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二年目
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ヒジカタコーヒーの求人枠は一人。事務職を募集しているらしい。前に支社長が言っていた聡子さんが定年退職されるから、そのあと枠を入れたいのかもしれない。だけど、ここの勤務になるかわからない。
蓮さんのようにいきなり本社へ行けとか、転勤とか、社命は沢山あるだろう。そのたびに柊さんと別れることになるのは少し辛い。
自分のためとは言っても、そこまで彼を待たせるだろうか。
匠が言ったように、彼はもう三十一歳なのだ。いつまでも待たせるわけには行かないし、私ほど時間があるわけじゃないのだ。
遊ぶだけならかまわない。でもきっと……遊びじゃない。
普段はブラウスの下にしまいこんでいるネックレスを、首からはずした。その先には指輪がある。銀色に鈍く光った。
部屋から外を見る。私の部屋からは工場が見えた。夜でも光っている工場の光は、夜が来ていないような気もする。そこで働いている人もいるのだ。そして来年には多分うちの高校からもそこで働く人も出てくるだろう。
改めて求人票をみた。
もう一枚の求人票には、その工場の事務の募集もあった。人気がある求人で、うちの学校からも二人くらいしか出さない。その中で推薦されても、受かるとは限らないのだ。それはヒジカタコーヒーにも言えるだろう。私のようにカフェで働いている人も多いのだから。厳しい条件になるだろう。
早く道を決めないといけないという急かされた感じがするけれど、これを選んだのは私。二年のはじめ、そういう道を選んだのは私だ。
ため息をついて私はラジオのスイッチを入れた。
椿さんは姿を見せない人だといつか梅子さんがいっていた。でも若い人だという。その割に人生を悟ったような言い方をする。どんな人生を歩んでいるのだろう。そして彼も決断をしたのだろうか。
その日も雨が降っていた。「窓」へやってくると、カウンター席に一人男が座っている。その後ろ姿は見覚えがあった。
「いらっしゃいませ。」
声をかけると男は振り返った。
「久しぶりだ。桜。」
それは蓬さんだった。その姿に少し引いたけれど、お客様なのだからと私は笑顔を浮かべた。カウンターに入りバックヤードに行くと、着替えを済ませて表に出ようとした。するとそこには葵さんが砂糖の袋を持って立っている。
「あ、すぐ出ます。」
狭い廊下だ。密着してしまうので早くでないと。
「桜さん。彼はあなたに用事があるみたいですよ。」
「私にはないです。」
「そういわないで、ちょっと話を聞いてあげてください。」
私に用事ってなんだろう。
表に出ると、蓬さんは煙草を吹かしていた。
「コーヒーはいただきましたか。」
「あぁ。さっき煎れてもらった。葵のコーヒーは絶品だ。」
「恐れ入ります。」
彼はそういって後ろを向いて食洗機にあるカップを、棚に並べ始めた。本来なら私の仕事なのに。
「竹彦は元気ですか。」
「あぁ。いい体になってきた。あんなにひょろひょろしていたのに、今では同じ時期に入った若いものの中では、一番腕がたつ。」
「……良かったです。」
「あいつは目的があって入ったといっていたが、その理由はお前にわかるか。」
「想像もつきませんよ。」
嘘だ。本当は知っている。彼は柊さんや葵さんと同じステージにたちたいからといって、椿になったのだ。私のために。
「妹がいるのは?」
「あぁ。それは知ってます。血の繋がらない妹だそうですね。」
「あいつが気にしていた。どうやら学校も辞めて、行方不明になっている。」
「行方不明?」
「……血の繋がりのない妹だ。関わらなくてもいいのではないかと言ったのだがな。やはり数年でも一緒に住んでいたので、気になるのだろう。」
「……そんなことをするような子には見えませんでしたけどね。」
「男の影はなかったか。」
「そんなに親しかったわけでもありませんし。」
どちらかというと目の敵にされていた。そんな感じがする。
「しかし……竹彦君は気がついていたのかもしれませんが、彼女は竹彦君を男としてみてましたからね。」
「兄妹だろう?」
「血の繋がりはありませんよ。」
「……それもそうか。」
煙草を消して、彼は私の方を見る。多分そんなことを言いにきたのではない。何を言いたいのだろう。柊さんのことだろうか。それとも、茅さんのこと?
「柊は、うまくやってるだろうか。」
「うまく?」
「職場が変わったと聞いた。あいつは気が短いところもあるからな。」
「もう子供ではありませんよ。そう気の短いようなことはしません。うまくやってるみたいですよ。」
「会ってるか。」
「適度に。」
「相変わらず付かず離れずだな。まぁ、お前等がそれで良いならかまわないが。」
「……柊さんをまた椿にしようと?」
「あいつがそうしたければそうすればいい。まぁ、お前のためにもそれはもうないのかもしれないが。桜。今日はお前を誘いに来た。」
「デートならしませんよ。」
後ろの葵さんの動きが止まった。本題に入ったからだろう。
「デートもしたいが、実はうちの組の奥事をしている女が、春に産休にはいる。そこでお前を誘いに来た。」
「私に奥事をしろと。」
「胡桃から家事一切を任していると聞いている。出来るだろう。」
「家政婦と言うことですか。」
「あぁ。」
私はため息をついて、彼を見上げる。
「柊さんは反対するでしょうね。」
「お前のことに柊が口を出すのか。子供じゃああるまいし。」
「……。」
「まぁ、今すぐではなくていい。連絡先は……。」
「いつか聞きました。」
「ではそれに連絡をしてくれ。」
そういって彼はレジへ向かった。そして店を出ていく。まだ雨の音がしていた。
カップを片づけてまたカウンターに戻ると、葵さんは複雑な表情をして、私を見ていた。どう言っていいのかわからないのだろう。組のことであるから反対も出来ないし、かといって柊さんのことを考えると行かない方がいいと思う。
「まぁ……組の奥事のことであれば、組に参加しているわけではないんですよね。」
「行く気ですか?」
葵さんは驚いたように私を見ていた。
「いいえ。行く気はありませんけど。」
「それがいい。やっと切れた蓬さんとの縁をまた繋ぐとなれば、柊ではなくても私でも怒るかもしれません。」
蓮さんのようにいきなり本社へ行けとか、転勤とか、社命は沢山あるだろう。そのたびに柊さんと別れることになるのは少し辛い。
自分のためとは言っても、そこまで彼を待たせるだろうか。
匠が言ったように、彼はもう三十一歳なのだ。いつまでも待たせるわけには行かないし、私ほど時間があるわけじゃないのだ。
遊ぶだけならかまわない。でもきっと……遊びじゃない。
普段はブラウスの下にしまいこんでいるネックレスを、首からはずした。その先には指輪がある。銀色に鈍く光った。
部屋から外を見る。私の部屋からは工場が見えた。夜でも光っている工場の光は、夜が来ていないような気もする。そこで働いている人もいるのだ。そして来年には多分うちの高校からもそこで働く人も出てくるだろう。
改めて求人票をみた。
もう一枚の求人票には、その工場の事務の募集もあった。人気がある求人で、うちの学校からも二人くらいしか出さない。その中で推薦されても、受かるとは限らないのだ。それはヒジカタコーヒーにも言えるだろう。私のようにカフェで働いている人も多いのだから。厳しい条件になるだろう。
早く道を決めないといけないという急かされた感じがするけれど、これを選んだのは私。二年のはじめ、そういう道を選んだのは私だ。
ため息をついて私はラジオのスイッチを入れた。
椿さんは姿を見せない人だといつか梅子さんがいっていた。でも若い人だという。その割に人生を悟ったような言い方をする。どんな人生を歩んでいるのだろう。そして彼も決断をしたのだろうか。
その日も雨が降っていた。「窓」へやってくると、カウンター席に一人男が座っている。その後ろ姿は見覚えがあった。
「いらっしゃいませ。」
声をかけると男は振り返った。
「久しぶりだ。桜。」
それは蓬さんだった。その姿に少し引いたけれど、お客様なのだからと私は笑顔を浮かべた。カウンターに入りバックヤードに行くと、着替えを済ませて表に出ようとした。するとそこには葵さんが砂糖の袋を持って立っている。
「あ、すぐ出ます。」
狭い廊下だ。密着してしまうので早くでないと。
「桜さん。彼はあなたに用事があるみたいですよ。」
「私にはないです。」
「そういわないで、ちょっと話を聞いてあげてください。」
私に用事ってなんだろう。
表に出ると、蓬さんは煙草を吹かしていた。
「コーヒーはいただきましたか。」
「あぁ。さっき煎れてもらった。葵のコーヒーは絶品だ。」
「恐れ入ります。」
彼はそういって後ろを向いて食洗機にあるカップを、棚に並べ始めた。本来なら私の仕事なのに。
「竹彦は元気ですか。」
「あぁ。いい体になってきた。あんなにひょろひょろしていたのに、今では同じ時期に入った若いものの中では、一番腕がたつ。」
「……良かったです。」
「あいつは目的があって入ったといっていたが、その理由はお前にわかるか。」
「想像もつきませんよ。」
嘘だ。本当は知っている。彼は柊さんや葵さんと同じステージにたちたいからといって、椿になったのだ。私のために。
「妹がいるのは?」
「あぁ。それは知ってます。血の繋がらない妹だそうですね。」
「あいつが気にしていた。どうやら学校も辞めて、行方不明になっている。」
「行方不明?」
「……血の繋がりのない妹だ。関わらなくてもいいのではないかと言ったのだがな。やはり数年でも一緒に住んでいたので、気になるのだろう。」
「……そんなことをするような子には見えませんでしたけどね。」
「男の影はなかったか。」
「そんなに親しかったわけでもありませんし。」
どちらかというと目の敵にされていた。そんな感じがする。
「しかし……竹彦君は気がついていたのかもしれませんが、彼女は竹彦君を男としてみてましたからね。」
「兄妹だろう?」
「血の繋がりはありませんよ。」
「……それもそうか。」
煙草を消して、彼は私の方を見る。多分そんなことを言いにきたのではない。何を言いたいのだろう。柊さんのことだろうか。それとも、茅さんのこと?
「柊は、うまくやってるだろうか。」
「うまく?」
「職場が変わったと聞いた。あいつは気が短いところもあるからな。」
「もう子供ではありませんよ。そう気の短いようなことはしません。うまくやってるみたいですよ。」
「会ってるか。」
「適度に。」
「相変わらず付かず離れずだな。まぁ、お前等がそれで良いならかまわないが。」
「……柊さんをまた椿にしようと?」
「あいつがそうしたければそうすればいい。まぁ、お前のためにもそれはもうないのかもしれないが。桜。今日はお前を誘いに来た。」
「デートならしませんよ。」
後ろの葵さんの動きが止まった。本題に入ったからだろう。
「デートもしたいが、実はうちの組の奥事をしている女が、春に産休にはいる。そこでお前を誘いに来た。」
「私に奥事をしろと。」
「胡桃から家事一切を任していると聞いている。出来るだろう。」
「家政婦と言うことですか。」
「あぁ。」
私はため息をついて、彼を見上げる。
「柊さんは反対するでしょうね。」
「お前のことに柊が口を出すのか。子供じゃああるまいし。」
「……。」
「まぁ、今すぐではなくていい。連絡先は……。」
「いつか聞きました。」
「ではそれに連絡をしてくれ。」
そういって彼はレジへ向かった。そして店を出ていく。まだ雨の音がしていた。
カップを片づけてまたカウンターに戻ると、葵さんは複雑な表情をして、私を見ていた。どう言っていいのかわからないのだろう。組のことであるから反対も出来ないし、かといって柊さんのことを考えると行かない方がいいと思う。
「まぁ……組の奥事のことであれば、組に参加しているわけではないんですよね。」
「行く気ですか?」
葵さんは驚いたように私を見ていた。
「いいえ。行く気はありませんけど。」
「それがいい。やっと切れた蓬さんとの縁をまた繋ぐとなれば、柊ではなくても私でも怒るかもしれません。」
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