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一年目
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冬休みがあっという間に終わり、私はまた学校と「窓」のバイトの生活が始まった。葵さんはあの夜のことは忘れているように、私に普段通りに接してくる。
奇妙なくらい普段通りだ。
そうでもしないと自分を保てないと思っているのかもしれない。だけどあの夜のことは私も後悔している。結果、自分だけじゃなくて、葵さんも傷つけてしまったのだから。
カラン……。
ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ。」
それは蓬さんだった。蓬さんは少し笑い、いつもの席に座る。それは柊さんがいつも座る場所だった。
「いらっしゃいませ。蓬さん。」
「あぁ。ブレンドをもらおうか。」
「はい。桜さん。入れてあげてください。」
「私でいいのですか。」
「えぇ。彼はあなたが気に入ってますからね。」
やめてよそういう言い方。そう思いながら、私はお湯を沸かす。しかし今日の蓬さんの目的は私じゃない。
「葵。考えてくれたか。」
煙草に火を付けて、彼は葵さんを見下ろした。
「……組の話ですか。」
「何も入れとは言っていない。椿として参加しろと言うことだ。」
「もう私はそんな腕はありませんよ。私があなたのところにいたのは十代の頃です。もう私も三十代ですよ。体力が持ちません。」
「腕は鈍っていないだろう。いろいろと聞いているからな。」
いろいろ?気になる一言だったが、聞いて聞かないふりをした。
「柊がだめだったので私に白羽の矢がたったのかもしれませんがね。私にも守るものがあるのですよ。」
「何だ。それは。」
「この店です。苦労したので、手放したくはないんですよ。」
入れ終わったコーヒーをカップに注ぎ、彼の前に置く。すると彼は煙草を消した。
「やはり……お前も柊も変わったな。」
「えぇ。時間がたてば人は変わる。あなたが言っていたことですよ。」
「そんなことを言ったか。桜。時間がたてば人も変わるそうだ。お前の想う奴もそうかもしれない。」
「……変わらないものもありますよ。」
彼がそういうのはまだ柊さんをあきらめていない証拠だった。やだ。彼を渡したくない。
「手の中から人が逃げるようだ。」
「人が逃げるのは、自分が悪いからではないのですか。」
うわっ。何でそういうことを言うかなぁ。だが隣にいた葵さんは平然としている。
「……桜。お前の存在が二人にとって大きいようだ。やはりお前は……。」
「……何でしょう。」
「母に似てるな。お前の母親もこうして男を手玉に取っていた。今でもそうなのかもしれないが……。桜。言っておくことがある。」
「……。」
私はそれを覚悟していたのかもしれない。自然と胸に手がいき、ネックレスに止めていた指輪を握る。
「胡桃とは昔、恋人だった時期がある。」
「……。」
「お前はまだ小さかったな。でも胡桃は十代だった。若くしてお前を産んだと言っていたからな。」
やはりそうだった。あのとき、母が喘いでいた相手はこの人だったのだ。
「桜さん……。」
心配そうに葵さんは私に声をかけた。
「それより前に、母と関係を持ったことは?」
「ない。残念だったな。俺がお前の父親だと思ったのかもしれないが……出会ったときにはもうお前がいた。」
「……。」
「胡桃は父親のことを唯一話したことがある。確か「死んだ」とは言っていなかった。「いなくなった」と言っていたか。」
「いなくなった?」
「死んだのか、失踪したのか、それは俺でもわからないことだ。」
父親のことなんかどうでもいい。でも心の中でどこかほっとしたことがある。
この人は竹彦の父親だという。そしてこの人が私の父であれば、私は異母兄弟でキスをしたことになるから。吐き気がする。
「私もあなたに聞きたいことがあるんです。」
「何だろうか。」
「……あなたの「子供」のことです。」
「子供だと?俺には子供は……。」
作らないようにしていたのかわからない。だがわずかに彼の顔色が変わった。
「あの男……。」
「組同士の抗争が激しくなった理由。それは若頭が引退したからでしょう。」
「桜さん。あなたはどれだけを知っているのですか。」
「……。」
葵さんは焦ったように私を止めようとした。
「世襲制度が根強いその世界です。もしあなたの血をひくものがいれば、きっと勢力図はがらっと変わる。」
「いい情報だ。桜。しかしお前の口からそいつの名前を言うつもりはないのだろう。」
「えぇ。きっと……彼はきっとあなたの前に現れるから。」
彼は少し考えたように黙ってしまった。そして席を立つ。
「桜。柊に内緒でデートをする話はどうなった。」
「するつもりありませんけど。」
「抗争が終わったら、俺とも遊ぶか。」
「遊びません。あなたとデートをしたら、ただですまないでしょう?お互いに。」
「……確かにな。だから内緒でするんだ。秘密の関係は燃え上がるだろう?」
「……そんなこともありましたね。」
レジへいき、彼はお金を払うと店を出ていった。私は深くため息をついてそのカップを片づけた。
「桜さん。あなたは……。」
そのときまた店に人が入ってきた。脳天気な誠さんだった。
「さっきさぁ。すげぇやくざっぽい人とすれ違ったよ。でもすげぇかっこいい人だったー。あんなニヒルな人になりてぇよ。」
ニヒルねぇ……。
確かにいろんな意味で切れそうな男だよ。
奇妙なくらい普段通りだ。
そうでもしないと自分を保てないと思っているのかもしれない。だけどあの夜のことは私も後悔している。結果、自分だけじゃなくて、葵さんも傷つけてしまったのだから。
カラン……。
ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ。」
それは蓬さんだった。蓬さんは少し笑い、いつもの席に座る。それは柊さんがいつも座る場所だった。
「いらっしゃいませ。蓬さん。」
「あぁ。ブレンドをもらおうか。」
「はい。桜さん。入れてあげてください。」
「私でいいのですか。」
「えぇ。彼はあなたが気に入ってますからね。」
やめてよそういう言い方。そう思いながら、私はお湯を沸かす。しかし今日の蓬さんの目的は私じゃない。
「葵。考えてくれたか。」
煙草に火を付けて、彼は葵さんを見下ろした。
「……組の話ですか。」
「何も入れとは言っていない。椿として参加しろと言うことだ。」
「もう私はそんな腕はありませんよ。私があなたのところにいたのは十代の頃です。もう私も三十代ですよ。体力が持ちません。」
「腕は鈍っていないだろう。いろいろと聞いているからな。」
いろいろ?気になる一言だったが、聞いて聞かないふりをした。
「柊がだめだったので私に白羽の矢がたったのかもしれませんがね。私にも守るものがあるのですよ。」
「何だ。それは。」
「この店です。苦労したので、手放したくはないんですよ。」
入れ終わったコーヒーをカップに注ぎ、彼の前に置く。すると彼は煙草を消した。
「やはり……お前も柊も変わったな。」
「えぇ。時間がたてば人は変わる。あなたが言っていたことですよ。」
「そんなことを言ったか。桜。時間がたてば人も変わるそうだ。お前の想う奴もそうかもしれない。」
「……変わらないものもありますよ。」
彼がそういうのはまだ柊さんをあきらめていない証拠だった。やだ。彼を渡したくない。
「手の中から人が逃げるようだ。」
「人が逃げるのは、自分が悪いからではないのですか。」
うわっ。何でそういうことを言うかなぁ。だが隣にいた葵さんは平然としている。
「……桜。お前の存在が二人にとって大きいようだ。やはりお前は……。」
「……何でしょう。」
「母に似てるな。お前の母親もこうして男を手玉に取っていた。今でもそうなのかもしれないが……。桜。言っておくことがある。」
「……。」
私はそれを覚悟していたのかもしれない。自然と胸に手がいき、ネックレスに止めていた指輪を握る。
「胡桃とは昔、恋人だった時期がある。」
「……。」
「お前はまだ小さかったな。でも胡桃は十代だった。若くしてお前を産んだと言っていたからな。」
やはりそうだった。あのとき、母が喘いでいた相手はこの人だったのだ。
「桜さん……。」
心配そうに葵さんは私に声をかけた。
「それより前に、母と関係を持ったことは?」
「ない。残念だったな。俺がお前の父親だと思ったのかもしれないが……出会ったときにはもうお前がいた。」
「……。」
「胡桃は父親のことを唯一話したことがある。確か「死んだ」とは言っていなかった。「いなくなった」と言っていたか。」
「いなくなった?」
「死んだのか、失踪したのか、それは俺でもわからないことだ。」
父親のことなんかどうでもいい。でも心の中でどこかほっとしたことがある。
この人は竹彦の父親だという。そしてこの人が私の父であれば、私は異母兄弟でキスをしたことになるから。吐き気がする。
「私もあなたに聞きたいことがあるんです。」
「何だろうか。」
「……あなたの「子供」のことです。」
「子供だと?俺には子供は……。」
作らないようにしていたのかわからない。だがわずかに彼の顔色が変わった。
「あの男……。」
「組同士の抗争が激しくなった理由。それは若頭が引退したからでしょう。」
「桜さん。あなたはどれだけを知っているのですか。」
「……。」
葵さんは焦ったように私を止めようとした。
「世襲制度が根強いその世界です。もしあなたの血をひくものがいれば、きっと勢力図はがらっと変わる。」
「いい情報だ。桜。しかしお前の口からそいつの名前を言うつもりはないのだろう。」
「えぇ。きっと……彼はきっとあなたの前に現れるから。」
彼は少し考えたように黙ってしまった。そして席を立つ。
「桜。柊に内緒でデートをする話はどうなった。」
「するつもりありませんけど。」
「抗争が終わったら、俺とも遊ぶか。」
「遊びません。あなたとデートをしたら、ただですまないでしょう?お互いに。」
「……確かにな。だから内緒でするんだ。秘密の関係は燃え上がるだろう?」
「……そんなこともありましたね。」
レジへいき、彼はお金を払うと店を出ていった。私は深くため息をついてそのカップを片づけた。
「桜さん。あなたは……。」
そのときまた店に人が入ってきた。脳天気な誠さんだった。
「さっきさぁ。すげぇやくざっぽい人とすれ違ったよ。でもすげぇかっこいい人だったー。あんなニヒルな人になりてぇよ。」
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