜中。さすがに人通りはない。それがわかって柊さんは、私の手を握ってくれた。夜の道は怖いという感情と、竹彦の近況を聞いた私が不安定になっていると思ったのかもしれない。無表情だけど、その優しさはイヤになるほど伝わってきた。
「ヤツは、椿になったことを後悔しているのか。」
「わからない。だけど私にいつも言ってたことがある。」
「何を?」
「彼は私のことが好きだと言ってた。だから椿に入ったと。」
「おまえのことが好きだからどうして椿に入ることになるんだ。」
「……椿に入ることで、あなたや葵さんと一緒の立場になる。そうすれば私から振り向いてもらえると思ってたみたい。」
「バカな考え方だ。そんなことをしてもお前が喜ばないだろうに。」
吐く息がまだ白く、足は凍るように冷たい。だけど手だけは温かい。そしてその片方には魔法瓶が握られている。竹彦に渡すためだった。
「好きで椿になったヤツはいない。葵も、茅も、それぞれ事情があった。それを考えないのはやはり子供だ。」
「……そうかもしれないわね。」
やがてコンビニが見えてきた。夜の暗闇にそこだけが奇妙に明るいが、夜中のそこは駐車場に車一つない。きっと夜中だから、お客さんもいないのだろう。
灰皿のそばに竹彦がいた。いつもきれいにセットされていた髪も、今はぼさぼさになっていた。疲れてるのかもしれない。
「竹彦君。」
手を離して、私たちは彼に近づいた。
「アパートまで行っても良かったんだけどね。」
「あまり離れられないでしょう?」
顔色があまり良くないし、少し痩せたようだ。きっと度重なる身内の死は、彼の肉体も精神もぼろぼろにさせたのかもしれない。
「お姉さんは大丈夫?」
「寝込んでる。熱が出てしまったみたいで……。親戚とかが来てくれて、何とかやってるよ。だけど……。」
彼はため息をついて言う。
「ウチとは関わりたくないと言う人もいる。母さんも、僕も、関わってしまったからね。」
「そう……。」
私はその手に持っている魔法瓶を彼に差し出した。
「私が焙煎したの。今朝、飲んでみたわ。」
「君が焙煎したの?そうか。○×市で喫茶店をするらしいね。」
「えぇ。」
すると柊さんはコンビニの中に視線を送る。
「煙草を買ってくる。」
「わかったわ。」
そういって彼はコンビニの中に入っていった。きっと彼がいたら話せない内容もあると気を使ったのかもしれない。
「柊さんも○×市へ?」
「えぇ。臨時の職員。」
「そっか。」
「……坂本組にとっては都合が悪いんでしょうね。」
「あぁ。知ってたんだ。」
「えぇ。それから、あなたの言葉も少し気になることがあったわ。私が○×市に行くと言ったとき、あなたは「出来ればいいね」と言った。あなたはきっと坂本組と高杉組の事を知っていたのよね。」
その言葉に彼は弱々しく笑う。
「うん。だからそういうことが出来るかなと思ってた。だけど……いくらヤクザが張り切って家を燃やしても、行政には勝たない。あっちは正攻法だからね。」
「……彼はもうヤクザにならない。いくら脅されても、暴力を振るわれても、きっともう戻らないわ。」
「そうだろうね。僕もそうだ。本当の父親がそうだからと言っても、僕はもう戻る気はないな。人が三人も亡くなっちゃね。」
きっと私のため、そして強さを求めるために彼はその世界には言ったのかもしれない。だけど残ったのは後悔だけだった。
「本当の父親……ねぇ。」
「君の父親のことは聞いてる?」
「えぇ。蓬さんから聞いた。」
「榎田さんか。去年僕の家で葬儀をあげたよ。看板を出せない葬儀をね。依頼者は蓬さんだった。」
ここで聞けるかもしれない。でもこんな時に聞いていいの?彼が弱っているところに、傷口に塩を塗り込むような真似をしていいの?
「竹彦君。聞きたいことがあるの。」
「何?」
「本当にあなたは蓬さんの子供なの?」
「母さんが言っていた。蓬さんの愛人だった時期があるって。だからそうなんだろうと思ってた。」
そのときコンビニから柊さんが戻ってきた。
「もう、いいか?」
「ごめん。もう少し。」
「あまりいても補導されるぞ。」
「わかってる。」
竹彦は少し意外だと思っていたかもしれない。私が柊さんの言うことを、断っていたから。
「蓬さんには正妻の間に子供はいないわ。愛人にはセックスを強要することもなかった。立場上、そういう人も必要だから作っていただけだって。」
「あぁ。そういえば君の母さんもそういう立場だったことがあるらしいね。」
「えぇ。だから知ってたの。蓬さんがどんな人なのか。」
「え?」
「蓬さんには子供を作ることが出来ないの。」
その言葉は柊さんの動きも止めた。そして竹彦も。
「本当に?」
「えぇ。確かなこと。」
「だったら……僕は……誰の……。」
うつむいていた顔を上げた。そして口を押さえた。
「もしかしたら……いや、あり得ない。」
「竹彦、誰だ。言え。」
「……榎田さんは、死ぬまでずっと妻を取ることはなかった。胡桃さんだけを見ていたから。相馬さんは、僕が生まれた頃にはすでに組から離れて、蓬さんから隠れるように喫茶店をしていた。愛人に近づくことなんか出来ないと思う。藤堂さんは節操ない人だったみたいだけど、百合さんのことで懲りて蓬さんの愛人には手を出さなかった。」
「……残ったのは……菊音か。」
「可能性は高い。実際、僕が椿にいた頃、菊音さんはよく組に顔を出していた。椿の育成のためにね。」
「……そう……。」
「夜の仕事をしていたから、そんなものかとは思っていたけれど……まさか、彼が僕の父さんかもしれないってことか。」
竹彦の手が拳を作る。そしてぎゅっとそれは握られた。
「……竹彦。変な気を起こすな。お前みたいな奴は返り討ちにあう。妹の二の舞にはなりたくないだろう。」
その言葉に彼は柊さんの方を見る。
「そのために強さを求めた。」
「バカが。強さをはき違えるな。」
柊さんはそういうと、彼の前にたつ。
「いいか?人間出来ることは限られる。キャパ以上の事をしようとすれば、きっとどこかで歪みが起きるんだ。もうこれ以上、身内を失いたくはないだろう。」
「……でもどうしたら……。」
「後は出来る奴に任せればいい。」
「柊さんが?」
「俺じゃない。ただ、一発殴りたい気分ではあるがな。」
竹彦は背が伸びた。体つきも男らしくなった。だけど柊さんとは体格の差は歴然だった。
見下ろされて、彼は何を思っているのだろう。
「ヤツは、椿になったことを後悔しているのか。」
「わからない。だけど私にいつも言ってたことがある。」
「何を?」
「彼は私のことが好きだと言ってた。だから椿に入ったと。」
「おまえのことが好きだからどうして椿に入ることになるんだ。」
「……椿に入ることで、あなたや葵さんと一緒の立場になる。そうすれば私から振り向いてもらえると思ってたみたい。」
「バカな考え方だ。そんなことをしてもお前が喜ばないだろうに。」
吐く息がまだ白く、足は凍るように冷たい。だけど手だけは温かい。そしてその片方には魔法瓶が握られている。竹彦に渡すためだった。
「好きで椿になったヤツはいない。葵も、茅も、それぞれ事情があった。それを考えないのはやはり子供だ。」
「……そうかもしれないわね。」
やがてコンビニが見えてきた。夜の暗闇にそこだけが奇妙に明るいが、夜中のそこは駐車場に車一つない。きっと夜中だから、お客さんもいないのだろう。
灰皿のそばに竹彦がいた。いつもきれいにセットされていた髪も、今はぼさぼさになっていた。疲れてるのかもしれない。
「竹彦君。」
手を離して、私たちは彼に近づいた。
「アパートまで行っても良かったんだけどね。」
「あまり離れられないでしょう?」
顔色があまり良くないし、少し痩せたようだ。きっと度重なる身内の死は、彼の肉体も精神もぼろぼろにさせたのかもしれない。
「お姉さんは大丈夫?」
「寝込んでる。熱が出てしまったみたいで……。親戚とかが来てくれて、何とかやってるよ。だけど……。」
彼はため息をついて言う。
「ウチとは関わりたくないと言う人もいる。母さんも、僕も、関わってしまったからね。」
「そう……。」
私はその手に持っている魔法瓶を彼に差し出した。
「私が焙煎したの。今朝、飲んでみたわ。」
「君が焙煎したの?そうか。○×市で喫茶店をするらしいね。」
「えぇ。」
すると柊さんはコンビニの中に視線を送る。
「煙草を買ってくる。」
「わかったわ。」
そういって彼はコンビニの中に入っていった。きっと彼がいたら話せない内容もあると気を使ったのかもしれない。
「柊さんも○×市へ?」
「えぇ。臨時の職員。」
「そっか。」
「……坂本組にとっては都合が悪いんでしょうね。」
「あぁ。知ってたんだ。」
「えぇ。それから、あなたの言葉も少し気になることがあったわ。私が○×市に行くと言ったとき、あなたは「出来ればいいね」と言った。あなたはきっと坂本組と高杉組の事を知っていたのよね。」
その言葉に彼は弱々しく笑う。
「うん。だからそういうことが出来るかなと思ってた。だけど……いくらヤクザが張り切って家を燃やしても、行政には勝たない。あっちは正攻法だからね。」
「……彼はもうヤクザにならない。いくら脅されても、暴力を振るわれても、きっともう戻らないわ。」
「そうだろうね。僕もそうだ。本当の父親がそうだからと言っても、僕はもう戻る気はないな。人が三人も亡くなっちゃね。」
きっと私のため、そして強さを求めるために彼はその世界には言ったのかもしれない。だけど残ったのは後悔だけだった。
「本当の父親……ねぇ。」
「君の父親のことは聞いてる?」
「えぇ。蓬さんから聞いた。」
「榎田さんか。去年僕の家で葬儀をあげたよ。看板を出せない葬儀をね。依頼者は蓬さんだった。」
ここで聞けるかもしれない。でもこんな時に聞いていいの?彼が弱っているところに、傷口に塩を塗り込むような真似をしていいの?
「竹彦君。聞きたいことがあるの。」
「何?」
「本当にあなたは蓬さんの子供なの?」
「母さんが言っていた。蓬さんの愛人だった時期があるって。だからそうなんだろうと思ってた。」
そのときコンビニから柊さんが戻ってきた。
「もう、いいか?」
「ごめん。もう少し。」
「あまりいても補導されるぞ。」
「わかってる。」
竹彦は少し意外だと思っていたかもしれない。私が柊さんの言うことを、断っていたから。
「蓬さんには正妻の間に子供はいないわ。愛人にはセックスを強要することもなかった。立場上、そういう人も必要だから作っていただけだって。」
「あぁ。そういえば君の母さんもそういう立場だったことがあるらしいね。」
「えぇ。だから知ってたの。蓬さんがどんな人なのか。」
「え?」
「蓬さんには子供を作ることが出来ないの。」
その言葉は柊さんの動きも止めた。そして竹彦も。
「本当に?」
「えぇ。確かなこと。」
「だったら……僕は……誰の……。」
うつむいていた顔を上げた。そして口を押さえた。
「もしかしたら……いや、あり得ない。」
「竹彦、誰だ。言え。」
「……榎田さんは、死ぬまでずっと妻を取ることはなかった。胡桃さんだけを見ていたから。相馬さんは、僕が生まれた頃にはすでに組から離れて、蓬さんから隠れるように喫茶店をしていた。愛人に近づくことなんか出来ないと思う。藤堂さんは節操ない人だったみたいだけど、百合さんのことで懲りて蓬さんの愛人には手を出さなかった。」
「……残ったのは……菊音か。」
「可能性は高い。実際、僕が椿にいた頃、菊音さんはよく組に顔を出していた。椿の育成のためにね。」
「……そう……。」
「夜の仕事をしていたから、そんなものかとは思っていたけれど……まさか、彼が僕の父さんかもしれないってことか。」
竹彦の手が拳を作る。そしてぎゅっとそれは握られた。
「……竹彦。変な気を起こすな。お前みたいな奴は返り討ちにあう。妹の二の舞にはなりたくないだろう。」
その言葉に彼は柊さんの方を見る。
「そのために強さを求めた。」
「バカが。強さをはき違えるな。」
柊さんはそういうと、彼の前にたつ。
「いいか?人間出来ることは限られる。キャパ以上の事をしようとすれば、きっとどこかで歪みが起きるんだ。もうこれ以上、身内を失いたくはないだろう。」
「……でもどうしたら……。」
「後は出来る奴に任せればいい。」
「柊さんが?」
「俺じゃない。ただ、一発殴りたい気分ではあるがな。」
竹彦は背が伸びた。体つきも男らしくなった。だけど柊さんとは体格の差は歴然だった。
見下ろされて、彼は何を思っているのだろう。
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