夜の声

神崎

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二年目

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 学校が終わると、私は駅へ向かった。駅の待合室に葵さんが待っていると思うから。
 制服のままでいいのだろうか。わからないけどまぁ、病院だしな。駅には同じような制服の人がいる。電車通学をしている人も多いのだ。
 待合室へ向かうと、一際オーラの違う人がいた。それが葵さんだ。遠くから見ている女性も、おばさんも、彼ばかり見ている気がする。そういう人だ。あまり気にしないでおこう。
「葵さん。」
「あぁ。桜さん。」
 彼は何かぼんやりしていたのかもしれない。私が声をかけるまで、私がここに入ってきたことすら気がつかなかったのだから。
「行きましょうか。」
「どこの病院ですか。」
「医大がしている病院だそうですよ。」
「バスで行った方が早いですね。」
 いつか支社長が手首を切って運ばれた病院だ。あのとき私は行かなかったけれど、柊さんが引きずるように彼を連れていったところ。
「バスは何時でしょうかね。」
「すぐ来ますよ。」
 思ったよりもバスの中は多かった。座れないほどで、私たちは立つことにした。バスはすぐに進み出し、揺れる度に彼の体に密着するようだった。
「すいません。」
「混んでますね。仕方ないですよ。」
 私たちは一度、過ちを犯した。そのときの体をよく覚えている。器用に動く指も、舌も、温もりも、忘れたいと思っているのに忘れられなかった。その細い体に身をゆだねたことは、まだ後悔している。
「あ、次ですね。」
 私はそのボタンを押そうとしたけれど手が届かなかった。すると彼が押してくれた。
「ありがとうございます。」
「いいえ。」
 そのときバスが急ブレーキを踏んだらしい。ぐっと彼の体にもたれ掛かってしまった。
「大丈夫ですか。」
 思ったよりも近い。耳元で葵さんの声がした。
「大丈夫です。」
 元の体勢に戻ろうとしたのに、もう戻れなかった。
「近いですから、このままでいても大丈夫です。」
 そんな問題じゃないから。この体勢がまずいんだって。

 やっとバスから降りて、病院へ向かう。大きな病院だ。
 それにしても疲れた。バス乗ってただけなのに。
「帰りも多いんですかね。」
 葵さんはにっこりと笑って聞いてきた。私の気持ちとは裏腹に、上機嫌だ。
 病院の中は外来の患者さんと、入院患者が行き交っていた。エレベーターの前に立つと、階数を調べる。どうやら六階だ。同じ階には外科もあるらしい。
 広めのエレベーターに乗り込むと、六階までノンストップだった。エレベーターを降りると、正面にナースステーションがある。そこに声をかけようとしたら、葵さんが看護師に先に声をかけた。
「すいません。伊藤紅葉さんの病室はどちらですか。」
 看護師は笑顔で答えてくれた。どうやら個室らしい。
「ありがとうございます。」
 笑顔で答えると、女性看護師はぼーっとした表情でに葵さんの後ろ姿を見送った。うーん。罪づくり。
 ナースステーションからあまり離れていないところに、支社長の病室があった。ノックをすると、支社長の声がした。
「どうぞ。」
 中にはいると、支社長はもう体を起こしていた。
「あら、桜さん。と……葵。」
 葵さんの姿にちょっとひいたようだった。だが、彼は笑顔で言う。
「私も好きで来てるんじゃない。」
「そう。でもまぁ、いいとことに来たわ。今日やっとカテーテルがとれて、体を起こせるようになったから。」
「食べ物は食べないと言っていたから、本を持ってきた。君の好きそうな本だ。」
 そういって彼は鞄の中から、書店の包みを彼女に渡した。それを彼女は受け取り、中を開いた。
「相変わらず女の扱いに長けてるわね。何で私の好きそうな本を買ってくるのかしら。」
「好みは変わっていないと思ったから。」
「まぁいいわ。退屈になりそうだったから助かった。」
 昔からの知り合いであり、恋人だったという支社長と葵さん。支社長は鬱の気があり、葵さんは別れてしまったのだと言っていた。でも悪態をつきながらも、いい取引相手であり、いいコンビだと思う。
 いい友人になれるんじゃないんだろうか。と勘違いをさせる。
「会社は大丈夫ですか。蓮さんも本社に戻ったと言ってましたし。」
「そうね。だけど、蓮さんの変わりにきた人がびしびしやっているって聞いてる。聡子さんがそろそろ音を上げているから。」
 それってまずいんじゃないのかな。やめるとか言い出したら……。
「心配しないで。私が緩すぎたってのがあったから。いいスパイスになっている。明君は必死よ。」
「……だったらいいんですけど。」
 明るい支社長はどこが悪かったんだろうと思うくらいだった。しかし葵さんが口火を開く。
「どこを手術したんだ。見た目わからないけど。」
「……聞く?それ。あんたも相変わらずデリカシーない人ね。」
「それがイヤだと言ってたな。」
「まぁいいわ。子宮筋腫。薬で小さくする方法もあったけど、結構大きかったから思い切って手術したのよ。」
「子宮筋腫……。」
「桜さんくらい若いとその心配はないのだろうけど、私くらいの歳だと結構あるみたいね。私子供も産んでないから、出来やすかったみたい。」
「……支社長。」
 支社長の瞳には涙が溜まっていた。子宮筋腫は、手術すると取ることは出来る。だけど不妊になる可能性が高くなるらしい。
「子供は望めないかもしれないって言われてさ、やっぱあの別れた旦那と無理矢理でも子供作っとけば良かったって思ったわ。」
「……支社……。」
 口を出そうとしたけれど、それを葵さんは止めた。そして彼女のそばにやってくる。
「私が作るわけには行かないけど、出来ないことはないんだろう。そういう人は沢山いるし、諦めなくてもいい。まだ二十代だろう?」
「歳を取ると出来なくなるのに、追い打ちをかけたのよ。あんたに何がわかるのよ。捨てたくせに。」
「あぁ、捨てたね。あなたのそのヒステリーにはついていけなかったから。」
「ヒステリー?あ、いたた。」
 傷口にさわったのだろう。驚いて私もそばに寄った。
「支社長。」
「とにかくもっと穏やかにいろよ。じゃないと筋腫だって、その正確だって直らない。」
「……。」
 悔しそうに支社長は見上げていた。
「支社長。」
 ノックもせずに、誰かが入ってきた。思わず入り口を見る。そこにはぼろぼろの服と、ボサボサの髪、延び放題の髭。なんか、印象はホームレスみたいな人が入ってきた。
「すいません、確認してほしいことがあるんですけど。」
 男の人はずかずかと病室に入ってくる。その人の姿を葵さんは見て、立ち上がった。
「茅?」
 茅と呼ばれた男は、葵さんを見て驚いたように近寄った。何?この人。誰?ホームレスに何の知り合いがいるって言うの?
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