夜の声

神崎

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二年目

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 フェンスの向こうに柊さん。そしてこちらには私。まるで私が罪人のようだ。
「よう。」
「どうしたの?仕事は?」
「休憩中。体育祭って聞いてたから、外にいるだろうと思った。」
 休憩なんて短い時間だ。そんな短い間でも会いたいと思ってくれる。優しい人だ。それだけに心がズキッと痛くなる。夕べの自分の行動に。
「今日、「窓」に行くのか?」
「今日は休みにしてもらった。疲れてると思ったから。」
「そうか。だったら、会えないか。」
 ドキリとした。きっと部屋に行けば、彼は私に触れようとしてくるだろう。夕べ茅さんに触れられた場所に、彼は触れてくるのだろうか。そう思うととても罪の意識が襲ってくる。
「えぇ。私も会いたいわ。」
 でもマニュアルのように私は言葉が出てくる。
「でも調子悪いのか?」
「どうして?」
「声が枯れてるな。風邪でもひいたか?」
「大丈夫。明日休みだし。ゆっくりするわ。」
「無理はさせたくない。」
「無理じゃないわ。あなたと会わない方が無理よ。ずいぶん二人でいれてないもの。」
 煙草を消して、彼は微笑んだ。
「十七時に家に来いよ。」
「わかった。」
「夜まではいれないけれど。」
「忙しいもんね。」
「あぁ。じゃあ、仕事戻る。」
「頑張ってね。」
 手を振ると、彼はヘルメットをかぶった。そしてバイクにまたがりエンジンをかけた。過ぎていくそのテールランプを見ながら、私は心の中で謝っていた。
 ごめんなさい。やっぱり私が好きなのはこの人なのだ。
「最後の競技は、学年対抗のリレーです。」
 アナウンスが始まり、私はグランドに足を進めた。

 学校が終わり、制服に着替えると私は家に帰ろうとしていた。
 さすがに疲れたかも。三日間だもんな。頭も使ったし、色んなこともしたし、そして……。
 アパートの前にたどり着き、階段を上ろうとして足を止めた。茅さんはまだ帰ってきているわけはない。ヒジカタコーヒーの就業時間は規定で十七時。こんな時間に帰ってきているわけ無いのだ。
 それに帰ってきているからと言って何なんだ。柊さんの約束を破っていくわけ無いじゃん。一度寝たからって、そんなに気にする事じゃない。
「ただいま。」
 家に帰ると、母さんが食事を作っていた。
「お帰り。あら?今日バイト無いの?」
「休んだ。今日体育祭だったし。」
「あぁ。そうだったの。で?今日行くの?」
 行くというのはきっと柊の所にということだろう。
「うん。」
「だったらこれを持って行きなさいよ。」
 そういってタッパーに作ったばかりの煮物を詰めた。
「ありがと。」
「あんたまだ声変ね。うがいちゃんとしなさいよ。」
「うん。シャワーも浴びていく。埃っぽくて。」
 そういって私は着替えを持って風呂場へ向かった。そしてぬるいシャワーを浴びる。
 夕べもお風呂に入っているのだから、そんなわけはない。だけど何となく匂いがとれてない感じがした。茅さんの煙草の匂い。男の匂い。
 そしてシャワーからあがると、母さんはもう仕事着に着替えていた。今日は和服らしい。
「珍しいね。着物。」
「うん。ちょっとね。それより、あんたなんか疲れてない?熱出たんじゃないの?」
「何で?」
「元気ないというか。大丈夫?」
「疲れちゃったのかな。」
「無理しないのよ。男はセックスしたがるけど、ちゃんと拒否したいときは拒否しないといけないのよ。」
「そうね……。でも母さんにもそんな日はあるの?」
「あるわよぉ。それで喧嘩になるときもあるもの。」
「ふーん。」
「喧嘩になんなかったのは桔梗くらいだったわねぇ。」
「へぇ。先生かぁ。」
「あの人、何でも許してくれるからさ。つい甘えちゃってさ。」
「……そう。」
 そういう人の方がいいのかもしれないな。でも先生はもうあまり母さんのことは気にしてないみたいだったけど。
「それから、あんた、何か勉強しないといけないんでしょ?それで無理もしてるのかもしれないけど程々にして、さっさと今日は寝なさい。」
「うーん。」
「うーん。じゃない。柊さんに言っておくわよ。」
 何かあったら柊さんにチクるんだもんな。仲がいいのは悪くないけど、その辺は困ったものだ。

 煮物を持って、柊さんの部屋に向かう。ドアの鍵を開けて中にはいると、音楽が聞こえた。それと煙草の匂い。彼の匂いだ。
「お邪魔します。」
 部屋のドアを開けると、柊さんは熱心にレコードのジャケットを見ていた。
「来たか。」
「新しいレコード?」
「うん。でもちょっと思ってたのと違うな。どうしたもんだか。」
 私は彼の隣に座ると、そのレコードをみる。でもわからない。どこの言葉なのかすらわからないぞ。このレコード。
「どこの国のレコード?」
「ヨーロッパのほう。だから英語ですらない。」
「わかるの?」
「全部じゃ無いがな。あぁ。何か茅が羨ましいな。」
 柊さんの口から茅さんの言葉がでるとドキリとする。
「どうして?」
 あくまで平静を装わないと。
「世界を渡ってこういうレコードを見てきたと言ってた。まぁ、レコードはついでだと言っていたが。」
「いつか行きたいの?」
「そうだな。そのときは一緒に行くか?」
「そうね。」
 肩を寄せて、やがて目が合う。そして彼はレコードをテーブルにおくと、私の唇にキスをしてきた。
「桜。ずっと会えていないと本当に寂しくなる。一人で十分だと思っていたのにな。」
「私もよ。寂しいと思うわ。だから……。」
 茅さんに転んだ訳じゃない。手を伸ばして、私は彼の体を抱きしめた。
「離さないでね。今は。」
「あぁ。」
 そういって彼は私の体を抱きしめた。そしてまたキスをしようとしたそのときだった。
「柊ー。」
 聞き覚えのある声だった。彼は苦笑いをして、立ち上がる。そして玄関へ向かった。
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