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二年目
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いつも通りくらいの時間に「窓」にやってきた。新年になって何度か働いたが、正月からこっちは結構忙しい。正月特番とかっていう雑誌に「窓」が掲載されたからだ。
”落ち着いた空間で、極上の時間を”
みたいな感じの文句で雑誌に載っていた。もちろん、葵さんも載っている。いつもの笑顔で雑誌に載っていた葵さんは女性受けがいいらしく、女性のお客様が増えたようだ。
「一時的なものですよ。」
葵さんはあくまで冷静だ。だけど予想の斜め上をいったのは、葵さんだけじゃなくて私まで女性に騒がれていることだった。女性にきゃあと言われてももなぁ。と言っても男性に言われても困るんだけど。
まぁでも都合はいい。たぶん仕事が終わった後の方が話しやすいだろうし。
「ありがとうございました。」
最後のお客様が帰って、時計を見ると二十時三十分。茅さんが来るといった時間まで後三十分。少し時間を持たせなければいけないかもしれない。
テーブルを片づけて、紙ナプキンとつまようじの補充を始めた。葵さんは食器を洗い食洗機にそれを入れ、こちらをちらりと見た。
「桜さんは相変わらずもてますね。」
「女性にきゃあと言われても困りますよ。」
「確かにそうですね。私も男性に言い寄られても困りますから。彼なら、かまわないのかもしれませんが。」
「彼?」
「竹彦君ですよ。」
「あぁ。そうでしょうね。彼は男性も女性もいけるらしいですよ。」
「……私もそういう時期はありましたがね。」
「そうだったんですか?」
意外だった。男性に言い寄られるようでは困ると言いそうなのに。
「ずっと昔のことですよ。椿に入る前のことです。何をしてでも食べていかないといけませんでした。それに蓮もいましたしね。」
「これから蓮さんにもお世話になります。」
「……そうだといいのですが。」
葵さんはそういって、奥のバックヤードからコーヒー豆の生豆を出してきた。
「今日は、瑠璃さんに来て欲しくないと言われました。」
「えぇ。正月に彼女の所へ行きましたが、立っているのも辛そうでしたよ。もうあまり長くはない。あなたに教えることももうそんなに出来ないかもしれません。」
まだ習いたいことはあるのに。だけどそれはもう出来ないのだろうか。
カウンターに戻ってくると、紙ナプキンとつまようじをストックに戻し、洗い終わった食洗機から食器を取りだそうとした。そのとき、カウンターにコーヒー豆が一つ。落ちているのに気がついた。
「……瑠璃さんが焙煎するものより少し薄めですね。」
「えぇ。あまり濃いものは私自身が好きじゃないんです。自分が美味しいと思うものを提供したいと思っているので。」
「瑠璃さんの好みですかね。」
「あなたはどっちが好きですか?」
「え?」
「母のものと、私のものと。」
豆をおいて私は彼をみる。
「……どちらもいいと思います。そもそも豆が違いますから。ただ、葵さんの父さんが作ったという豆は、瑠璃さんの焙煎具合にぴったりでした。」
「あんな男の作ったものがねぇ。」
本当に父さんのことは嫌いなんだろうな。あの男呼ばわりだ。
「百合さんが焙煎したものはどうでしたか?」
その言葉に彼の動きが止まった。そして私の方に目を向ける。
「……百合ですか。」
「ここでコーヒーを淹れていたのでしょう?」
「えぇ。確かに美味しいものでした。彼女は瑠璃さんに習ったようですが、それから自分で試行錯誤していましたようです。そして自分の味を作ったみたいですね。」
「ここで?」
「人気店みたいでした。柊があんな事をするまでは。」
柊さんが百合さんの旦那のような顔をしていた男を指した。皮肉なことに、その男は柊さんの父さんだったかもしれない男。
「……百合さんはそこからいろんな事が公になったのですか。」
「やめましょう。もう昔の話です。」
ここからだ。ここから聞きたいことがあるのに。
「では今、聞きたい話を。」
「どうしました?」
彼は手を止めてこちらをみる。私も食器を手にしたまま彼を見た。
「葵さん。あなたは百合さんと繋がりがあったんですか。」
「……いいえ。どうしてですか?」
彼は笑いながら私に聞く。
「……どうして百合さんはあなたの名前を警察に出したのだろうと思ったんです。」
「どうしてでしょうね。今となっては彼女に会うことは出来ませんからね。真実は闇の中ですよ。」
「いいえ。実は私、会ったんです。」
「……百合に?」
「えぇ。」
「どうしてそんなことを?」
年末のことだった。それも百合さんの計算ずくのことだったが、私は彼女に会ったのだ。
「……会わないといけませんでした。不安を払拭するために。」
「……柊のことですか?」
「えぇ。」
「芙蓉さんが柊と百合の子供じゃないかと思ったのでは?」
「えぇ。そうかもしれないと思いました。でも違った。そして……別の不安が押し寄せてきました。」
彼は立ち上がり、私に近づいてきた。私は皿を棚に置くと、彼を見上げる。もう怖くない。彼が何をしてきても、きっと私は抵抗できるから。
「私の知らない間に、あなたはいろんな真実を知ったんですね。それでも柊の元にいるのはなぜですか。」
「……何も悪くないから。」
「彼が何も悪くない?」
「えぇ。そして、あなたに聞きたいことがある。」
「何ですか?」
「……百合さんに会っていたのはどうしてですか?」
私はやっと本題にたどり着いた。
それでも葵さんの表情は変わらない。相変わらず笑顔だった。
”落ち着いた空間で、極上の時間を”
みたいな感じの文句で雑誌に載っていた。もちろん、葵さんも載っている。いつもの笑顔で雑誌に載っていた葵さんは女性受けがいいらしく、女性のお客様が増えたようだ。
「一時的なものですよ。」
葵さんはあくまで冷静だ。だけど予想の斜め上をいったのは、葵さんだけじゃなくて私まで女性に騒がれていることだった。女性にきゃあと言われてももなぁ。と言っても男性に言われても困るんだけど。
まぁでも都合はいい。たぶん仕事が終わった後の方が話しやすいだろうし。
「ありがとうございました。」
最後のお客様が帰って、時計を見ると二十時三十分。茅さんが来るといった時間まで後三十分。少し時間を持たせなければいけないかもしれない。
テーブルを片づけて、紙ナプキンとつまようじの補充を始めた。葵さんは食器を洗い食洗機にそれを入れ、こちらをちらりと見た。
「桜さんは相変わらずもてますね。」
「女性にきゃあと言われても困りますよ。」
「確かにそうですね。私も男性に言い寄られても困りますから。彼なら、かまわないのかもしれませんが。」
「彼?」
「竹彦君ですよ。」
「あぁ。そうでしょうね。彼は男性も女性もいけるらしいですよ。」
「……私もそういう時期はありましたがね。」
「そうだったんですか?」
意外だった。男性に言い寄られるようでは困ると言いそうなのに。
「ずっと昔のことですよ。椿に入る前のことです。何をしてでも食べていかないといけませんでした。それに蓮もいましたしね。」
「これから蓮さんにもお世話になります。」
「……そうだといいのですが。」
葵さんはそういって、奥のバックヤードからコーヒー豆の生豆を出してきた。
「今日は、瑠璃さんに来て欲しくないと言われました。」
「えぇ。正月に彼女の所へ行きましたが、立っているのも辛そうでしたよ。もうあまり長くはない。あなたに教えることももうそんなに出来ないかもしれません。」
まだ習いたいことはあるのに。だけどそれはもう出来ないのだろうか。
カウンターに戻ってくると、紙ナプキンとつまようじをストックに戻し、洗い終わった食洗機から食器を取りだそうとした。そのとき、カウンターにコーヒー豆が一つ。落ちているのに気がついた。
「……瑠璃さんが焙煎するものより少し薄めですね。」
「えぇ。あまり濃いものは私自身が好きじゃないんです。自分が美味しいと思うものを提供したいと思っているので。」
「瑠璃さんの好みですかね。」
「あなたはどっちが好きですか?」
「え?」
「母のものと、私のものと。」
豆をおいて私は彼をみる。
「……どちらもいいと思います。そもそも豆が違いますから。ただ、葵さんの父さんが作ったという豆は、瑠璃さんの焙煎具合にぴったりでした。」
「あんな男の作ったものがねぇ。」
本当に父さんのことは嫌いなんだろうな。あの男呼ばわりだ。
「百合さんが焙煎したものはどうでしたか?」
その言葉に彼の動きが止まった。そして私の方に目を向ける。
「……百合ですか。」
「ここでコーヒーを淹れていたのでしょう?」
「えぇ。確かに美味しいものでした。彼女は瑠璃さんに習ったようですが、それから自分で試行錯誤していましたようです。そして自分の味を作ったみたいですね。」
「ここで?」
「人気店みたいでした。柊があんな事をするまでは。」
柊さんが百合さんの旦那のような顔をしていた男を指した。皮肉なことに、その男は柊さんの父さんだったかもしれない男。
「……百合さんはそこからいろんな事が公になったのですか。」
「やめましょう。もう昔の話です。」
ここからだ。ここから聞きたいことがあるのに。
「では今、聞きたい話を。」
「どうしました?」
彼は手を止めてこちらをみる。私も食器を手にしたまま彼を見た。
「葵さん。あなたは百合さんと繋がりがあったんですか。」
「……いいえ。どうしてですか?」
彼は笑いながら私に聞く。
「……どうして百合さんはあなたの名前を警察に出したのだろうと思ったんです。」
「どうしてでしょうね。今となっては彼女に会うことは出来ませんからね。真実は闇の中ですよ。」
「いいえ。実は私、会ったんです。」
「……百合に?」
「えぇ。」
「どうしてそんなことを?」
年末のことだった。それも百合さんの計算ずくのことだったが、私は彼女に会ったのだ。
「……会わないといけませんでした。不安を払拭するために。」
「……柊のことですか?」
「えぇ。」
「芙蓉さんが柊と百合の子供じゃないかと思ったのでは?」
「えぇ。そうかもしれないと思いました。でも違った。そして……別の不安が押し寄せてきました。」
彼は立ち上がり、私に近づいてきた。私は皿を棚に置くと、彼を見上げる。もう怖くない。彼が何をしてきても、きっと私は抵抗できるから。
「私の知らない間に、あなたはいろんな真実を知ったんですね。それでも柊の元にいるのはなぜですか。」
「……何も悪くないから。」
「彼が何も悪くない?」
「えぇ。そして、あなたに聞きたいことがある。」
「何ですか?」
「……百合さんに会っていたのはどうしてですか?」
私はやっと本題にたどり着いた。
それでも葵さんの表情は変わらない。相変わらず笑顔だった。
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