夜の声

神崎

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二年目

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 授業に戻る気になれず、私はぼんやりと校舎裏にやってきた。日の当たらないここは、煙草を吸う生徒なんかのたまり場になっている。まぁ最近は生徒じゃなくて、先生が多いけど。
 ここから見えるのは金網フェンスと、宗教のポスターくらいしか見えないもんな。
 でもここは竹彦と私が猫を隠していたところだった。そして柊さんに初めて抱きしめられたところだ。あの温もりはいつでも変わらない。
 砂利を踏みつける音がして、そちらを見る。するとそこには藤堂先生がいた。手には煙草が握られている。
「……あなたも喫煙者とは意外だったな。」
「非喫煙者です。」
「ではなぜこんなところにいる?そんな人しか用事がないだろう。」
「考え事を。」
「一人で考えても答えがでないことは、永遠に出ない。私はそう思うがね。」
 かちっという音がしたあと、煙のにおいがする。その煙草のにおいは柊さんのモノと同じモノだった。
「……全てが誰かの敷いたレールの上を歩かされている。そんな気がするんですよ。」
 すると彼は薄く笑った。
「なんですか?」
「うらやましい人だ。君は苦労知らずといったところだろうか。」
「……否定はしません。」
「私もそうだったからな。教師になりたいと、姉が苦労したのは知っている。姉の人生を狂わせた男がいるが、結果的には私は教師になった。姉の力でな。」
「……。」
「それでもレールを敷かれていると思うか。」
「……教師になるためにあなた自身も努力したのでしょう?」
「そうだ。あなたはまだその努力をしていない。どの道を選択しても、あなたの努力は今からだ。」
 まるで椿さんにも言われているようだった。たぶん、私は柊さんに出会ってなければ、こういう人を好きになるのかもしれない。
「選択肢があるのは幸せなことかもしれませんね。」
「あぁ。とりあえずしなければいけないことは目の前にあるのではないのか。」
「はい。」
「自分でわかるのであれば、それに向かえばいい。」
 しゃがみ込んでいた私はすっと立ち上がり、彼を見上げた。
「そうですね。」
「ところで桜さん。」
「はい。」
「私はまだ「窓」へ行けていないのだが、明日は開いているのだろうか。」
「開店していますよ。」
「では明日行くことにしよう。懐かしい場所だ。昔あそこに住んでいたこともあってね。兄弟五人で住むのは、窮屈だったのを覚えている。今は相馬葵さんが住んでいるのだろう。」
「はい。」
「あそこで昔、私は刺されたことがあってね。」
「え?」
「太股あたりだったか。まだ傷は残っている。あの男は私の姉に横恋慕していたらしい。姉の旦那と私を間違えたのだよ。」
 それは百合さんと柊さんのことだろう。その現場が、「窓」というわけなのか。
「そんなに体が大きかったのですか。」
「あぁ……。」
 彼は煙草を消し、私を見下ろした。
「その話を君は知っているのか。」
「えぇ。聞いたことがあります。相手があなただとは知りませんでしたが。」
「桜さん。もしかして、その刺した相手を知っているのか。」
「……えぇ。」
 彼は煙草を消し、私に詰め寄る。しかし私は逃げない。彼の前にたち、彼を見上げる。
「知りたいですか。」
「……。」
「知ってどうするんですか。恨みを晴らすんですか。」
「そんなことはどうでもいい。」
「あなたも口だけですね。本当は恨んでいる。本来なら、幸せな生活を送れたかもしれない。こんなに苦労をしなくても教師になれたかもしれない。そう思っているのではないですか。」
「お前……。」
「「もしかして」はない。現実だけです。もう彼のことは忘れてください。」
 私はそういって、その場を去ろうとした。三時間目が終わろうとしている。
「……あなたにはわからないだろうな。兄弟がバラバラになって、手も着けられないような状態だったことなど。」
「わかりませんよ。私には兄弟はいませんから。しかしあなたにもわからないでしょう?母の喘ぎ声を聞きながら眠った日々が続いたことなんか。」
「……。」
「私たちもそうしないと生きていけなかったんですよ。」
 私の父親は誰なのかわからない。母さんならわかるかもしれないけれど、もう今更探そうとも思わない。母さんが苦労して育てた娘。私は私生児なのだから。
「お互いに苦労をしているのかもしれないが、私は君ではない。君の苦労はわからないだろう。」
「私も母ではありませんので、母の苦労はわかりません。だけど母が私の幸せを願うように、私も母の幸せを願っているんです。だから私が独立をして、母に好きな人と結婚して欲しい。初婚なんですよ。」
「だから就職か。だとしたら、君が進む道はきっと安定した企業につくことなのではないのか。」
 そうなのかもしれない。だから勉強したいと瑠璃さんのところへ行くのは、矛盾しているような気がする。それが一番引っかかっていることだった。
「一週間。猶予をもらいました。その間に話します。母とも、それから……恋人とも。」
 視線をそらせた。柊さんに似ているから。
「君の恋人に会ってみたいものだ。君に愛されて幸せなのだろう。」
「私も幸せですから。」
「だがそのおかげで茅は君の影ばかり追っている。」
「茅さんに転んだ方がいいと思います?」
「兄としてはね。どんな形でも兄弟には幸せになって欲しいものだ。茅も菖蒲姉さんもそう思っている。」
「他の人の方が幸せになれますよ。」
「そんなものか。」
「えぇ。」
 空は高く、秋の空をすでに青く染めていた。だけど一つ、雲が浮かんでいる。その雲は、雨を呼ぶのかもしれない。
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