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二年目
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やがて桜が咲く。私は三年生になった。そして新入生が入ってくる。入学してくる生徒を見ながら、私は少し笑っていたようだった。
「新入生かわいいねぇ。」
向日葵はそういって私の隣に座った。
「そうね。制服がぶかぶか。」
「あたしもそうだった。すぐ大きくなるよって、母さんが言ってさ。」
「……。」
すぐ大きくなると言って大きな制服を着ていた竹彦はもういない。三年になる前に学校を辞めたのだという。きっと家を手伝いながら、椿としての腕を磨いているに違いない。
あらゆる武道を習わせられる。きっと強くなるのかもしれない。根性は座っている彼だから。
そしてそれと同時に用務員としてやってきていた柊さんの姿もなくなった。遠くからでもわかった彼の長い髪を、もう見ることはない。代わりにきたのは、若い男だった。真面目に仕事をしているように見える。外見とは大違いだ。
どこかぽっかりと穴があいたような気がする。私はそう思いながら、毎日を過ごすのかもしれない。
店の奥にサラリーマンが三人座り、みんなブレンドを頼んだ。その隣の女性は、ケーキと紅茶。紅茶を葵さんが入れて、それを彼が持って行く。私は三人分の豆を挽き終わり、フィルターをセットしたところにそれを入れる。
そしてゆっくりとお湯を注ぐといい香りがした。
「今日の焙煎は成功ですね。」
「失敗なんてありますか。」
「ありますよ。納得しないときはすべて捨ててしまうこともありますから。」
「……。」
少しお湯を注いで少し蒸らす。それからお湯を注いでいくのだ。ゆっくりと、呼吸をするように。少しずつ膨らんでいく豆は、とてもいい香りがする。
「桜さん。今夜、柊は遅いみたいですね。」
「新しい職場は大変みたいですよ。前任の方が何もしていないと愚痴を言ってました。」
すると彼は私の後ろに立って、耳元で囁いた。
「今夜、部屋へ来ませんか。」
思わず手が止まり、私は葵さんの方を振り返った。しかしすぐコーヒーの方に視線を戻す。
「いいえ。行きません。」
「では私があなたの部屋へ行きましょうか。」
「いやです。」
一度、私は彼と寝た。それを忘れられないのか、彼はたまにそうやって私を誘う。
「どうしました。体調が悪いのですか。」
「あなたとは寝たくない。それだけです。」
「可愛い人だ。そういうところも私は好きなんですけどね。」
彼の「好き」はとても軽い。誰よりも軽い。絞り出すように言った竹彦よりも、恥ずかしそうに言う柊さんよりも誰よりもときめかない。
ドリッパーをはずして、カップを用意する。そのとき、彼をわざとよけるようにカップを取った。
彼も本気ではない。それはわかる。本気なら前のように強引に私を手に入れようとするはずだ。だけどそれをしなくなったのは、きっと柊さんの影が見えるからだろう。
「お待たせしました。」
コーヒーをトレーに乗せて、サラリーマンの元へ向かう。葵さんが迫ってくるよりも、未だに彼らがコーヒーを一口飲むその瞬間が一番緊張する。
コーヒーを入れるようになって一年が過ぎようとしているのに、未だに怖いと思う。
「すいません。」
カウンターに帰ろうとした私に、サラリーマンのうちの一人が声をかける。
「はい。」
「砂糖をもらえますか。」
はっ。同時に出した砂糖が切れている。やだ。空を出してたなんて。
「申し訳ございません。すぐお持ちいたします。」
あーあ。空のシュガーポットを持って、カウンターにやってくる私は、ほかのシュガーポットを確認するとそれを持ってまたサラリーマンの元へやってきた。
そのときドアベルを鳴らして、一人の男がやってきた。
「いらっしゃいませ。」
それは柊さんだった。彼は私の頭にぽんと手を乗せると、カウンターのいつもの席に座った。
「柊。いらっしゃい。」
「あーあ。疲れた。」
彼はそういって煙草に火を付けた。それを見て、私は灰皿を差し出す。
「どうですか。新しいところは。」
「よくこんなに仕事を溜めてたなって思うくらい、何もしてない。前任の奴を殴りたい気分だ。それに小学生がたかってきて、うざい。」
背の高くがたいのいい彼だ。小学生たちが彼に近寄ってきているのが安易に想像できる。
私は言われないままコーヒーを入れる準備をした。
「今日はでも早い方ですね。どうしました?」
「終わらせてきた。会えなければフラストレーションが溜まりそうでな。」
その言葉に、私のミルを引く手が止まった。
「それは……嫌みですか。私の。」
葵さんは笑いながら、彼を見上げた。
「嫌みだ。」
会話はとげとげしいが、それが彼らにとって普通の会話だった。証拠に、柊さんは表情が変わらないし、葵さんは笑顔のままだった。
「やれやれ。これでは桜さんをデートにも誘えない。」
「誘うな。」
「まぁ、でも今度はちょっとつきあってもらわないといけないのですけどね。」
お湯を沸かしたポットを持つ手が止まった。そして私は彼を見上げる。
「どこへおつきあいしないといけませんか。」
「病院。」
「病院?」
「えぇ。木曜日。私と病院へつきあってもらえませんか。」
「……え?」
「えぇ。実は紅葉が入院したと連絡がありましてね。蓮はもう本社に戻ってしまいましたし、様子を見てきてほしいと言われてるんです。木曜日にでもどうですか。」
すると柊さんは煙を吐き出して、言った。
「一人で十分だろう。」
「いいえ。ちょっと行き辛いので。」
「行き辛いのは自分の身から出た錆だ。」
「まぁ、それもありますけど、科が特殊なので。」
「どこの病院ですか。」
「婦人科です。」
その言葉は意外だった。てっきり何か違うことで入院していると思ったから。
「新入生かわいいねぇ。」
向日葵はそういって私の隣に座った。
「そうね。制服がぶかぶか。」
「あたしもそうだった。すぐ大きくなるよって、母さんが言ってさ。」
「……。」
すぐ大きくなると言って大きな制服を着ていた竹彦はもういない。三年になる前に学校を辞めたのだという。きっと家を手伝いながら、椿としての腕を磨いているに違いない。
あらゆる武道を習わせられる。きっと強くなるのかもしれない。根性は座っている彼だから。
そしてそれと同時に用務員としてやってきていた柊さんの姿もなくなった。遠くからでもわかった彼の長い髪を、もう見ることはない。代わりにきたのは、若い男だった。真面目に仕事をしているように見える。外見とは大違いだ。
どこかぽっかりと穴があいたような気がする。私はそう思いながら、毎日を過ごすのかもしれない。
店の奥にサラリーマンが三人座り、みんなブレンドを頼んだ。その隣の女性は、ケーキと紅茶。紅茶を葵さんが入れて、それを彼が持って行く。私は三人分の豆を挽き終わり、フィルターをセットしたところにそれを入れる。
そしてゆっくりとお湯を注ぐといい香りがした。
「今日の焙煎は成功ですね。」
「失敗なんてありますか。」
「ありますよ。納得しないときはすべて捨ててしまうこともありますから。」
「……。」
少しお湯を注いで少し蒸らす。それからお湯を注いでいくのだ。ゆっくりと、呼吸をするように。少しずつ膨らんでいく豆は、とてもいい香りがする。
「桜さん。今夜、柊は遅いみたいですね。」
「新しい職場は大変みたいですよ。前任の方が何もしていないと愚痴を言ってました。」
すると彼は私の後ろに立って、耳元で囁いた。
「今夜、部屋へ来ませんか。」
思わず手が止まり、私は葵さんの方を振り返った。しかしすぐコーヒーの方に視線を戻す。
「いいえ。行きません。」
「では私があなたの部屋へ行きましょうか。」
「いやです。」
一度、私は彼と寝た。それを忘れられないのか、彼はたまにそうやって私を誘う。
「どうしました。体調が悪いのですか。」
「あなたとは寝たくない。それだけです。」
「可愛い人だ。そういうところも私は好きなんですけどね。」
彼の「好き」はとても軽い。誰よりも軽い。絞り出すように言った竹彦よりも、恥ずかしそうに言う柊さんよりも誰よりもときめかない。
ドリッパーをはずして、カップを用意する。そのとき、彼をわざとよけるようにカップを取った。
彼も本気ではない。それはわかる。本気なら前のように強引に私を手に入れようとするはずだ。だけどそれをしなくなったのは、きっと柊さんの影が見えるからだろう。
「お待たせしました。」
コーヒーをトレーに乗せて、サラリーマンの元へ向かう。葵さんが迫ってくるよりも、未だに彼らがコーヒーを一口飲むその瞬間が一番緊張する。
コーヒーを入れるようになって一年が過ぎようとしているのに、未だに怖いと思う。
「すいません。」
カウンターに帰ろうとした私に、サラリーマンのうちの一人が声をかける。
「はい。」
「砂糖をもらえますか。」
はっ。同時に出した砂糖が切れている。やだ。空を出してたなんて。
「申し訳ございません。すぐお持ちいたします。」
あーあ。空のシュガーポットを持って、カウンターにやってくる私は、ほかのシュガーポットを確認するとそれを持ってまたサラリーマンの元へやってきた。
そのときドアベルを鳴らして、一人の男がやってきた。
「いらっしゃいませ。」
それは柊さんだった。彼は私の頭にぽんと手を乗せると、カウンターのいつもの席に座った。
「柊。いらっしゃい。」
「あーあ。疲れた。」
彼はそういって煙草に火を付けた。それを見て、私は灰皿を差し出す。
「どうですか。新しいところは。」
「よくこんなに仕事を溜めてたなって思うくらい、何もしてない。前任の奴を殴りたい気分だ。それに小学生がたかってきて、うざい。」
背の高くがたいのいい彼だ。小学生たちが彼に近寄ってきているのが安易に想像できる。
私は言われないままコーヒーを入れる準備をした。
「今日はでも早い方ですね。どうしました?」
「終わらせてきた。会えなければフラストレーションが溜まりそうでな。」
その言葉に、私のミルを引く手が止まった。
「それは……嫌みですか。私の。」
葵さんは笑いながら、彼を見上げた。
「嫌みだ。」
会話はとげとげしいが、それが彼らにとって普通の会話だった。証拠に、柊さんは表情が変わらないし、葵さんは笑顔のままだった。
「やれやれ。これでは桜さんをデートにも誘えない。」
「誘うな。」
「まぁ、でも今度はちょっとつきあってもらわないといけないのですけどね。」
お湯を沸かしたポットを持つ手が止まった。そして私は彼を見上げる。
「どこへおつきあいしないといけませんか。」
「病院。」
「病院?」
「えぇ。木曜日。私と病院へつきあってもらえませんか。」
「……え?」
「えぇ。実は紅葉が入院したと連絡がありましてね。蓮はもう本社に戻ってしまいましたし、様子を見てきてほしいと言われてるんです。木曜日にでもどうですか。」
すると柊さんは煙を吐き出して、言った。
「一人で十分だろう。」
「いいえ。ちょっと行き辛いので。」
「行き辛いのは自分の身から出た錆だ。」
「まぁ、それもありますけど、科が特殊なので。」
「どこの病院ですか。」
「婦人科です。」
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