夜の声

神崎

文字の大きさ
上 下
222 / 355
二年目

221

しおりを挟む
 何度か葵さんから襲われたことがあって、そのたびに「忘れましょう」と無言の了解があった。だから「窓」のドアをくぐれば何事もなかったように、彼は微笑んで迎え入れた。
 今日もそうだと思った。だけど今日は事情が違ったようだった。
 バイトのためにドアをくぐると、葵さんの他に一人の男性がいた。葵さんよりも少し低めの身長。少し長めのくせっ毛のような髪は黒髪。今の若い人風にいえば「クール系のイケメン」といったところだろうか。
「いらっしゃいませ。」
 虚を突かれたように私は彼を見ていた。
「何名様ですか。」
「あ、いいえ。違います。あの……。」
 するとバックヤードのドアから葵さんが出てきた。彼は微笑んで、私を見る。
「桜さん。今日は早めですね。」
「土曜日ですから。」
 するとそのイケメンは、納得したようにうなづいた。
「あぁ。あなたが桜さん。高校生だけど、コーヒー入れるのすごくうまいって聞いてます。」
「どうも。」
 葵さんは私に彼を紹介した。
「斎藤茜です。よろしく。」
「はい。よろしくお願いします。」
 自然と手を差し出してきた。その手を握ると、柔らかな手をしていた。柊さんのようにごつごつしてはいなかったし、茅さんのように荒れてもいない。
「ずっとカフェを?」
「えぇ。高校生の頃から。」
「そうでしたか。」
 それだけいうと、私はカウンターの中に入っていく。きっと私がいなくなってもこの人がいればいいのだろう。
 そうすればいい。どっちにしても私はこの店から去っていくのだ。葵さんの技術を持って、他の町へ行く。二年間。飽きることなくコーヒーを淹れる方法は、きっともう離れることはないのだろうから。

「イケメンが増えてるー。」
「いやー。かっこいい。」
 んー。想像はしていたけれど、やっぱそうなったか。チョコレートのパウンドケーキと紅茶を飲みながら、女性客は茜さんをまるで芸能人を見るかのように見ていた。
「良かったですね。これで女性客がまた増えますよ。」
 私はそういうと、葵さんは苦笑いをして私にいう。
「あくまでコーヒーの味で勝負したいのですがね。」
「で、そのコーヒーの味はどうなんですか。」
「また一から教えないといけないようです。彼の技術はあなたより劣りますから。」
 そんなものなのかな。他の店でもカフェで勤めていたっていうのに。
「でもまぁ、接客は教えることはないですね。コーヒーの抽出の仕方は、あと何ヶ月か様子を見て教えますよ。」
 ん?何で?私が教わったときは大した時間をおかなかったけど。
「使えるようになるのに何ヶ月かかかるのに、そんなにのんびりしてていいんですか。」
「まだ私は彼を信用しきっているわけじゃないので。」
 技術は宝だ。それを盗むだけ盗んでいなくなることも多々ある。特に彼は他の店にも顔が利く。だけどそんなことをしても葵さんなら地の果てでも追いかけて報復すると思うけど。
「私もきっとそうされるんですかね。」
「いいえ。母の淹れ方を習うんでしょう?母はネルドリップが好きな人です。ペーパーとは全く違うので、あなたはきっと一から習うんでしょうね。」
「……だから関係ないと?」
「えぇ。安心して習ってきてください。あぁ、それから彼にも習うことはあるかもしれませんね。」
「何を?」
 様子を見ると、茜さんは笑顔で女性客から何かしらのメモをもらっている。きっと携帯の番号とかアドレスとか、IDとかを書いたものだろう。
「……あぁいうあしらいですよ。」
「興味ないから。」
「興味ないで済まされないかもしれませんね。」
 茜さんはこちらに近づいてきて、オーダーを書いた伝票を渡してきた。
「桜さん。ブレンドを淹れてください。」

 しばらくすると、「窓」に葵さんと茅さんがやってきた。二人揃うなんて珍しいな。
「いらっしゃいませ。」
「ん?新しい店員か?」
 茅さんがいち早く反応する。しかし柊さんは一瞥しただけだった。
「はい。茜といいます。」
「女みてぇな名前だな。ま、いいや。桜。ブレンドくれよ。」
「はい。」
 柊さんもきっとブレンドだろう。なんか目の下にクマを作っているようだ。疲れてるのかもしれない。
「あーあ。やっといろいろ終わる。」
 そういって彼は伸びをした。
「忙しそうでしたね。柊は。」
「あぁ。今日だからな。イベントが。それまでの準備が忙しかった。」
 あくびをして、目をこする。
「あの。Syuさんですか?」
 茜さんが柊さんに声をかける。きらきらした目だ。さっきのクール系が嘘のようだと思った。
「違う。」
「でもイベントって……。」
「クラブのDJイベント。その配線とか、そういうのを手伝ってんだ。残念だな。期待に添えなくて。」
「マジですか……。でも似てますね。」
「よく言われる。」
 さらりと嘘を付く。確かにそうかもしれない。だけど私に対して、彼は嘘を付かない。
「茜さんはそういうイベントが好きなんですか。」
 葵さんは聞きながら喫茶を盛りつけていた。
「えぇ。俺、趣味でバンドしてて。」
「バンドね。」
 DJなら情報交換で、話もあったかもしれないけれどバンドとなれば話は別だ。一気に興味が失せたように、彼は煙草に火をつけた。
「桜。明日の昼には家に行くから。」
「期待しないで待ってますから。」
 一度そういってドタキャンされた。それ以来私はあまり期待しないで彼を待つことにしたのだ。
「手厳しいな。桜。」
 茅さんはそういって、笑っていた。
「一度行けなかったから、根に持ってる。こいつは怒らせると面倒だ。」
「怒らせるようなことをするからいけないんでしょ?」
「こえー。柊がたじたじじゃん。」
 その様子を茜さんは不思議そうに見ていた。そして私たちを代わる代わる見て、やっと口を開いた。
「兄さんか何かですか?」
「いいや。恋人だ。」
 柊さんはあっさりそういうと、茜さんはさらに驚いたように私たちを見ていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...