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二年目
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その日の夜。私は痛み止めの薬の効果もあってか、夢を見ずにぐっすり眠っていた。そして目を覚ますと、芙蓉さんはまだ眠っていたようだった。
体を起こすと、肩は昨日よりも痛くないようだった。
「よし。」
起こさないようにそっと部屋を出ると、朝食の用意を始める。ジャガイモやベーコン、タマネギを切ってコンソメと塩こしょうで味を調えたスープ。卵をスクランブルエッグにして、冷凍したパンを焼いていると芙蓉さんが起きてきた。
「おはよう。起きちゃった?」
「おはよう。いい匂いがしたから。」
「朝ご飯。あなたも食べる?」
「うん。」
それを聞いてパンをもう一枚トースターの中に入れた。
「コーヒーがいいかしら。紅茶?」
「あ、あたしコーヒー淹れるのうまいよ。淹れさせて。」
「え?あ……うん。いいよ。」
お湯が沸いているポットにお湯を入れ替えると、芙蓉さんは手際よくペーパーフィルターや豆をセットした。
「手慣れてるね。」
「母さんが教えてくれたの、これだけ。でもこれ淹れると、母さんも父さんも笑ってくれるから好き。」
お湯を垂らして、蒸らしていく。そしてお湯を少しずつ注ぐ。それはまるで葵さんが淹れているような感覚。
「いい豆。いい匂いがする。」
パンが焼ける音がした。あわてて私はトースターからパンを取り出す。
考えてみれば、彼女は百合さんから直接コーヒーの入れ方を教わっているのだ。うまいはずだよ。
そのとき部屋のチャイムが鳴った。その音で現実に押し戻される。
「はい。」
玄関のドアを開けると、そこには茅さんの姿があった。
「よう。」
「おはようございます。」
「芙蓉、起きた?」
「えぇ。」
「いい匂いがするな。コーヒー一杯貰っていい?」
「うん……。どうぞ。」
「どうした。なんか微妙な表情だな。」
「……芙蓉さんがコーヒーを淹れてるの。」
「飲めんの?それ。」
「……。」
玄関に入ってきて、ドアを後ろ手で閉めた。思わず私がくらい表情をしたのを見て、茅さんは私の顔を両手でパンとたたいた。
「しっかりしろよ。芙蓉のコーヒーは百合の直伝だからうまいかもしれないけど、お前のコーヒーもうまいんだから。」
「ありがとう。」
そして彼は部屋の中に入ってくる。
「もう起きてんのか。」
「あ、おはよー。茅叔父さん。」
「コーヒー一杯くれよ。」
「うん。いいよ。」
芙蓉さんはそういってカップにコーヒーを入れた。そして茅さんの手に渡す。
「匂いがいいな。これ、葵のところの豆?」
「うん。私が焙煎したヤツ。」
「へぇ。どんなもんかね。」
いすに座ると茅さんはそのコーヒーに口を付けた。
「うまい。」
「でしょ?あたし、これだけ母さんに誉められるの。」
ズキッと胸が痛んだ。
「ちょうどいいよ。豆もいい感じ。何日目?」
「三日目。」
焼けたパンや、スープを用意してコーヒーをその傍らに置いた。そして私もコーヒーに口を付けた。
「……美味しい。」
私が入れたものよりもやや濃いめにはいっているけれど、それの方が香りが高く、朝にはちょうどいいかもしれない。
「ご飯も美味しいよ。」
「そう?普通だと思うけど。」
「桜ー。俺にはねぇの?」
「食べるの?」
「今更コンビニで朝ご飯なんか食べられるかよ。早く。早く。」
子供かよ。そう思いながら、私は食べかけたパンを皿に置いて、キッチンへ向かう。そのとき玄関に通じるドアが開いた。
「にぎやかだな。朝から。」
「柊。」
柊の名前に、芙蓉さんは少し顔をこわばらせた。そしてソファーのところまで逃げていく。
「すっかり嫌われたな。柊。」
「茅。お前、またここにいるのか。そんなに入り浸るな。」
「用事があったんだよ。」
作業着姿の柊さんは、これから仕事に行くのだろう。
「コーヒー入ってるか?」
「うん……。」
確かにコーヒーは余っている。芙蓉さんが淹れてくれたものだ。でも何となくそれを拒否したいと思う。
「一杯貰おう。」
彼は戸棚からカップを一つ取り出すと、そのコーヒーを自分で注いだ。あーあ、自分で淹れちゃったか。
「ん?豆を変えたのか?」
「私が焙煎したの。」
「それにしては……。」
多分淹れた人が違うことはわかっているのかもしれない。彼はそれを持つと、私の隣に座った。
「うまい。」
胸が痛んだ。最初に私が淹れたコーヒーを飲んだときと同じ反応だったから。
「どっかで飲んだことがあるような味だ。」
「お前、煙草吸う割に舌が敏感だよな。」
ソファでコーヒーを飲んでいる芙蓉さんは、じっと柊さんを見ていた。まだ怖いのかもしれない。
「はい。どうぞ。」
茅さんの前に朝食を置くと、呆れたように柊さんが見ていた。
「お前飯まで食うのか?あの娘を世話して貰っている割に、図々しいな。」
「いいのよ。柊。どうせ余ってるんだから。」
「そーそー。いいの。」
茅さんはそういってパンにバターを塗った。
「お前なぁ……。」
「柊は食わねぇの?」
「朝は食べない。コーヒーだけで十分だ。」
「ジジイかよ。いてっ。」
どかっという音がした。多分柊さんが茅さんの足を蹴った音だろう。
「喧嘩しない。芙蓉さんも食べかけでしょ?食べてしまえば?」
ソファーでコーヒーを飲んでいる芙蓉さんは、口をとがらせてこちらを見ようともしなかった。よっぽど柊さんが嫌なのだろう。
「嫌われたな。」
「嫌われるようなことはしていないが。」
すると芙蓉さんはため息を付いた。
「あーあ。桜さん。茅叔父さんの恋人だったら良かったのに。そしたらもっと一緒にいれるのになぁ。」
その言葉に、三人で目を合わせる。
「そうするか?」
「冗談でしょ?」
茅さんの問いを無視するように、私はスープに口を付けた。
すると柊さんは立ち上がり、ソファーに座っている芙蓉さんの隣に座る。
「俺が怖いか?」
「人、殺した。母さんがいってた。柊は人殺しだって。」
事実だ。だけど彼はそれで動揺しなかった。
体を起こすと、肩は昨日よりも痛くないようだった。
「よし。」
起こさないようにそっと部屋を出ると、朝食の用意を始める。ジャガイモやベーコン、タマネギを切ってコンソメと塩こしょうで味を調えたスープ。卵をスクランブルエッグにして、冷凍したパンを焼いていると芙蓉さんが起きてきた。
「おはよう。起きちゃった?」
「おはよう。いい匂いがしたから。」
「朝ご飯。あなたも食べる?」
「うん。」
それを聞いてパンをもう一枚トースターの中に入れた。
「コーヒーがいいかしら。紅茶?」
「あ、あたしコーヒー淹れるのうまいよ。淹れさせて。」
「え?あ……うん。いいよ。」
お湯が沸いているポットにお湯を入れ替えると、芙蓉さんは手際よくペーパーフィルターや豆をセットした。
「手慣れてるね。」
「母さんが教えてくれたの、これだけ。でもこれ淹れると、母さんも父さんも笑ってくれるから好き。」
お湯を垂らして、蒸らしていく。そしてお湯を少しずつ注ぐ。それはまるで葵さんが淹れているような感覚。
「いい豆。いい匂いがする。」
パンが焼ける音がした。あわてて私はトースターからパンを取り出す。
考えてみれば、彼女は百合さんから直接コーヒーの入れ方を教わっているのだ。うまいはずだよ。
そのとき部屋のチャイムが鳴った。その音で現実に押し戻される。
「はい。」
玄関のドアを開けると、そこには茅さんの姿があった。
「よう。」
「おはようございます。」
「芙蓉、起きた?」
「えぇ。」
「いい匂いがするな。コーヒー一杯貰っていい?」
「うん……。どうぞ。」
「どうした。なんか微妙な表情だな。」
「……芙蓉さんがコーヒーを淹れてるの。」
「飲めんの?それ。」
「……。」
玄関に入ってきて、ドアを後ろ手で閉めた。思わず私がくらい表情をしたのを見て、茅さんは私の顔を両手でパンとたたいた。
「しっかりしろよ。芙蓉のコーヒーは百合の直伝だからうまいかもしれないけど、お前のコーヒーもうまいんだから。」
「ありがとう。」
そして彼は部屋の中に入ってくる。
「もう起きてんのか。」
「あ、おはよー。茅叔父さん。」
「コーヒー一杯くれよ。」
「うん。いいよ。」
芙蓉さんはそういってカップにコーヒーを入れた。そして茅さんの手に渡す。
「匂いがいいな。これ、葵のところの豆?」
「うん。私が焙煎したヤツ。」
「へぇ。どんなもんかね。」
いすに座ると茅さんはそのコーヒーに口を付けた。
「うまい。」
「でしょ?あたし、これだけ母さんに誉められるの。」
ズキッと胸が痛んだ。
「ちょうどいいよ。豆もいい感じ。何日目?」
「三日目。」
焼けたパンや、スープを用意してコーヒーをその傍らに置いた。そして私もコーヒーに口を付けた。
「……美味しい。」
私が入れたものよりもやや濃いめにはいっているけれど、それの方が香りが高く、朝にはちょうどいいかもしれない。
「ご飯も美味しいよ。」
「そう?普通だと思うけど。」
「桜ー。俺にはねぇの?」
「食べるの?」
「今更コンビニで朝ご飯なんか食べられるかよ。早く。早く。」
子供かよ。そう思いながら、私は食べかけたパンを皿に置いて、キッチンへ向かう。そのとき玄関に通じるドアが開いた。
「にぎやかだな。朝から。」
「柊。」
柊の名前に、芙蓉さんは少し顔をこわばらせた。そしてソファーのところまで逃げていく。
「すっかり嫌われたな。柊。」
「茅。お前、またここにいるのか。そんなに入り浸るな。」
「用事があったんだよ。」
作業着姿の柊さんは、これから仕事に行くのだろう。
「コーヒー入ってるか?」
「うん……。」
確かにコーヒーは余っている。芙蓉さんが淹れてくれたものだ。でも何となくそれを拒否したいと思う。
「一杯貰おう。」
彼は戸棚からカップを一つ取り出すと、そのコーヒーを自分で注いだ。あーあ、自分で淹れちゃったか。
「ん?豆を変えたのか?」
「私が焙煎したの。」
「それにしては……。」
多分淹れた人が違うことはわかっているのかもしれない。彼はそれを持つと、私の隣に座った。
「うまい。」
胸が痛んだ。最初に私が淹れたコーヒーを飲んだときと同じ反応だったから。
「どっかで飲んだことがあるような味だ。」
「お前、煙草吸う割に舌が敏感だよな。」
ソファでコーヒーを飲んでいる芙蓉さんは、じっと柊さんを見ていた。まだ怖いのかもしれない。
「はい。どうぞ。」
茅さんの前に朝食を置くと、呆れたように柊さんが見ていた。
「お前飯まで食うのか?あの娘を世話して貰っている割に、図々しいな。」
「いいのよ。柊。どうせ余ってるんだから。」
「そーそー。いいの。」
茅さんはそういってパンにバターを塗った。
「お前なぁ……。」
「柊は食わねぇの?」
「朝は食べない。コーヒーだけで十分だ。」
「ジジイかよ。いてっ。」
どかっという音がした。多分柊さんが茅さんの足を蹴った音だろう。
「喧嘩しない。芙蓉さんも食べかけでしょ?食べてしまえば?」
ソファーでコーヒーを飲んでいる芙蓉さんは、口をとがらせてこちらを見ようともしなかった。よっぽど柊さんが嫌なのだろう。
「嫌われたな。」
「嫌われるようなことはしていないが。」
すると芙蓉さんはため息を付いた。
「あーあ。桜さん。茅叔父さんの恋人だったら良かったのに。そしたらもっと一緒にいれるのになぁ。」
その言葉に、三人で目を合わせる。
「そうするか?」
「冗談でしょ?」
茅さんの問いを無視するように、私はスープに口を付けた。
すると柊さんは立ち上がり、ソファーに座っている芙蓉さんの隣に座る。
「俺が怖いか?」
「人、殺した。母さんがいってた。柊は人殺しだって。」
事実だ。だけど彼はそれで動揺しなかった。
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