夜の声

神崎

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二年目

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 百合さんがこの国に来る事を知る度に、葵さんは彼女に会いに行っていた。コーヒーを見て欲しいと。彼女のコーヒーに近づいたのかと不安になっていた。
 しかし彼女は言う。
「コーヒーの味は十人十色。味覚だってそう。あなたはあなたが好きなコーヒーを淹れればいい。そしてもう私に近づかないで。」
 葵さんはずっと不安に思っていた。どうやったら百合に近づけるのかと。あの場所は百合がしていた喫茶店だ。あの喫茶店には百合のコーヒーがふさわしいのに。
 そして今日、私は私が焙煎したコーヒーを、葵さんに飲ませた。その味は百合が淹れていたコーヒーの味。彼がずっと求めていた味だった。

「どうしてこんな小娘が、百合のコーヒーを淹れれるんだ。」
 葵さんは目だけで私を見る。でももう怖くない。茅さんが心配そうに私を見ているけど、その目には生気が宿っていないから。
「私は百合さんのコーヒーを飲んだことありませんよ。」
「だったら、どうして……。」
「美味しいものを作っただけですよ。自分が美味しいと思ったものを、他人も美味しいと共有できれば私は幸せです。そういったものを作りました。」
 すると茅さんは私の方を見る。
「あのコーヒーは美味しかった。煙草をやめようかと思ったくらいだ。」
「辞めた方がいいわよ。」
「やだね。……でも葵。百合に会ってたのは、本当にそれだけか?お前、コーヒーのためだけに百合に会ってたのか?」
「あぁ。でも……途中で味覚がおかしくなったようだった。たぶん、薬を使用していたという。だから……。」
 百合さんはもうコーヒーを淹れることはできないだろう。葵さんはぽつりとそう言うと、私の方を見る。
「桜さん。」
「はい。」
「コーヒーの淹れ方、焙煎の仕方は、自分一人で生み出すものです。あなただけのコーヒーを淹れればいい。たまには飲みに行きますよ。」
「お待ちしてます。」
 少し笑うと、葵さんは立ち上がり部屋を出ていこうとした。
「葵。」
 茅さんがそのあとを追っていく。
「飲みに行くか?今日。」
「やめておくよ。明日も仕事だ。そのための準備をしたい。」
「人手が足りないんだったら、芙蓉を雇えよ。」
 茅さんの言葉に、葵さんの表情が硬くなる。
「百合の淹れ方も出来るらしい。言葉は追々何とかなるだろ?」
「検討します。」
 そう言って葵さんは、部屋を出ていった。
「絶対イヤだって言ってたのに、検討に変わったわね。」
「……でもあいつ、まだ話してねぇことがあるな。」
「何?」
「うちの社長と何の繋がりがあったんだろうな。」
「それはあなたにも言える。」
 私はそう言ってテーブルに置いていた、鶏肉の載った皿を手にしてレンジに入れる。
「おい。俺が何を話してねぇことがあるんだよ。お前には正直に言ってるつもりだけど。」
「……そうね。あなたには柊さんにも話してないことも、話しているわ。でもあなたは私に話していないことがあるのよ。」
 レンジから軽い音がして、皿を取りだした。
「何だよ。」
「何かしらね。」
「言えよ。」
「ご飯食べたあとね。」
 私はテーブルの席に着くと、食べかけている食事をまた口に運んだ。

 茅さんがお風呂に入っている間、私は竹彦に電話をした。葵さんのごたごたがある前に、竹彦から電話があったのを思い出したのだ。
 電話をコールすると、彼はすぐに電話に出た。
「もしもし。」
 昼間にあったばかりだ。しかしそのときと、今の彼は全く別人のように声に張りがない。
「何かあった?」
「……父が死んだ。それから母も。」
 両親がいっぺんに死んだ?私は思わず席を立った。
「え?」
「父が病気で療養していた。すると母が……父を殺したらしい。そのあと、母も病院の屋上から飛び降りた。」
「……そうだったの……。」
 昼間に言っていた。竹彦が誰の子供なのか。それはきっと永久に語られることはなくなったのかもしれない。
 それよりも竹彦の心情が心配だ。
「大丈夫?」
「……明日、通夜だ。両親いっぺんに、しかも義理の兄の初仕事なんて皮肉だね。」
「手伝えること、無いかしら。」
「大丈夫。一応葬儀屋だし……。」
「もしかして、取り調べを?」
「僕はあまり話を聞かれることはなかった。あの家にいなかったしね。だけど……介護疲れじゃないかって、警察は言ってた。」
 ドアが開いた音がした。茅さんが入ってこようとしているのかもしれない。
「……明日、何時?」
「十九時。」
「伺うわ。」
「きっと蓬さんも来るよ。」
「心配しないで。そんな人混みの中で声をかける人じゃないでしょう?」
「それもそうだね。待ってる。」
「えぇ。大変だろうけど、頑張って。」
「うん。」
「お休み。」
「おやすみなさい。」
 電話を切り、携帯電話を机に置いた。
「誰だ。」
「友人の……両親が亡くなったわ。その報告。明日通夜に行く。」
「……。」
「父親は病院に入院してた。治る見込みはない病気だったらしいの。だけど一パーセントでも治る可能性があるならって……必死に介護をしていた。」
 その可能性はなくなり、彼らは同時に死んだ。
「桜。お前に何が出来る訳じゃないだろう?身の丈にあったことをしろよ。出来ないことは無理にするな。」
「そうね。」
 少し笑い、私は机の上に教科書とノートを置く。
「何すんの?」
「私に出来ることでしょ?卒業試験が近いの。卒業できなかったら、何もかもが水の泡だわ。」
「つまんねぇの。」
 そう言って茅さんは私の後ろから手を伸ばし、いすごとぎゅっと抱きしめた。
「桜。ここがイヤなら、俺の部屋に来いよ。柊が帰るまでに帰してやるから。」
「勉強するわ。」
「出来るの?」
 そう言って彼はその後ろの首に指を当ててきた。
「やっ……。」
「もう感じてるじゃん。」
 いすを回されて、彼は私の顔に近づこうとしてきた。それを手でふさぐ。
「やめて。」
「いいじゃねぇか。どうせ、ここ来てヤってねぇんだろ?」
「今日するかもしれない。あなたは耐えられるの?柊の使い古しで。」
「今更そんなちっちぇえ事いわねぇよ。」
 ぐっと手を避けられて、彼は顔を近づけてきた。
 顔がのけぞられる。それくらい激しく、彼は唇を合わせてきた。
 古いいすは背もたれにもたれる程きしみ、彼が乗りかかろうとするとさらに音を立てる。
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