夜の声

神崎

文字の大きさ
176 / 355
二年目

175

しおりを挟む
 やがてバンドが出てきて、柊さんの音に合わせていく。それもまたミックスの腕なのだろう。まるでその中のバンドの一員なのではないかと思うような融合。
 でも多分バンドの人たちはプロだ。うまく柊さんに合わせているのかもしれない。一曲分、たっぷりと音楽を作り、そしてステージ脇からリリーが登場すると、客席のボルテージは最高潮に達した。
 リリーもそうだけど、バンドも、そして柊さんも本当に別世界の人のように見えた。
 そして一曲終わると、リリーは柊さんの方へ近づいて、彼を促した。柊さんはサングラスのせいか表情が見えない。と言うか、まぁ元からあまり表情が変わらない人だったけど。
 リリーは柊さんがDJブースから降りるとき、彼をまたハグをした。そのせいで周りの女性たちが「きゃあ!」と声を上げる。男性もだけど、女性ファンも多いんだな。多分。

 リリーはステージを駆けめぐりながら、歌を歌っている。本当に歌が好きな人なんだな。そう思えて、うらやましい。
 私は一言だけ柊さんに声をかけようとして、またバックヤードをのぞき込んだ。すると柊さんはそこにいたけれど、ほかのDJの人たちと何か話している。多分、話題は彼が持っていたレコードのことだろう。
「すげぇ。これ絶対、この国じゃ手に入らないと思ってた。」
「俺もつてを使った。」
 あのレコード。たぶん茅さんがお土産とか何とかいって持ってきたものじゃなかったっけか。そんなに貴重品だったなんて。
「どこの国ですか。」
「南米だって言ってたか。ワゴンセールにあったらしい。」
「まじで?知らないって恐ろしいよなぁ。」
 笑いあう話題に、私はその中に付け入る隙を見つけられなかった。挨拶は諦めた方がいいかもしれない。そう思って私はテントを離れようとした。
 すると声をかける人がいる。
「桜さん。」
 声をかけてくれたのは菊音さんだった。いつもいつも、この人はよく私を見つけてくれる人だな。
「呼ぼうか?」
「いいです。楽しそうだし。邪魔してはいけませんから。」
「邪魔なんて思わないよ。」
 にっこりと笑ったけれど、私は首を横に振った。
「いいんです。菊音さん。連絡を取ろうと思えばとれますからね。」
 そう言って私は、テントを後にした。
 リリーが歌い出したのを見計らって、人がステージにさらに押し寄せてくる。私はそれを逆行するように歩いていった。

 振り返れば、リリーを目当てに人が集まっているステージがある。そしてもう屋台は閑散としていて、もう片づけに入っているところもあった。その中には「虹」もあり、「blue rose」もあるのだろう。
 去年は私もこの中にいた。ノンアルコールのカクテルを作り、客に渡していた。
「ありがとう。」
 そう言って客は笑っていた。
 今の私にそれができるのだろうか。ありがとうって言ってもらえるんだろうか。わからない。
 今の私は裏切り者だ。
 葵さんを裏切って、他の店で働くかもしれない卑怯な自分がいる。技術を盗み、他の店に売る。そんなことをするかもしれないのだ。
 その話を受けていないにしても、そうなることは目に見えている。もう他の企業を受けるという時間もないし、選択肢もない。夏休みはもうすぐ終わるのだ。二学期になったら、早々に就職活動をする。
 屋台の通りからでて、もう行こうとした私は目に留まった人がいた。それは連さんと支店長だった。連さんは大きな段ボールを持っている。何かの帰りなのだろうか。
「今晩は。」
 声をかけると支店長は私を見て笑った。
「あぁ、彼女に声をかければ良かったかもしれないわね。」
「今更なんですか。」
 ん?なんか喧嘩してる?わからないけれど、何か言い合いをしていたようだった。
「何かしていたんですか。」
「えぇ。コーヒーの試飲をしていたの。でもあまり人が集まらなくてね。」
「それはそうですよ。アルコールがでるような店ばかりなのに、コーヒーなんかわざわざ飲まないですよ。」
「……コーヒーの試飲?」
 ただで振る舞うってことか。でもどうやらあまり人は集まらなかったみたいだな。
「そ。今度、新しい豆を大々的に売り出そうとしていたんだけど、その味を見てもらうための試飲。だけど人があまり集まらなくて。」
「アルコールを出すような店ばかりですよ。ただでも飲まないと思ってたんですけど。」
「だってこんなに人が集まるイベントなんて、そんなにないじゃない。今日がいいチャンスだったのよ。」
 なるほど。これが喧嘩の原因か。
「……どんな豆なんですか。」
「国産の豆。なんかスゴくこだわって作ってる人がいてね。その人の豆を入れようかって思ってたんだけど。」
「焙煎はうまくいっているんですか。」
「えぇ。してもらったやつを淹れたの。」
「見せてもらっていいですか。」

 ベンチに座り、段ボールを開けた。そこにはコーヒーを淹れたポットと、紙コップ。砂糖とミルク。
 コーヒーを出して、香りをかいでみる。悪くはないようだ。多分淹れて時間がたっているけど、こんなに香りがまだ残ってる。
「あの……サーバーはありますか。」
「え?」
「淹れる道具とかですね。」
「あるわ。営業車に一式揃ってる。」
「取ってきます。」
 連さんは走ってその道具を取りに行った。
 ベンチに腰掛けて、キャンプとかで使うガスバーナーでお湯を沸かす。ミルで豆を挽くだけで、香りがフワンとたって道行く人たちが足を止めた。
「何が始まるの?」
「何の香り?コーヒー?」
「いい香り。」
 お湯が沸いて、ペーパーフィルターにお湯を注いだ。それだけでさらに香りが立ちこめる。
「何ですか。それ。」
「コーヒーですよ。無料で試飲をしてます。良かったらいかがですか。」
「インスタントとか缶コーヒーしか普段飲まないんですよ。」
「ちょっと香りが変わってますけど、美味しいコーヒーです。どうぞ。無料ですから。」
 淹れ終わったコーヒーを、「窓」で出しているカップより小さめのカップに注いで、手渡しした。
「美味しい。何だろう。普段砂糖とか入れてんのに。」
「ブラックでもいけるわ。いい香りね。豆ってどこの?」
「国産です。なので、不要な薬剤も入っていなくて……。」
 説明は支店長や連さんがしてくれる。私はひたすらコーヒーを淹れて、周りの人に手渡しをした。笑顔になる。美味しいと言ってくれる。それが嬉しかった。
 そうか。私……そう言うことがしたかったんだ。美味しいと言ってくれること。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...