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二年目
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そのまま私は駆け足で「窓」へ向かった。本当に時間がないと思ったから。大通りを小道へ曲がり、その突き当たりに「窓」がある。ここは車は通れないほど細い道だ。バイクなら来れないことはないだろう。
ドアを開けると、カウンター席に柊さんの姿があった。私の姿を見て、少しいぶかしげな顔をしている。
「どうしたんだ。桜。」
「走ってきたんですか。」
カウンターの奥には葵さんの姿がある。彼も驚いたように私を見ていた。
「遅れると思って。」
「髪、何で結んでないんだ。」
「え?」
ヒジカタコーヒーに行ったときには結んでいたと思ったのに。
あっ。茅さんか。
ゴムを取られたらしい。くそぉ。
「結んできてくださいね。」
「はい。」
そういってカウンターにはいると、葵さんは私にゴムを渡してきた。そして奥のドアをくぐり、バックヤードへ向かう。着替えを終えると、髪を結んだ。そのとき鏡を見る。柊さんがいるんだ。さっきのことを気づかれてはいけない。
ただ、そっと唇に触れた。
今すぐ上書きをして欲しい。だけど今は出来ない。今から仕事なのだから。
笑顔を鏡の前で作る。まだ大丈夫。まだいける。
コーヒーをまだ飲んでいなかった柊さんは、私を待っていたらしい。私は柊さんのコーヒーを入れるために、お湯を沸かしている。
「この暑いのにホットですか。」
「アイスって苦手なんだよ。喉がイガイガする。」
「うちのアイスはそうでもないんですよ。」
確かにここのアイスコーヒーは後味は悪くない。こつは焙煎の仕方にあると葵さんはいうが、その詳しいことは私にはよくわからない。
「すいませーん。」
奥に座っていた女性二人が、私たちに声をかける。すると葵さんが行ってしまった。悪いなぁ。私の仕事なのに。
女性たちにとっては役得だったのかもしれないけど。
「最近、お前ここでもきゃあきゃあ言われているみたいだな。」
「図らずもですよ。」
「女性から言われても複雑だろう。」
「えぇ。でも柊さんも言われてますよね。」
「あぁ。レコード回しているときはな。俺も図らずもって所だ。面倒だし、一人に言われた方がいい。」
一人というのが自分のことだと思って、私は少し嬉しく思えた。
カウンターに葵さんが戻ってきて、彼もまたアイスコーヒーを入れる準備を始める。
「最近は桜さんも忙しいみたいですね。」
「はい。一応就職期間ですし。」
「桜さん目当てのお客さんがあらか様にがっかりして返りますよ。」
「やめてくださいよ。」
すると葵さんは笑っていたが、柊さんは真面目にいう。
「男に狙われるのは仕方ないかもしれないが、女には転ぶなよ。そうなれば俺だって手を出しにくいんだから。」
「何言ってるんですか。柊さん。」
女に転ぶって……そんな宗旨替えするかよ。
コーヒーを入れ終わると、彼の前に置いた。
「桜。また今年も祭りがあるから、見に来いよ。」
「今年もレコードを?」
「あぁ。誘いが来てる。葵もまた今年も「blue rose」へ行くんだろう。」
「えぇ。誘いが来てます。桜さんはどうですか。」
「私の方はまだ。でも今年はどうしようかと思って。」
「忙しそうですね。」
「……。」
それに、去年の柊さんを見てショックだったこともある。まるで別人だった。声援を受け、ライトを浴びている彼を、私は下で見ているしかなかった。
ショックを受けていた私につけ込んだのは、竹彦だった。彼はいつも私に別れた方がいいと言っていたのを覚えている。でも私の気持ちは変わらない。
柊さんのそばにいたい。それはずっと思っていることだった。
「あの格好を見ることが出来ないのは、少し残念ですがね。」
「あの格好?」
葵さんはそういってにっこりと私の方を見て笑っていた。
「どんな格好だ。あの梅子とか言う男はどんな格好をさせた?」
ひえー。怖い。柊さんの視線が怖いよー。
「……ミニスカートを勧められてたんですよ。でも足を出すのは抵抗があったんで、ジーパン履いてました。」
「ジーパンなら何も問題ないじゃないか。」
「かなり破れてましたねぇ。あれショートパンツと変わらないですよ。それに間から網タイツが見えてたから、かなりセクシーでしたね。」
その言葉に彼は煙草がむせたようにせき込んだ。
「それにタンクトップでしたし。いつもよりは肌が露出してましたよ。あんな格好も良いですね。」
「もう二度としたくないですけど。」
「涼しいですよ。ねぇ。柊。」
すると彼はじっと私を見ていた。もうあのときには、私は彼の恋人だったはず。だからそんな格好をして外に出ていたのは、抵抗があったのかもしれない。
「なにをいじけているんですか。」
「別に。」
「学校ではプールの授業もあるのでしょう?」
確かにその通りだ。プールの授業で水着になるよりは、ぜんぜん露出は少ない。なのに何でそんなにいじけているんだろう。
「授業だったら仕方ないが……。」
複雑そうに、またコーヒーに口を付けた。
私はぐっと唇を引き締める。今すぐその唇にキスをして欲しいと思ったから。さっきまで茅さんにされていたそのキスを忘れさせて欲しいと思った。
だけど柊さんが帰ったあと、とても忙しくなった。今日は満席近くにまでなって、フードにドリンクにてんてこ舞いだった。それはそれで都合が良かった。イヤなことを思い出すこともなかったから。
ドアを開けると、カウンター席に柊さんの姿があった。私の姿を見て、少しいぶかしげな顔をしている。
「どうしたんだ。桜。」
「走ってきたんですか。」
カウンターの奥には葵さんの姿がある。彼も驚いたように私を見ていた。
「遅れると思って。」
「髪、何で結んでないんだ。」
「え?」
ヒジカタコーヒーに行ったときには結んでいたと思ったのに。
あっ。茅さんか。
ゴムを取られたらしい。くそぉ。
「結んできてくださいね。」
「はい。」
そういってカウンターにはいると、葵さんは私にゴムを渡してきた。そして奥のドアをくぐり、バックヤードへ向かう。着替えを終えると、髪を結んだ。そのとき鏡を見る。柊さんがいるんだ。さっきのことを気づかれてはいけない。
ただ、そっと唇に触れた。
今すぐ上書きをして欲しい。だけど今は出来ない。今から仕事なのだから。
笑顔を鏡の前で作る。まだ大丈夫。まだいける。
コーヒーをまだ飲んでいなかった柊さんは、私を待っていたらしい。私は柊さんのコーヒーを入れるために、お湯を沸かしている。
「この暑いのにホットですか。」
「アイスって苦手なんだよ。喉がイガイガする。」
「うちのアイスはそうでもないんですよ。」
確かにここのアイスコーヒーは後味は悪くない。こつは焙煎の仕方にあると葵さんはいうが、その詳しいことは私にはよくわからない。
「すいませーん。」
奥に座っていた女性二人が、私たちに声をかける。すると葵さんが行ってしまった。悪いなぁ。私の仕事なのに。
女性たちにとっては役得だったのかもしれないけど。
「最近、お前ここでもきゃあきゃあ言われているみたいだな。」
「図らずもですよ。」
「女性から言われても複雑だろう。」
「えぇ。でも柊さんも言われてますよね。」
「あぁ。レコード回しているときはな。俺も図らずもって所だ。面倒だし、一人に言われた方がいい。」
一人というのが自分のことだと思って、私は少し嬉しく思えた。
カウンターに葵さんが戻ってきて、彼もまたアイスコーヒーを入れる準備を始める。
「最近は桜さんも忙しいみたいですね。」
「はい。一応就職期間ですし。」
「桜さん目当てのお客さんがあらか様にがっかりして返りますよ。」
「やめてくださいよ。」
すると葵さんは笑っていたが、柊さんは真面目にいう。
「男に狙われるのは仕方ないかもしれないが、女には転ぶなよ。そうなれば俺だって手を出しにくいんだから。」
「何言ってるんですか。柊さん。」
女に転ぶって……そんな宗旨替えするかよ。
コーヒーを入れ終わると、彼の前に置いた。
「桜。また今年も祭りがあるから、見に来いよ。」
「今年もレコードを?」
「あぁ。誘いが来てる。葵もまた今年も「blue rose」へ行くんだろう。」
「えぇ。誘いが来てます。桜さんはどうですか。」
「私の方はまだ。でも今年はどうしようかと思って。」
「忙しそうですね。」
「……。」
それに、去年の柊さんを見てショックだったこともある。まるで別人だった。声援を受け、ライトを浴びている彼を、私は下で見ているしかなかった。
ショックを受けていた私につけ込んだのは、竹彦だった。彼はいつも私に別れた方がいいと言っていたのを覚えている。でも私の気持ちは変わらない。
柊さんのそばにいたい。それはずっと思っていることだった。
「あの格好を見ることが出来ないのは、少し残念ですがね。」
「あの格好?」
葵さんはそういってにっこりと私の方を見て笑っていた。
「どんな格好だ。あの梅子とか言う男はどんな格好をさせた?」
ひえー。怖い。柊さんの視線が怖いよー。
「……ミニスカートを勧められてたんですよ。でも足を出すのは抵抗があったんで、ジーパン履いてました。」
「ジーパンなら何も問題ないじゃないか。」
「かなり破れてましたねぇ。あれショートパンツと変わらないですよ。それに間から網タイツが見えてたから、かなりセクシーでしたね。」
その言葉に彼は煙草がむせたようにせき込んだ。
「それにタンクトップでしたし。いつもよりは肌が露出してましたよ。あんな格好も良いですね。」
「もう二度としたくないですけど。」
「涼しいですよ。ねぇ。柊。」
すると彼はじっと私を見ていた。もうあのときには、私は彼の恋人だったはず。だからそんな格好をして外に出ていたのは、抵抗があったのかもしれない。
「なにをいじけているんですか。」
「別に。」
「学校ではプールの授業もあるのでしょう?」
確かにその通りだ。プールの授業で水着になるよりは、ぜんぜん露出は少ない。なのに何でそんなにいじけているんだろう。
「授業だったら仕方ないが……。」
複雑そうに、またコーヒーに口を付けた。
私はぐっと唇を引き締める。今すぐその唇にキスをして欲しいと思ったから。さっきまで茅さんにされていたそのキスを忘れさせて欲しいと思った。
だけど柊さんが帰ったあと、とても忙しくなった。今日は満席近くにまでなって、フードにドリンクにてんてこ舞いだった。それはそれで都合が良かった。イヤなことを思い出すこともなかったから。
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