夜の声

神崎

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二年目

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 コーヒー豆を挽いてなくて良かった。柊さんはちょっとの休憩中に、葵さんにメッセージをもらってここに来ただけだったから。でも悪いことをしたなぁ。わざわざ来てもらうなんて。
「また夜に来る。」
 そういい残して柊さんはまた行ってしまった。
 それにしても他のお客さんがいなくて良かった。ほっとしながら、私は柊さんと入れ違いにきた誠さんの接客をする。葵さんはいつもと変わらなかった。仕事をしていればこういうこともあると、切り替えは早いらしい。
 そしてその日の夜。宣言通り柊さんがやってきて、私を送るように一緒に「窓」を出て行った。茅さんは今日もいない。忙しいのかもしれないな。
「ヤクザの情婦か。」
「仕方なく。と言ったところでしょうか。」
「まぁな。向日葵というお前の友達に説明するのは、確かに酷なことだ。身内に椿がいるとはな。可哀想なことだ。」
「向日葵のお兄さんのことは知ってますか。」
「あぁ。なんか不器用なヤツがいた。でも組に入りたがっていたな。何がいいんだと思っていたが。確か、他の組にそそのかされて、組の情報を他の組に漏洩したとかで、簀巻きにされたはずだ。」
 真実はそうだったんだ。やっぱりぞっとする。
 そのとき柊さんは私の手を握ってきた。驚いて私は柊さんを見上げる。すると彼は意味ありげに私をみた。
「嫌か?」
「いいえ。嬉しいです。」
 繋がれた手はとても熱い。
 体を重ねることはあるけれど、こういう普通の行為は私たちに難しい。照れも少しはある。でもそのほとんどは、向日葵のように友達に会ったらなんて説明しようという卑怯な考えだった。
 悪いことをしているわけでもないし、こそこそする理由もない。だけどどこか後ろめたかった。母さんの方が歳が近いからかもしれない。
 だけど嬉しいし、幸せだと思う。
「ヤクザの情婦か……。」
「蓬さんにもいらっしゃったでしょう?」
「あの人は、案外潔癖でな。妻しか見ていなかったな。」
 そんな風に見えない。でもそれが本当だったら私に幾度と無くデートに誘っていたのは、本当にリップサービスだったんだ。
「それに本当のヤクザの情婦は、背中に同じ彫り物をしている。それで情婦は相手を他に出来ないようにとな。」
「そんなことしないと信じれないんですね。ある意味可哀想。」
「そうだな。」
 何気ない会話。そしてコンビニを過ぎて、すぐにアパートに着いてしまう。バイクをこのアパートの駐輪場においていたのだろう。見覚えのあるバイクがそこにはあった。
「直接行かないといけないな。」
「気をつけて。」
「明日から夏休みか。また時間を見てどこかへ行こう。」
「はい。」
「じゃあな。」
 バイクを出して、エンジンをかける。ヘルメットをかぶる前に、私は彼の袖を引っ張った。すると彼は少し周りを見ると、私の唇に軽くキスをする。ふわんと煙草のにおいがした。
 そしてヘルメットをかぶると、エンジン音ともに彼は行ってしまった。寂しいな。そう思いながら、私はアパートの階段へ向かい自分の部屋へ向かう。
 鍵を開けて、部屋に入ろうとしたときだった。階段を上がってくる音が聞こえる。そちらを見ると、そこには息を切らせた茅さんがいた。
「茅さん。」
「お前……。」
 何?何?怖い。どんどんと近づいてきて、私を部屋に押しこむように体を押してきた。こけはしなかったけれど、彼は玄関を背に私を見下ろしている。その視線は怖かった。
「あれがお前の恋人か。」
「あれ?」
「バイクの……。」
「そうですけど。何か?」
 すると彼は私の視線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
「葵でもかまわない。他の椿でもかまわない。だけど、柊だけはだめだ。あいつは……。」
 苦しそうにいう茅さんは、私の肩をつかんだ。
「何なんですか。」
「柊だけはだめだ。お前がだめになる。」
「そんなことを言っても……もう、戻れない。」
「ガキでもいるのか。」
「いませんけど。」
 あらか様にほっとした表情だった。しかしぐっと私の方を見る。
「戻れなくなる前に別れろ。」
「別れません。」
「強情なヤツだ。別れやすいようにしてやろうか。」
 別れやすいようにする?何をするっていうの?
 すると彼は私の肩をつかんでいる手に力を入れる。玄関先で私はそこに押し倒されたような形になった。
「やめてください。」
「ヤツより良くしてやる。忘れさせてやるから。」
 そういって彼は首もとに手をかけた。
「嫌!」
 嫌だ。嫌だ!
 私の頭の中に、あの出来事が浮かんできた。それは私がレイプされそうになったときのことだった。
「大人しくしてればいい思いをさせる。」
 払いのけられるはずだ。だけど手が震える。
「やめてください!」
 涙がでそうになる。さっきまで幸せだったのに。繋いだ手が熱かったのに。今は手を握られている相手が違う。この人じゃない。私が手を握りたいのは、違う人なのに。
 首もとの手が顎にかかる。そして彼はさっき私が柊さんと唇を重ねたところに、唇を寄せようとした。
「嫌!」
「良いから大人しくしろ。」
 そのとき玄関のドアが開いた。そして茅さんは私の上から離れていく。
 助かった?私は起き上がり、震える足で後ずさりしてリビングへ逃げていった。
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