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二年目
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丘の上にあるガンセンター。そこは山の中にあるのにとても近代的に見える。森の中にあるその白い建物がなんだか奇妙だった。
「いきなり行って大丈夫でしょうか。」
「日曜日だし、治療してねぇだろ。まだ死にかけてるわけでもなさそうだし。」
「以前会ったときは、いつ死んでもおかしくないって言ってましたけど。」
「……まぁいい。とりあえず行ってみないとわからないだろう。」
私たちはそういってその建物の中に入っていった。
そこの中はいわゆる病院とはちょっと雰囲気が違うようだった。消毒の匂いなんかは確かにするけれど、待合室なんかもないし、診察室もない。エントランスがあって本やピアノ、作りかけのキルトなんかもある。
山の上で寒いのか、暖炉なんかもあってちょっとしたホテルのようにも見えた。
だけどやっぱり病院なのだとわかるのは、ナースセンター。白衣を着た医師や、看護師がせわしなく動いているのを見てやっぱり病院なんだと納得した。
「すいません。」
そのうちの一人に声をかけると、笑顔で看護師は私たちをみる。
「どうしました?」
「面会は大丈夫ですか。」
「えぇ。もう面会時間は始まってます。」
「相馬瑠璃さんの病室はどちらですか。」
「相馬さんは、廊下の突き当たり左側の二〇八です。」
「ありがとうございます。」
そういって私たちはその廊下を歩いていく。すれ違う人たちも見えたが、みんな一様に疲れを持っているようだった。
「ここは終末医療の病院なんだな。」
「終末医療?」
「あぁ。ターミナルケアとか言うらしいが、延命治療をしない病院のことだ。痛みをとって、穏やかに最後を迎える病院だという。まぁ、ガン治療をしている奴の、最後の場所ってトコか。」
「……瑠璃さんも?」
「……行こう。」
彼はそのとき私の肩に初めて触れた。足を止めている私の背中を押すように。
たぶんそんなに長い廊下じゃなかった。だけど永遠にも思えるような長い廊下を私たちはすすみ、やっとたどり着いたその部屋。
ドアをノックすると、女性の声がした。
「どうぞ。」
「失礼します。」
ドアを開けると、予想もしない姿で瑠璃さんはそこにいた。
「あ……どうしたんですか。」
瑠璃さんは病院の服でベッドに横になっていたけれど、右足に大きなギブスが巻かれていた。
「あら、桜さんと……茅さんね。久しぶり。元気だった?いつこの国に帰ってきたの?」
「正月に。というか……どうしたんですか。その足は。」
「あぁ。一週間前くらいだったかしら。つまづいてね、足を骨折したの。あまり骨ももう丈夫じゃないし。」
「大事にしてくださいよ。」
「えぇ。そうね。一応ガンのこともあるから、ここに入院してるんだけど、退院は一ヶ月くらいで出来るわ。リハがキツそうねぇ。そんなに体力無いんだけど。」
悪化したのかと思っていた私は、ほっとして彼女を少し笑顔でみた。
「どうしたの?今日は二人揃って。」
いすを用意して、私たちはベッドサイドに腰掛けると彼女に資料を見せる。彼女は眼鏡をかけて、それをじっくり読んでいった。
「……なるほどね。ヒジカタコーヒーはうちを買収したいっていうこと。」
「買収はしませんよ。ただ、このままでもあなたの技術はあなたで終わる。もったいないと思っただけです。」
「まぁ。あなたたちの言うこともわかるわ。でも私個人的に言うなら、カフェ事業に私のコーヒーを入れることは反対するわ。」
「どうしてですか。」
彼女は眼鏡を外し、茅さんに言う。
「私がどうしてこんな田舎に店を構えたと思っているの?」
「それは……。」
「縁もゆかりもないの。こんな土地に。一から始めたの。」
「空気ですか?」
私がそういうと、彼女は少し微笑んだ。
「そうね。ガンが大きくも小さくもならない、今の状態がキープできるのは、この土地の空気や人間性もあるわ。だけどもっと重要なこと。」
「何ですか。それは。」
「のんびりコーヒーを入れて、美味しいと言ってもらえること。だから私は宣伝もしないし、たまたま来てもらったお客様にコーヒーを入れることが幸せだったのよ。」
「それは町でも出来るでしょう?」
「そうはいかないわ。葵ならわかると思うの。葵は、その町にあったコーヒーの淹れ方をしているのだろうけれど、どうしても宣伝して多くお客様が集まれば、コーヒーを急いで淹れようとして雑味のあるコーヒーになる。そんなコーヒーは淹れたくないわ。」
茅さんの奥歯がぎりっと鳴る音がした。
「かといって、桜さんが私のコーヒーの技術を持ったからといって、すぐに店を構えられるわけじゃないでしょう?」
「えぇ。」
「あなたのことを考えれば、ヒジカタコーヒーに籍を置くのは現実的だわ。でもはっきり言わせてもらえば、あなたはヒジカタコーヒーでカフェを出来るような人じゃない。」
「なぜそう思いますか。」
我慢できなかったのは茅さんだった。茅さんは彼女に食ってかかる。
「流行の流れにいっさいのっていないからよ。たぶん、彼女は変わらない美味しいものを求めるのでしょうね。でもヒジカタコーヒーは時代の流れに乗っていかないと生きていけない会社だもの。そういった意味で彼女をその会社に入れるというのは、あなたの会社の意向と違う。それでも彼女を手に入れようと思うの?」
「……。」
「それはあなたの感情からではないの?」
「……それもある。だが……俺は……桜のコーヒーを会社に入れれたら、どれだけの人が幸せになれるだろうと思ってたんです。」
「あらあら。桜さんのコーヒーをそんなに買っているのね。」
「茅さん。私、そんな人じゃない……。」
「卑下するな。俺まで空しくなるから。」
すると彼は顔を赤らめて、頭をかいた。
「個人的には確かに桜さんが焙煎を覚えたら、どれだけいいバリスタになれるかと言うのは気になるけど……。まぁ高校を卒業してからと思っていたからねぇ。それからどうするかは、桜さん次第だと思うわ。でもヒジカタコーヒーに行くのは私は反対。」
「じゃあ、あなたはどうすればいいと思いますか。」
「そうね……葵のところにいればいいのにって思う。」
「葵さんのところですか?」
「えぇ。葵となら切磋琢磨できそうね。」
彼女はそういってベッドサイドの引き出しから、紙袋を取り出した。
「看護師さんに許可をいただくわ。そこのエントランスで、コーヒーを淹れて。道具は聞けば貸してくれるから。」
「あ。はい。」
すると瑠璃さんは器用に車いすに乗り込むと、私たちの力を借りずに部屋を出ていった。
「いきなり行って大丈夫でしょうか。」
「日曜日だし、治療してねぇだろ。まだ死にかけてるわけでもなさそうだし。」
「以前会ったときは、いつ死んでもおかしくないって言ってましたけど。」
「……まぁいい。とりあえず行ってみないとわからないだろう。」
私たちはそういってその建物の中に入っていった。
そこの中はいわゆる病院とはちょっと雰囲気が違うようだった。消毒の匂いなんかは確かにするけれど、待合室なんかもないし、診察室もない。エントランスがあって本やピアノ、作りかけのキルトなんかもある。
山の上で寒いのか、暖炉なんかもあってちょっとしたホテルのようにも見えた。
だけどやっぱり病院なのだとわかるのは、ナースセンター。白衣を着た医師や、看護師がせわしなく動いているのを見てやっぱり病院なんだと納得した。
「すいません。」
そのうちの一人に声をかけると、笑顔で看護師は私たちをみる。
「どうしました?」
「面会は大丈夫ですか。」
「えぇ。もう面会時間は始まってます。」
「相馬瑠璃さんの病室はどちらですか。」
「相馬さんは、廊下の突き当たり左側の二〇八です。」
「ありがとうございます。」
そういって私たちはその廊下を歩いていく。すれ違う人たちも見えたが、みんな一様に疲れを持っているようだった。
「ここは終末医療の病院なんだな。」
「終末医療?」
「あぁ。ターミナルケアとか言うらしいが、延命治療をしない病院のことだ。痛みをとって、穏やかに最後を迎える病院だという。まぁ、ガン治療をしている奴の、最後の場所ってトコか。」
「……瑠璃さんも?」
「……行こう。」
彼はそのとき私の肩に初めて触れた。足を止めている私の背中を押すように。
たぶんそんなに長い廊下じゃなかった。だけど永遠にも思えるような長い廊下を私たちはすすみ、やっとたどり着いたその部屋。
ドアをノックすると、女性の声がした。
「どうぞ。」
「失礼します。」
ドアを開けると、予想もしない姿で瑠璃さんはそこにいた。
「あ……どうしたんですか。」
瑠璃さんは病院の服でベッドに横になっていたけれど、右足に大きなギブスが巻かれていた。
「あら、桜さんと……茅さんね。久しぶり。元気だった?いつこの国に帰ってきたの?」
「正月に。というか……どうしたんですか。その足は。」
「あぁ。一週間前くらいだったかしら。つまづいてね、足を骨折したの。あまり骨ももう丈夫じゃないし。」
「大事にしてくださいよ。」
「えぇ。そうね。一応ガンのこともあるから、ここに入院してるんだけど、退院は一ヶ月くらいで出来るわ。リハがキツそうねぇ。そんなに体力無いんだけど。」
悪化したのかと思っていた私は、ほっとして彼女を少し笑顔でみた。
「どうしたの?今日は二人揃って。」
いすを用意して、私たちはベッドサイドに腰掛けると彼女に資料を見せる。彼女は眼鏡をかけて、それをじっくり読んでいった。
「……なるほどね。ヒジカタコーヒーはうちを買収したいっていうこと。」
「買収はしませんよ。ただ、このままでもあなたの技術はあなたで終わる。もったいないと思っただけです。」
「まぁ。あなたたちの言うこともわかるわ。でも私個人的に言うなら、カフェ事業に私のコーヒーを入れることは反対するわ。」
「どうしてですか。」
彼女は眼鏡を外し、茅さんに言う。
「私がどうしてこんな田舎に店を構えたと思っているの?」
「それは……。」
「縁もゆかりもないの。こんな土地に。一から始めたの。」
「空気ですか?」
私がそういうと、彼女は少し微笑んだ。
「そうね。ガンが大きくも小さくもならない、今の状態がキープできるのは、この土地の空気や人間性もあるわ。だけどもっと重要なこと。」
「何ですか。それは。」
「のんびりコーヒーを入れて、美味しいと言ってもらえること。だから私は宣伝もしないし、たまたま来てもらったお客様にコーヒーを入れることが幸せだったのよ。」
「それは町でも出来るでしょう?」
「そうはいかないわ。葵ならわかると思うの。葵は、その町にあったコーヒーの淹れ方をしているのだろうけれど、どうしても宣伝して多くお客様が集まれば、コーヒーを急いで淹れようとして雑味のあるコーヒーになる。そんなコーヒーは淹れたくないわ。」
茅さんの奥歯がぎりっと鳴る音がした。
「かといって、桜さんが私のコーヒーの技術を持ったからといって、すぐに店を構えられるわけじゃないでしょう?」
「えぇ。」
「あなたのことを考えれば、ヒジカタコーヒーに籍を置くのは現実的だわ。でもはっきり言わせてもらえば、あなたはヒジカタコーヒーでカフェを出来るような人じゃない。」
「なぜそう思いますか。」
我慢できなかったのは茅さんだった。茅さんは彼女に食ってかかる。
「流行の流れにいっさいのっていないからよ。たぶん、彼女は変わらない美味しいものを求めるのでしょうね。でもヒジカタコーヒーは時代の流れに乗っていかないと生きていけない会社だもの。そういった意味で彼女をその会社に入れるというのは、あなたの会社の意向と違う。それでも彼女を手に入れようと思うの?」
「……。」
「それはあなたの感情からではないの?」
「……それもある。だが……俺は……桜のコーヒーを会社に入れれたら、どれだけの人が幸せになれるだろうと思ってたんです。」
「あらあら。桜さんのコーヒーをそんなに買っているのね。」
「茅さん。私、そんな人じゃない……。」
「卑下するな。俺まで空しくなるから。」
すると彼は顔を赤らめて、頭をかいた。
「個人的には確かに桜さんが焙煎を覚えたら、どれだけいいバリスタになれるかと言うのは気になるけど……。まぁ高校を卒業してからと思っていたからねぇ。それからどうするかは、桜さん次第だと思うわ。でもヒジカタコーヒーに行くのは私は反対。」
「じゃあ、あなたはどうすればいいと思いますか。」
「そうね……葵のところにいればいいのにって思う。」
「葵さんのところですか?」
「えぇ。葵となら切磋琢磨できそうね。」
彼女はそういってベッドサイドの引き出しから、紙袋を取り出した。
「看護師さんに許可をいただくわ。そこのエントランスで、コーヒーを淹れて。道具は聞けば貸してくれるから。」
「あ。はい。」
すると瑠璃さんは器用に車いすに乗り込むと、私たちの力を借りずに部屋を出ていった。
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