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二年目
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手の力が抜けて、私を少し離した。それでも私は俯いている。茅さんと柊さんを重ねてしまうから。でも彼はその温かな手で、私の頬に流れる涙を拭ってくれた。
「桜。」
低めの声。たぶん茅さんはこんなことは慣れてる。わかってる。他の女と同じだってことくらい。心が弱っているところに私に近づいて優しい言葉を言えば、自分に転ぶだろう。きっと茅さんはそう思っているに違いない。
私はぐっと彼の体を押しのける。
「さっきは俺を求めていたくせに。」
「……甘えてしまうと、そのままずるずる行きそうだから。やめとく。」
「甘えていい。」
茅さんはまた私の体を抱きしめてきた。
「好きだから。お前がそんな感情が無くても、お前がこうして手を伸ばしてくれれば頼られれてると思える。」
「……茅さん。」
彼は体を少し離すと、私を見下ろす。そして私も彼を見上げた。目が合い、その目が近づいてくる。だけどその口元は震えていた。震えているのはお互い様だと思う。
軽く唇が触れた。ふわっと煙草の臭いがする。柊さんとは違う煙草の臭いだった。
「俺を見なくてもいい。頼りたいだけでもいい。」
もう私は彼を拒否できなかった。だけど涙は止まらない。そこに手を触れて、彼はまた唇を重ねてきた。
朝、携帯を見ると柊さんからメッセージが届いていた。私の体調を気遣う言葉がある。私は生理痛がキツい方だと思う。柊さんとセックスをし出してからは更にひどくなった気がするので、そういう言葉が出てくるのだろう。
だけど彼は一言も百合さんのことに触れていない。
彼が百合さんが帰国していることを知らないからかもしれない。だけど知っていたら、会いたいと思うのだろうか。
何度も夢を見たように、私を置いて彼女と行ってしまうのだろうか。
自分がどんな状態でも、普段の自分を出していかないといけない。友達とのくだらないおしゃべりと授業。円滑に物事を進める為には欠かせない。
だけどふっと思うこともある。
普段の自分ってなんだっけと。
「桜。今日すごいぼんやりしてるね。どうしたの?体調悪い?」
向日葵から聞かれて、私は首を傾げる。
「生理痛が辛くて。」
「いつもキツいって言ってたね。薬飲んでる?」
「同じのばっか飲んでたからかな。効いてんのかわかんない。もう三日目なのにまだ痛くって。」
「大丈夫よ。いつの間にか無くなってるって。それに今日、文化祭の準備でれないんでしょ?」
「うん。ごめんね。」
「大丈夫だよ。就職先の話するんでしょ?そういう人最近多いし。ほら匠君だって、今日就職試験に行ってんじゃん。」
匠はここよりも大きな町で就職するために、面接へ行っている。職人になりたいと言い出したとき、彼に出来るんだろうかと皆が思っていた。
だけど髪を黒く染めて、ピアスをとり、制服をきちんと着こなしていた彼は真面目に見える。まぁ今だけ真面目にしていてもすぐ見透かされると思うけど。
そのとき私の携帯電話が鳴った。相手は柊さんだった。
”昼休み、裏門で待ってる。”
仕事を抜けてくるんだろうか。そんなことしたことないのに、どうしたんだろう。
昼休みになり、私はハヤる気持ちを抑えながら裏門へやってきた。そこには灰色の作業着を着た柊さんが煙草をくわえて、そこにいる。
「柊。」
柊さんはその煙草を消して、私の方を見てわずかに微笑んだ。
「しばらく会えなかったな。」
「えぇ。どうしたの?」
「今日、どうしても伝えたいことがあってな。」
ドキリとした。百合さんに会ったというのかもしれないと思って。
「何かあった?」
鼓動が収まらない。別れようって言われるのかと思って。やだ。別れたくない。だけどきっと百合さんの方がいいって言うなら……。ううん。それでも……私は彼を忘れられないと思う。
「そんな不安そうな顔をするな。」
「そんな顔をしてた?」
「派遣を来年の春で切る。それから……。」
百合さんがいる国へ行くの?彼女がいるところの方がいいの?
「春から、あの町へ行く。正式に決まった。あの図書館の管理の仕事だ。」
「え?」
どきどきしていたその鼓動は、一瞬で止まる。
「お前が今日、ヒジカタコーヒーに正式に返事をするって言ってたなって思ってな。」
「あぁ。メッセージで……。」
「いつまでいれるかわからないが、お前もいつまでそこで勉強するかわからないだろう?そのあとは?」
「……瑠璃さんは、私がヒジカタコーヒーでコーヒーをいれるのを反対してた。」
「電話か何かで聞いたのか?」
あぁ。そうだった。茅さんと一緒に行ったってことは、知らないんだ。でも言わない方がいいのかもしれない。
「うん……。」
「それはそうだな。瑠璃さんにも聞いておかないといけないことだろう。でもあの会社にはいるのを反対されているなら、どうするんだ。」
「瑠璃さんは葵さんのところで働けばいいって言ってくれてる。」
「でもその場合は、あいつのものにならないといけないんだろう。からかっているだけか、本気なのかわからないが。」
「……自分で起業するなんてことも出来ないし、瑠璃さんの店でずっと働くこともたぶん出来ないと思う。だから……迷ってて。」
「でも、ヒジカタコーヒーにはもう返事をするんだろう。時間がない。」
「そうね。」
「桜。迷うな。どうしたらいいかじゃない。自分がどうしたいかだ。」
「自分が?」
「そう。何をしたいんだ。」
自分が何をしたいか。そんなの一つに決まってる。
「コーヒーを淹れたいの。美味しいって言ってほしいの。自分が美味しいって思ったものを信じて、共有したい。」
「……そのために、ヒジカタコーヒーを利用することも出来るんじゃないのか。」
「そうね。そういうこともあるかもしれない。でも許してもらえるかしら。」
「お前の条件は更に厳しいかもしれないな。」
「蓮さんが苦笑いをしていたわ。」
彼は私の頭をなでる。
「お前は流されやすいところもあるから、しっかり自分が何をしたいか伝えろ。その上でそれを飲んでくれるんだったら、さっさと決めろよ。」
「うん。そうね。」
頭から手を離し、彼はバイクに乗り込んだ。
「また忙しいの?」
「あぁ。だけど……そうだな。明後日くらいなら夜には時間がとれるかもしれない。」
「待ってる。」
「あぁ。連絡する。」
もろい約束だ。そして明後日。たぶんその日百合さんは帰って行く。だから明後日なのかもしれない。心の中にぽつんとあった闇は、どんどんと膨らんでいく。
「桜。」
低めの声。たぶん茅さんはこんなことは慣れてる。わかってる。他の女と同じだってことくらい。心が弱っているところに私に近づいて優しい言葉を言えば、自分に転ぶだろう。きっと茅さんはそう思っているに違いない。
私はぐっと彼の体を押しのける。
「さっきは俺を求めていたくせに。」
「……甘えてしまうと、そのままずるずる行きそうだから。やめとく。」
「甘えていい。」
茅さんはまた私の体を抱きしめてきた。
「好きだから。お前がそんな感情が無くても、お前がこうして手を伸ばしてくれれば頼られれてると思える。」
「……茅さん。」
彼は体を少し離すと、私を見下ろす。そして私も彼を見上げた。目が合い、その目が近づいてくる。だけどその口元は震えていた。震えているのはお互い様だと思う。
軽く唇が触れた。ふわっと煙草の臭いがする。柊さんとは違う煙草の臭いだった。
「俺を見なくてもいい。頼りたいだけでもいい。」
もう私は彼を拒否できなかった。だけど涙は止まらない。そこに手を触れて、彼はまた唇を重ねてきた。
朝、携帯を見ると柊さんからメッセージが届いていた。私の体調を気遣う言葉がある。私は生理痛がキツい方だと思う。柊さんとセックスをし出してからは更にひどくなった気がするので、そういう言葉が出てくるのだろう。
だけど彼は一言も百合さんのことに触れていない。
彼が百合さんが帰国していることを知らないからかもしれない。だけど知っていたら、会いたいと思うのだろうか。
何度も夢を見たように、私を置いて彼女と行ってしまうのだろうか。
自分がどんな状態でも、普段の自分を出していかないといけない。友達とのくだらないおしゃべりと授業。円滑に物事を進める為には欠かせない。
だけどふっと思うこともある。
普段の自分ってなんだっけと。
「桜。今日すごいぼんやりしてるね。どうしたの?体調悪い?」
向日葵から聞かれて、私は首を傾げる。
「生理痛が辛くて。」
「いつもキツいって言ってたね。薬飲んでる?」
「同じのばっか飲んでたからかな。効いてんのかわかんない。もう三日目なのにまだ痛くって。」
「大丈夫よ。いつの間にか無くなってるって。それに今日、文化祭の準備でれないんでしょ?」
「うん。ごめんね。」
「大丈夫だよ。就職先の話するんでしょ?そういう人最近多いし。ほら匠君だって、今日就職試験に行ってんじゃん。」
匠はここよりも大きな町で就職するために、面接へ行っている。職人になりたいと言い出したとき、彼に出来るんだろうかと皆が思っていた。
だけど髪を黒く染めて、ピアスをとり、制服をきちんと着こなしていた彼は真面目に見える。まぁ今だけ真面目にしていてもすぐ見透かされると思うけど。
そのとき私の携帯電話が鳴った。相手は柊さんだった。
”昼休み、裏門で待ってる。”
仕事を抜けてくるんだろうか。そんなことしたことないのに、どうしたんだろう。
昼休みになり、私はハヤる気持ちを抑えながら裏門へやってきた。そこには灰色の作業着を着た柊さんが煙草をくわえて、そこにいる。
「柊。」
柊さんはその煙草を消して、私の方を見てわずかに微笑んだ。
「しばらく会えなかったな。」
「えぇ。どうしたの?」
「今日、どうしても伝えたいことがあってな。」
ドキリとした。百合さんに会ったというのかもしれないと思って。
「何かあった?」
鼓動が収まらない。別れようって言われるのかと思って。やだ。別れたくない。だけどきっと百合さんの方がいいって言うなら……。ううん。それでも……私は彼を忘れられないと思う。
「そんな不安そうな顔をするな。」
「そんな顔をしてた?」
「派遣を来年の春で切る。それから……。」
百合さんがいる国へ行くの?彼女がいるところの方がいいの?
「春から、あの町へ行く。正式に決まった。あの図書館の管理の仕事だ。」
「え?」
どきどきしていたその鼓動は、一瞬で止まる。
「お前が今日、ヒジカタコーヒーに正式に返事をするって言ってたなって思ってな。」
「あぁ。メッセージで……。」
「いつまでいれるかわからないが、お前もいつまでそこで勉強するかわからないだろう?そのあとは?」
「……瑠璃さんは、私がヒジカタコーヒーでコーヒーをいれるのを反対してた。」
「電話か何かで聞いたのか?」
あぁ。そうだった。茅さんと一緒に行ったってことは、知らないんだ。でも言わない方がいいのかもしれない。
「うん……。」
「それはそうだな。瑠璃さんにも聞いておかないといけないことだろう。でもあの会社にはいるのを反対されているなら、どうするんだ。」
「瑠璃さんは葵さんのところで働けばいいって言ってくれてる。」
「でもその場合は、あいつのものにならないといけないんだろう。からかっているだけか、本気なのかわからないが。」
「……自分で起業するなんてことも出来ないし、瑠璃さんの店でずっと働くこともたぶん出来ないと思う。だから……迷ってて。」
「でも、ヒジカタコーヒーにはもう返事をするんだろう。時間がない。」
「そうね。」
「桜。迷うな。どうしたらいいかじゃない。自分がどうしたいかだ。」
「自分が?」
「そう。何をしたいんだ。」
自分が何をしたいか。そんなの一つに決まってる。
「コーヒーを淹れたいの。美味しいって言ってほしいの。自分が美味しいって思ったものを信じて、共有したい。」
「……そのために、ヒジカタコーヒーを利用することも出来るんじゃないのか。」
「そうね。そういうこともあるかもしれない。でも許してもらえるかしら。」
「お前の条件は更に厳しいかもしれないな。」
「蓮さんが苦笑いをしていたわ。」
彼は私の頭をなでる。
「お前は流されやすいところもあるから、しっかり自分が何をしたいか伝えろ。その上でそれを飲んでくれるんだったら、さっさと決めろよ。」
「うん。そうね。」
頭から手を離し、彼はバイクに乗り込んだ。
「また忙しいの?」
「あぁ。だけど……そうだな。明後日くらいなら夜には時間がとれるかもしれない。」
「待ってる。」
「あぁ。連絡する。」
もろい約束だ。そして明後日。たぶんその日百合さんは帰って行く。だから明後日なのかもしれない。心の中にぽつんとあった闇は、どんどんと膨らんでいく。
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