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二年目
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柊さんは私をアパートの部屋に送ってくれた。でも中にまでは入らない。
「これから打ち上げでな。」
「そうだろうと思った。」
玄関先で、私たちは口づけをした。軽く済ませるつもりだったのだろうに、私はその口内に舌を差し込んだ。
「ん?」
首に手を回して、私は彼を求めた。せめて忘れさせて欲しいと願いながら。
「桜。」
唇を離して、彼は私の体を抱きしめた。
「欲しくなる。」
「欲しくなって。」
「今から行かないといけないんだが。欲しくなっては行けないだろう?」
「……そうね。ごめんなさい。我が儘言って。」
「いいや。嬉しかった。」
彼はそう言って、私の体を離した。
「遅くなってもいいんだったら、今日来る。」
「待ってる。」
「それから、日曜日のことも話したい。」
「そうね。明日は日曜日だもの。ゆっくりしましょう。」
「あぁ。」
彼はそう言って出て行った。
私は玄関に背を向けて、ベランダから外を見た。黒いシャツの男が長い髪を解いて行ってしまった。もう柊ではなくSyuになるのだ。
私は手にしているテンガロンハットを自分の部屋に持って行き、棚の目立つところにおく。いつでも私が彼のものだとわかるように。
風呂から上がると、携帯電話を見る。着信とメッセージが一件入っていた。その相手は葵さんだった。都合がいいときに連絡をくださいとメッセージが添えられている。
私はその番号に電話をした。すると何コールかで、葵さんは出た。
「もしもし。」
「あぁ。忙しかったですか。」
「いいえ。大丈夫です。」
「どうかしましたか。」
「……今日、蓬さんと会ったんですが。」
「柊をまた椿に戻そうと?」
「いいえ。そういったことではないんです。実は私のことを。」
「まだ奥事をする話が生きてるんですか。」
うーん。どうやら葵さん酔っぱらってるな。珍しいことだ。
「ではなくてですね。私がヒジカタコーヒーへ行くことについてです。」
「あぁ。カフェ事業の話ですか。いい話ですね。」
「……私そんなコネみたいなことをしたくないですけど。」
「コネなんかではありませんよ。あなたはバリスタライセンスを持っていなくても、その辺のバリスタよりも美味しいコーヒーを入れることはできますよ。自信を持ってください。」
「……葵さんは、私が行っても構わないと?」
すると葵さんは少し黙り、ごそごそという音がした。
「桜さん。ちょっと表に出てきませんか。」
「表?」
「えぇ。玄関先です。」
まさかいるってことは……。
玄関ドアを開ける。するとそこには葵さんがいた。
「桜さん。」
「あの……どうして?」
「「blue rose」の人たちと打ち上げをして、そのまま帰ってきていました。」
「……そうでしたか。」
すると彼はにっこりとほほえみ、私の左手に手を添えた。
「嬉しいですよ。」
「は?」
「あなたがうちの店に居たがっているということが。いずれは離れるかもしれませんが、それでもあなたが居たがっているというのは嬉しいことです。」
「……あの……。」
「もちろん、あなたが私のプロポーズを受けてもらえれば、ずっとそばに居ていただけますが。」
「受けれませんから。」
「惜しいことです。この間返してもらった指輪があれば良かったのに。」
「いいえ。あの……そういう意味ではないんです。」
「でしたら、どういう意味ですか。」
「私がヒジカタコーヒーへ行って、コーヒーを入れるというのは葵さんの技術を盗むということだと思うんです。だから……何となく裏切りに近い気がして……。」
すると彼は手を離して、私を見下ろす。
「桜さん。そんなことを考えなくてもいいんです。コーヒーの入れ方は、たぶんどこの店もそんなに変わらない。あなたが入れている方法は、きっとコーヒーを入れるマニュアルというのがあるのだったら、その通りのことをしているだけですから。」
「それだけで?」
「えぇ。多少はアレンジを加えてますけどね。でも私はあなたに肝心なことは教えていませんよ。」
「……焙煎ですね。」
「えぇ。それだけは教えていません。きっとあなたは私の真似はできませんから。」
そう。私は日曜日の学校が休みの時も、「窓」へは夕方からしか行っていない。葵さんは朝早くからコーヒー豆の焙煎をするから。そのやり方を教えてもらうことはなかった。
「もしあなたが私の元へ来るのであれば、焙煎までみっちり教えますよ。手取り、足取りね。」
その言い方がぞっとして、私は手を離した。
「いいえ。」
私は手を離し、彼を見る。
「止めておきます。」
「そうですか。残念ですね。今日は柊は?」
「打ち上げに出て、こっちに来るそうです。」
「そうでしたね。彼も忙しい人だ。でもたぶん、今日は柊は来ませんよ。」
「え?」
「今日、彼は刺激的な一日を過ごすことになるのでしょうから。」
その言い方に私は少し違和感を感じた。
「これから打ち上げでな。」
「そうだろうと思った。」
玄関先で、私たちは口づけをした。軽く済ませるつもりだったのだろうに、私はその口内に舌を差し込んだ。
「ん?」
首に手を回して、私は彼を求めた。せめて忘れさせて欲しいと願いながら。
「桜。」
唇を離して、彼は私の体を抱きしめた。
「欲しくなる。」
「欲しくなって。」
「今から行かないといけないんだが。欲しくなっては行けないだろう?」
「……そうね。ごめんなさい。我が儘言って。」
「いいや。嬉しかった。」
彼はそう言って、私の体を離した。
「遅くなってもいいんだったら、今日来る。」
「待ってる。」
「それから、日曜日のことも話したい。」
「そうね。明日は日曜日だもの。ゆっくりしましょう。」
「あぁ。」
彼はそう言って出て行った。
私は玄関に背を向けて、ベランダから外を見た。黒いシャツの男が長い髪を解いて行ってしまった。もう柊ではなくSyuになるのだ。
私は手にしているテンガロンハットを自分の部屋に持って行き、棚の目立つところにおく。いつでも私が彼のものだとわかるように。
風呂から上がると、携帯電話を見る。着信とメッセージが一件入っていた。その相手は葵さんだった。都合がいいときに連絡をくださいとメッセージが添えられている。
私はその番号に電話をした。すると何コールかで、葵さんは出た。
「もしもし。」
「あぁ。忙しかったですか。」
「いいえ。大丈夫です。」
「どうかしましたか。」
「……今日、蓬さんと会ったんですが。」
「柊をまた椿に戻そうと?」
「いいえ。そういったことではないんです。実は私のことを。」
「まだ奥事をする話が生きてるんですか。」
うーん。どうやら葵さん酔っぱらってるな。珍しいことだ。
「ではなくてですね。私がヒジカタコーヒーへ行くことについてです。」
「あぁ。カフェ事業の話ですか。いい話ですね。」
「……私そんなコネみたいなことをしたくないですけど。」
「コネなんかではありませんよ。あなたはバリスタライセンスを持っていなくても、その辺のバリスタよりも美味しいコーヒーを入れることはできますよ。自信を持ってください。」
「……葵さんは、私が行っても構わないと?」
すると葵さんは少し黙り、ごそごそという音がした。
「桜さん。ちょっと表に出てきませんか。」
「表?」
「えぇ。玄関先です。」
まさかいるってことは……。
玄関ドアを開ける。するとそこには葵さんがいた。
「桜さん。」
「あの……どうして?」
「「blue rose」の人たちと打ち上げをして、そのまま帰ってきていました。」
「……そうでしたか。」
すると彼はにっこりとほほえみ、私の左手に手を添えた。
「嬉しいですよ。」
「は?」
「あなたがうちの店に居たがっているということが。いずれは離れるかもしれませんが、それでもあなたが居たがっているというのは嬉しいことです。」
「……あの……。」
「もちろん、あなたが私のプロポーズを受けてもらえれば、ずっとそばに居ていただけますが。」
「受けれませんから。」
「惜しいことです。この間返してもらった指輪があれば良かったのに。」
「いいえ。あの……そういう意味ではないんです。」
「でしたら、どういう意味ですか。」
「私がヒジカタコーヒーへ行って、コーヒーを入れるというのは葵さんの技術を盗むということだと思うんです。だから……何となく裏切りに近い気がして……。」
すると彼は手を離して、私を見下ろす。
「桜さん。そんなことを考えなくてもいいんです。コーヒーの入れ方は、たぶんどこの店もそんなに変わらない。あなたが入れている方法は、きっとコーヒーを入れるマニュアルというのがあるのだったら、その通りのことをしているだけですから。」
「それだけで?」
「えぇ。多少はアレンジを加えてますけどね。でも私はあなたに肝心なことは教えていませんよ。」
「……焙煎ですね。」
「えぇ。それだけは教えていません。きっとあなたは私の真似はできませんから。」
そう。私は日曜日の学校が休みの時も、「窓」へは夕方からしか行っていない。葵さんは朝早くからコーヒー豆の焙煎をするから。そのやり方を教えてもらうことはなかった。
「もしあなたが私の元へ来るのであれば、焙煎までみっちり教えますよ。手取り、足取りね。」
その言い方がぞっとして、私は手を離した。
「いいえ。」
私は手を離し、彼を見る。
「止めておきます。」
「そうですか。残念ですね。今日は柊は?」
「打ち上げに出て、こっちに来るそうです。」
「そうでしたね。彼も忙しい人だ。でもたぶん、今日は柊は来ませんよ。」
「え?」
「今日、彼は刺激的な一日を過ごすことになるのでしょうから。」
その言い方に私は少し違和感を感じた。
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