夜の声

神崎

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二年目

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 結局葵さんは夕方頃警察から解放された。出てきた葵さんはいつもの笑顔とは違い、無表情に奥から歩いてくる。だが私たちを見ると、わずかに微笑んだ。
「犯罪者でもないのに暗い顔をするな。」
「そうよ。葵さん。もう終わったんでしょ?帰りましょ?」
 すると彼は少しうなづいた。そして視線を私の方へ向ける。
「桜さん。しばらく店はcloseです。」
「わかりました。」
「豆も押収されてしまいましたからね。」
 焙煎したてのコーヒー豆はあまり美味しくはない。少なくとも二、三日置いておかないといけないのだ。その期間、きっと休むということだろう。
 外にでるともうすでに暗くなり始めていた。吐く息が白くなる。小さなその車の助手席に葵さんが乗り、私は後部座席に乗り込んだ。その隣には柊さんがいる。相変わらず窮屈そうだ。
「豆はヒジカタコーヒーから仕入れているのよね。」
「えぇ。」
「でもヒジカタコーヒーって今ちょっと大変よね。家宅捜査が入ってたわ。」
「え?」
「知らないの?藤堂百合さんが弟に頼まれて、コーヒー豆の良さそうなものを輸出していた。その中に薬を紛らせていたんじゃないかって、言われているのよ。」
「弟……。」
「茅か。」
「でもあそこからも何もでてない。本当に運んで貰う人、それを受け取る人で構成されているだけだったみたいね。」
 やがて私の家の近くのコンビニの前に着いた。家までは遠慮したのだ。
「また夜に。」
「あぁ。」
 そういって蓮見さんは行ってしまった。
「……柊。桜さんに話したのですか。」
「あぁ。いずれ話さないといけないと思った。だから今日はいい機会だった。お前には散々だったかもしれないがな。」
「仕方ありませんね。」
 柊さんは煙草をくわえて火をつける。すると葵さんは、私をちらりと見る。
「桜さん。肩は大丈夫ですか。」
「筋を痛めました。完治には二、三日かかります。」
「ウチの店も、それくらいかかるので大丈夫です。それからちょっとお願いがあるのですが。」
「何ですか。」
「ちょっと柊を借ります。柊。悪いですが、バイクを出してもらえませんか。」
「どこへ行く?」
「ヒジカタコーヒーです。茅も、それから……紅葉も気になりますから。」
「紅葉?」
「支社長ですか。」
 確かに精神的に不安定な人だ。また手首を切ったりしなければいいけど。
「茅も確かに気になるところだな。桜。また連絡をする。」
「大丈夫。」
 思えば夕べからこんな時間までいたのは初めてかもしれない。それだけで満足だ。

 柊さんの家の前の駐輪場へ行き、バイクのヘルメットを葵さんに渡す。そして柊さんは葵さんを乗せて行ってしまった。排気音と煙をまき散らして。
 私はその場に立ち尽くし、そして携帯電話を取り出した。
 メッセージを送った。相手は「金髪の男」。
 携帯電話を閉じて、自分のアパートに向かう。すると駐車場に、赤い車が停まり、降りてきたのは茅さんだった。彼もまた疲れているようで、髪がぼさぼさだ。
「よう。」
「取り調べ?」
「あぁ。やっと証明できた。俺が百合としてたのはコーヒー豆のやりとりだけだって。」
 彼は伸びをすると、煙草をくわえた。
「だが、豆の輸入の方には関われなくなった。くそ。中途半端な豆を仕入れたら、また口を出してやろうか。」
 と言うことは茅さんはまだヒジカタコーヒーにいれることになったのだろう。会社も新事業に深く関わっている茅さんを切るに切れなかったのかもしれないが。
「これから芙蓉を迎えにいく。お前はどうする?」
「彼女はもう帰国するの?」
「まぁ気も変わったかもしれないな。あっちには血の繋がりのない父親もどきしかいなくなったわけだし。」
「こっちも似たようなものね。血の繋がりがあるのは藤堂先生だけだもの。」
「桔梗か……。」
「そういえば百合さんが捕まったとき、百合さんは一人だったの?」
「いいや。あいつは薬を自分でも売っていたらしい。大口の相手というわけだ。」
「大口の相手?」
「あぁ。もう捕まったからいいが、どうやら隣の国の奴らしい。そっからまた密輸をするつもりだったらしい。南米は純度の高いそれを生産してるから、高く売れるからな。」
「……。」
「お前、これからどうするんだ。」
「待つわ。肩も痛いし、ちょっと休むことにする。」
「一緒に来ないか。芙蓉が喜ぶと思う。」
「……良かったら芙蓉さんを連れて部屋に来て。」
「芙蓉抜きだと?」
「来ないで。」
「ふん。俺の方がいい男だってのに、一人しか見てねぇなんてもったいない女だ。」
 茅さんはそういって、自分の部屋に向かっていった。一度シャワーでも浴びるのだろうか。
 私も階段を上がる。
 家に帰ると、母さんが食事を作って待っていた。
「お帰り。ずいぶんかかったのね。病院。」
「ううん。ちょっとごたごたしてて。」
「葵のこと?」
 食事を作り終わったのか、彼女はエプロンをはずした。そしてテーブルの上の煙草を手にする。
「うん。事情聴取を受けてたんですって。」
「噂程度しか知らないけどさ。葵って、病院通ってるんでしょ?」
「……らしいね。薬の反応がでたから、長引いたっていってたけど。」
「あぁ見えて、あいつも不安定なのね。まぁむりして自分を押し殺す癖があるから、そういう事になっちゃったのかもしれないわ。あんたも気をつけなさいよ。」
「大丈夫よ。私が不安定なときは、支えてくれる人たちがいるわ。」
「その中にあたしもいる?」
「何言ってんの。母さんが一番聞いてくれるじゃない。」
 すると母さんは私の方を見て微笑んだ。
「あー。子供を産んで良かったわぁ。そんなに成長してくれるなんて。柊さんにも感謝しなきゃ。」
「柊さんだけじゃないよ。葵さんも、茅さんも……みんな心配してくれる。感謝してるわ。」
「成長したわねぇ。」
 煙草をくわえたまま、母さんは私の頭をぽんぽんと叩いた。それは柊さんがいつもしてくれるように。
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