夜の声

神崎

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二年目

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 時計を見てもう「窓」へ行く時間だと、私はソファから立ち上がった。
「バイトか。」
「えぇ。ちょうど時間ですので。そのまま行きます。」
 玄関へ向かうと、茅さんもその後ろを着いてきた。
「では失礼します。」
 すると彼はキスをするのではないかというくらい顔を近づけてきた。思わずそれを払いのけようと、のけぞる。しかし彼は私の頭をつかみ、その頬にキスをしたあと耳元でささやいた。
「信用で出来てる愛はもろいな。長く続かない。そのときは俺がもらってやるよ。」
 それだけをいうと手を離した。突き飛ばそうとした手が宙を泳ぐ。
「そんな日は来ませんから。」
 私はそれだけを言って部屋を出た。
 その台詞は誰からも言われたことだ。葵さんにも、竹彦にも、そして蓬さんにも。
 別れを想定して恋人になることなどあるのだろうか。少なくとも私は、そんなことを想定しない。別れは来ないと思う。別れるかもしれないと思ったことはあるけれど、やはり信頼して彼についてきたのだ。それはこれまでも、そしてこれからも続くのだと思う。

 家に戻ることもなく、私はそのまま窓へ向かった。ポケットには携帯、財布、鍵、すべてが揃っている。問題はない。
 「窓」へ行くと、カウンター席に女性のお客さんと男性のお客さん。常連の人だ。
「お疲れさまです。」
「あら。桜ちゃん。この暑いのに黒いシャツね。」
「ラフな格好だな。」
「いつも通りですけど。」
「そう?でもあまりサイズあってないの?そのシャツ。男の子みたいなシャツね。」
「彼氏の家から直接来たんだよ。」
「まぁ。やるわねぇ。高校生。」
 誤解を生んだようだ。たぶん私は微妙な顔をしていたに違いない。
「違いますよ。ちょっとあわててきたんで、そんなシャツしか着てこれなかったのかな。」
「慌てなくても大丈夫ですよ。」
 葵さんは涼しそうな顔をして、私をカウンターの奥に呼んだ。バックヤードでシャツを脱ぐと、他の家の洗剤の匂いがした。それはきっと茅さんの家の洗剤の匂いだろう。

 その日の夜。閉店間際に蓮さんがやってきた。
「いらっしゃいませ。」
 葵さんはまだ蓮さんと確執があるのか、笑顔ではあったけれどひきつっていた。
「ブレンド、ください。」
「はい。じゃあ、桜さん淹れてあげてください。私はちょっと電話をするところがあるので。」
 そういって葵さんは携帯電話を手に、バックヤードへ行ってしまった。私は水とおしぼりを、蓮さんの前に置く。
「茅さんから連絡がありました。」
「そうですか。」
「あなたが連絡を取ってくれたんですね。」
「……えぇ。」
 隠す必要もない。隠して変な歪みも作りたくなかった。
「支社長は風邪だと信じていました。一人暮らしだと連絡も取れないのは不便だと言ってましたからね。」
「蓮さんはだいたいわかっているのですね。」
「えぇ。私が茅さんを推薦しましたし、彼の人間性はだいたいわかります。」
「……そうですか。では椿だったことも?」
「それも知っています。何かしらの確執があったことも。」
 豆を挽く音がガリガリと響く。お湯が沸いて、ポットに移し替えた。
「蓮さん。茅さんを責めないでください。」
「……判断は私にはありませんよ。会社としては支社長。そしてそれを統括するエリアマネージャーにあります。あなたの頼みだとしてもしても、私に何の権限もありません。」
 コーヒーを淹れ終わり、カップを用意してそれを注ぐ。そして彼の前に出した。
「どうぞ。」
「はい。いただきます。」
「……今夜戻るのですか。」
「えぇ。今は身軽な一人ですし。」
「一人?」
 この人結婚していたよね?去年まで。
「離婚が成立しました。春に。」
「そうでしたか。」
「私には結婚は向いてません。家庭を顧みませんからね。それだけはわかりました。」
 コーヒーを一口飲み、彼はため息をついた。
「蓮さん。一度きりで判断するのはいかがなものでしょうね。」
「……一度でわかりますよ。実際、彼女が連れてきた子供の名前も私はすっと出てきませんでしたしね。」
「自分の子供なら出てくるんじゃないですか。」
「そうでしょうかね。たぶん結婚して子供が出来ても、私は出産にも立ち会わず会社にいることを選択しますよ。それが私の幸せですから。」
 会社すら自分で作っているわけじゃないのに、会社を子供だとでも思っているのかな。この人。
「蓮さん。」
「あぁ。そんな話をしにきたのではないのですよ。あなたに用事があったのです。」
「私に?」
「えぇ。」
 すると葵さんが携帯電話を手に、バックヤードから戻ってきた。そして彼をみる。
「蓮。桜さんを口説くのはやめてくれよ。」
「口説く?そんなことはしませんよ。兄が狙っている女性を私が口説いてどうしますか。」
「どうだか。」
 不機嫌そうな言い回しだ。そのとき奥にいたカップルが、レジに近づいた。葵さんは笑顔でレジに向かう。
「高校三年生でしたよね。」
「えぇ。」
「就職をすると聞きました。」
「はい。」
「うちへ来ませんか。」
 は?
 思わず片づけようとしたペーパーフィルターを落としかけた。
「あぶな。」
「大丈夫ですか。」
「……大丈夫です。あの……私がそちらの会社に?」
「えぇ。一応あなたの高校にも求人は出していますが、それとは別の枠になりますね。」
「スカウトって事ですか。」
「はい。そうです。詳しい話は、本社に来て頂いてからにらなりますが。」
「私そんな大それた……。」
「大それているかどうかは、実際働いたものが判断することです。去年の働きっぷりをみて支社長とエリアマネージャーが判断しました。」
「……。」
「あぁ。もちろん拒否することは出来ますよ。あなたにも考えることがあるでしょうしね。」
 あまりにも突拍子のない話に、私は戸惑うことしかできなかった。
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